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第3話新しい暮らし
ケリーの朝は早い。日が昇る頃には起き出し、小さな雑草だらけの中庭で日課である剣の素振りをして、筋トレをすることから1日が始まる。
パーシーとカーラの家に初めて訪れた日は、馬小屋の掃除をして、倉庫から馬の世話に必要な道具を全て発掘して使えるようにキレイにするだけで終わった。その日の夜はケリーが泊まる宿屋の食堂で一緒に3人で夕食を食べた。翌朝は日課を泊まった宿屋の裏のちょっとしたスペースでやり、ブリード家の朝食の時間にブリード家へと向かった。パーシーが用意してくれていた朝食は、味噌汁、炊いた米、甘いオムレツ、ベーコンとキャベツの炒め物だった。シンプルだが、どれもそこそこ旨かった。味噌や醤油など、土の神子マーサがもたらして普及させた調味料は沢山あり、サンガレアは食文化がとても豊かだ。そこそこ旨い朝食を食べ、カーラと一緒に仕事に行くパーシーを見送った。それからアニーの世話をして、ケリーが使うことになるシーツなどを含めた大量の洗濯をしてから、ケリーが使う部屋の掃除をした。ケリーの部屋(予定)を掃除していると、近所に住むカーラの友達が訪ねてきた。3軒隣の家具屋の息子で、名前はケビンという。ケビンはカーラと同じ歳だが、カーラよりも頭半分くらい背が低い。それでも中々に整った顔立ちをしており、将来は女にキャーキャー言われそうな感じである。厳ついだけで女にモテたことなどないケリーからしてみれば、羨ましいことである。
ケビンもケリーの部屋の掃除を手伝ってくれた。ケビンの祖父と父親はいつも家にいて家具を作ったりしているが、毎日パーシーが仕事から帰ってくるまで家に1人であるカーラと共に、ケビンも普段は学童預かり所に行っているそうだ。かなり仲がいいらしい。
宿屋に滞在していた1週間でちゃんとケリーが住めるようになり、ケリーは本格的にブリード家に住み始めた。料理以外の家事をしつつ、子供2人を見守る生活にもすぐに慣れた。別に目が離せないような手のかかる年頃というわけではない。2人はケリーの家事を手伝う以外は、1階のかつて食堂だった所にある大きなテーブルで夏休みの宿題をしたり、ケリーをカサンドラの街の色んな所に案内してくれる。ケリーは少しずつカサンドラの街にも慣れてきはじめた。
「なぁ、おっちゃん」
「なんだ?ケビン」
「あのさ、なんで毎回出かける度におっちゃんと手を繋がなきゃいけないわけ?」
「それな。僕達もう仲良くお手手繋ぐような歳でもないんですけど」
「迷子防止だ」
「「迷子になんてならないし」」
「お前さん達じゃない。俺のだ」
「は?なんで?」
「おっちゃん、迷子って言葉の意味知ってる?子供が迷うことを迷子って言うんだよ?」
「俺な、筋金入りの方向音痴なんだわ。子供の頃は家から西の店におつかいに行くっつって北に走っていくようなお子様だったんだよ」
「うっそー」
「マジで?あり得なくない?おっちゃん、軍人だったんでしょ?」
「軍人ってあんまり単独行動しないんだよなー。巡回とかでもよー、基本的に2人以上で動くんだわ」
「……あぁ。言われてみれば確かに街を歩いてる軍人って2人組が多いな」
「だろ?だから別に方向音痴でもよ、仕事に支障は殆んどなかったんだよなー。それでも中央の街には長く住んでたからよ、そんなに迷うこともなかったんだが、カサンドラには来たばっかりだからな。土地勘がまるでないから迷ったら俺は家に1人じゃ帰れないぞ」
「情けないこと偉そうに言うなよ、おっちゃん」
「本当に大人かよ、おっちゃん」
「まぁ、そういうわけだから。絶対に手を離さないでくれよ。確実に迷子になっからな、俺」
「「えぇーー」」
「……おやつにケーキ奢ってやるし」
「しょうがねぇおっちゃんだなっ!」
「可哀想だから手を繋いでやるよっ!」
「……現金なお子ちゃま達め。旨いとこに連れていってくれよ?できたら珈琲が飲める店がいい」
「俺珈琲飲んだことない」
「僕も」
「あー……お前さん達がよく行く喫茶店とかないか?ケーキも置いてるようなとこ」
「俺は一応あるよ。たまーにだけどさ、じいちゃんが連れていってくれるんだ」
「僕は喫茶店って行ったことがない。そもそも基本的に近所の食堂以外で外食しないもん」
「ん?そうなのか?」
「宿屋やってた頃はさ、なんか死んだじいちゃんも父さんも忙しかったし。じいちゃん死んでからは安月給の父さんの稼ぎしかないから、外食なんて贅沢できないんだもん」
「あー……じゃあ、ケビン。喫茶店連れていってくれ。ついでだ。お前さん達も珈琲に挑戦してみろよ。苦いが、ミルクや砂糖入れたら子供でも飲めるぞ」
「りょーかい」
「どこの店行くの?ケビン」
「大通りんとこにある喫茶店にいつも行ってるから、そこ。バナナのケーキがあるんだ。ちょー旨いぜ。ちょっと高いから滅多に食えないけどさ」
「おー。いいなぁ、バナナケーキ」
「おっちゃんさー、甘いもの好きなの?」
