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第21話

「こちらなんておすすめですよ。ダイヤが埋め込まれていて、イニシャルの刺繍もできます。」 そう言って店員さんが指さしたcollarは確かに目を惹くものだったが、一つ返事で承諾するような値段ではなく、俺は頬を引きつらせながら、考えておきますと返した。 店内を散歩して目に止まったものの値段を確認するたび、冷や汗が浮かぶ。 collarと聞いて5000円程度のものを想定していたのに、ショーケースの中のどのcollarも明らかに0が2つ多い。おかしい。 「どれがいい?」 平然と尋ねてくる由良さんも由良さんだ。 そもそも由良さんはフォーマル寄りの服を着ているが、俺の服装はかろうじてカジュアルフォーマルに引っかかるかどうか。この店に自分がいること自体に場違い感が半端ない。 「…あの、どれもあまり… 」 「そう。これはどう?試着お願いできますか?」 一旦外に出ましょう、と言おうとしたのだが、その前に由良さんがショーケースの中の一つを指差し、店員さんに声をかけた。 しかもそれが、俺が一番欲しいと感じたやつだったりするから恐ろしい。 「かしこまりました。こちらへ。」 店員さんは俺たちのことを優しく試着室の方へと誘導してくれた。 「では、ごゆっくり。」 試着室のドアが閉められると、中は俺と由良さんの2人きりになる。 小さな個室の中で俺は、由良さんにcollarを渡した。試着とは言え、collarはSubから渡す決まりだ。 「つけていい?」 低く優しい声が耳朶を震わせる。 目の前の鏡に映る由良さんの表情がひどく色っぽくて、俺は頷くだけで必死だった。 髪が掻き分けられ、親指でゆるくうなじを擦られて、この優しい指の感触を、やっぱり好きだなとおもう。 …でも、いざcollarの感触が押し当てられたとき、恐怖に肩がすくんだ。 彼にcollarを切られた時の絶望に、思ったよりずっと恐怖を植え付けられていたらしい。 それを察したのか、由良さんは一旦collarをつけようとするのをやめ、優しく髪を撫でてくれた。 撫でられる感触が気持ち良くて、目を閉じる。 「…んっ…!」 突然、くすぐったいような微かな刺激がうなじを走って、変な声が漏れた。 驚いて目を開けると、由良さんの唇がうなじに押し当てられている。 愛おしそうに、藍の瞳がこちらを覗く。 同時に、あの夜の彼の言葉が思い起こされて。 “もう離さないよ、幹斗、約束。” 全身の力がふっと脱けた。 由良さんには俺の心が読めるのか、彼は何も言わずに俺の首にcollarを巻く。 色は前と同じ、由良さんの瞳と同じ青がかった黒。 「やっぱり幹斗君には青が似合うね。これにしようか。」 由良さんにマシュマロみたいに柔らかく言われ、心臓が跳ねる。 しかし鏡に映る自分を見たとき、もう一度不安が込み上げた。 …どんなに高くたって、革製では簡単に切れてしまう。ならいっそ金属製なら…、などと無茶なことを考え始めて、口を噤む。 鏡越しの由良さんは、しばらく憂いを帯びた表情で俺の様子を見つめていたが、そのあと何かに気づいたようにジャケットの内ポケットを探り始めた。 …こんな、離さないって約束してもらったのに不安になるとか、最低だよね…。 ふと、俯いた俺の左手を、由良さんが掬うように持ち上げた。 …今度は手、撫でてくれるのかな。 彼の優しさに苦しさすら覚える。 けれど、彼の手が俺の手の上を滑ることはなく、代わりに何か硬い感情が指の付け根に当たった。 「これなら切れないよ。」 言葉の意味が理解できなくて左手を見ると、薬指に華奢なリングがはめられている。 色々なものが込み上げてきて泣いてしまいそうになったけれど、ここが試着室なのを思い出して、なんとか堪えた。 「不安、なくなった?」 「はい…。」 淡雪みたいに優しい問いかけに、ただ俯いて頷く。 “お客様、いかがですか?” 外から声が聞こえて、慌ててcollarを外した。 “これ、お願いします。” 由良さんが店員さんに微笑んで言う。 “かしこまりました。ではサイズを調整しますので、お連れ様はそちらのお席でお待ちください。” あとから知ったが、ここのcollarはオーダーメイドで、ショーケースの中にあったのは全て見本品らしい。 “お二人とてもお似合いですね。” 首回りを計測されている間に店員さんにそう言われて、くすぐったくも嬉しい気持ちになった。 …そういえば値段、指輪も高そうなのに、collarまで…。 帰り道でそう気づいたが、すでに契約が済んでいるのでどうしようもない。 「collar、来るの楽しみだね。とても似合っていたから。」 「…はい。あの、ありがとうございます。」 由良さんがあまりに幸せそうに言うから、気にすることは辞めにして、俺は感謝を述べながら、素直に笑みを浮かべたのだった。

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