「まぁ、そこそこな。あと酒も煙草も好きだぞ。とはいえ、男1人でも入れるような店にしか行かんがな」
「ふーん。おっちゃん友達いなかったの?」
「ケビン。そこに触れちゃダメなんだぜ」
「え?なんで?カーラ」
「……酒を飲むような同僚とか部下とかは一応いたし」
「あ、ごめん。おっちゃん友達いない人なんだ」
「そんなド直球に言ってやるなよ、ケビン」
「あ、そうか。まぁ、夏休みの間は俺らが一緒に色んな所に行くし」
「そうそう」
「……おー。頼むわー」
お子ちゃま達の気遣いが逆に微妙に傷つくが、ケビンが案内してくれた喫茶店のバナナケーキは本当に旨かったのでよしとする。珈琲も中々だった。
バナナケーキは持ち帰りができたので、パーシーの分も買った。パーシーも甘いものが好きらしい。その代わり、酒は全然飲まないそうだ。
子供達と喋りながら手を繋いでカサンドラの街中を散策する。カサンドラは中央の街よりも静かで、なんだか落ち着く。ケリーは早くもカサンドラの街がすっかり気に入った。
隠居してのんびり過ごすにはカサンドラの街はとてもいい。そこそこ飲食店もあるし、『土の神子マーサ資料館』があるから、退屈することもなさそうだ。
ケリーは機嫌よく、子供達と一緒に新しい住処へと戻った。
夕方には家に戻る。一応ケビンを家まで送り届けてから、中庭に干してある洗濯物をカーラと2人で取り込んで畳む。洗濯物を畳み終える頃に、パーシーが仕事から帰ってくる。いつも職場から帰る途中に夕食と朝食の材料の買い物をしてからパーシーは帰ってくるのだ。家に帰るとパーシーはパタパタと急いで厨房で3人分の夕食を作る。カーラがいつもパーシーを手伝うので、ケリーもカーラに色々習いながら夕食の支度を手伝っている。焼き飯しか作れないケリーよりも、カーラの方が余程料理が出来る。揚げ物は流石にパーシーがさせないが、それ以外なら結構手際よく器用に何でもやれる。今日はカーラに習いながら、ケリーは芋のサラダに挑戦した。蒸かした熱々の芋の皮を剥くのに苦戦し、ようやく皮が剥けた時には、芋は冷めてるし、そもそも芋の表面がぼっこぼこに汚くなっていた。それをカーラが適当な大きさに切って、他の具と一緒にマヨネーズで和えて、うまいこと芋のサラダにしてくれた。
ケリーがカーラと共に芋のサラダを作っている間に、パーシーは手早く今夜のおかずである鶏肉の唐揚げと野菜のコンソメスープを作ってくれた。どちらも旨そうな匂いがしている。
パーシーは格別に料理が上手いというわけではない。しかし、カーラの健康のことを考えているのだろうと分かるようなメニューを毎日作っており、味もそこそこ旨い。手作りの料理というものが、ずっと独り身なケリーには嬉しい。
「あ。父さん。ニンジン入れないでっていつも言ってるじゃん」
「ニンジンも食べなさい」
「やだ。ニンジン嫌い」
「好き嫌いすると大きくなれないぞ」
「僕、学年で1番背が高いし」
「カーラ。大人しくニンジン食ったら明日はケビンも一緒にアニーに乗せてやるぞ。そろそろアニーも慣れてきてるし」
「マジでっ!おっちゃん!」
「おー」
「食べる」
「もぉー。現金なんだからなぁ、本当に」
「まぁ、いいんじゃないか?パーシー。子供ってこんなもんじゃないのか?」
「まぁ、そうですけどね。でも本当にいいんですか?ケリーさん」
「あぁ。アニーもそろそろ走りたいだろうしな。明日はちょっと街の外に出かけてくる。なに。遠くには行かない。街の周りをちょっと散策するだけだ」
「はい。お願いします」
「おー」
「すごいよ、父さん。去年は夏休みの絵日記に書くこと無さすぎてヤバかったのに今年はめちゃくちゃ書けるし」
「よかったな、カーラ」
「うん」
「俺も夏休みの絵日記は毎年書くことがなかったなぁ。鍛練、鍛練、また鍛練の毎日で」
「おっちゃんの父さんさー、本当ヒドイね」
「だーよなぁ。まぁ、かなり昔に死んでるから今更だけどな」
「ふーん」
「明日出かけるんでしたら、お弁当を作りますね。といっても、おにぎりですけど」
「お、いいのか?」
「はい。ケビンの分も合わせて3人分用意しますよ。ケビンの親御さん達にもいつもお世話になってるし。たまにはね」
「端末で明日は昼飯も昼飯代も用意しなくていいってケビンに連絡しとく」
「うん。そうしといてよ、カーラ」
端末とは、遠隔地同士でも会話や文章のやり取りができ、更には写真を撮ったりすることができる魔導製品のことである。今は小学生でも持っている程、広く普及している。ケリーも当然持っている。以前に持っていたものは副団長を辞めた時に物理的に破壊して中身ごと消し去っており、カサンドラに来てから新たに買い直した。端末の連絡先はパーシーとカーラとケビンのものしか入っていない。
カーラは露骨に顔をしかめながらも素直にニンジンを食べきった。
明日はアニーと一緒に街の外まで3人でお出かけである。
カサンドラでのケリーの生活は、穏やかだが、それなりに賑やかに過ぎていっている。
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