ケリーは病室で本を読んでいた。カーラとケビンは病室にある小さなテーブルで宿題をやっている。ケリーは右足が折れ、左腕は骨にひびが入っていた。 ケリーが病院に入院することになったのは、２日前である。 昼過ぎにいつも通り３人で街中の飲食店で昼食をとり、ブラブラと市場を歩いている時の事だった。強い風が吹き、すぐ近くの屋台が突然壊れた。ケリー達が見ている前で屋台の柱が折れ、柱が倒れる先には幼い子供がいた。咄嗟にケリーは幼い子供を庇って、屋台の柱の下敷きになった。子供を潰さないように抱き抱えて、左腕で細めの屋台の柱や重い屋根代わりの布地を受け止めた。その時に太くて重い柱が右足の上に倒れ落ち、右足が完全に太い柱の下敷きになった。慌てて店主や市場の者達が崩れた屋台をどけ、ケリーと驚いて泣き出した子供を助けてくれた。幼い子供は幸いにも無傷だったが、太い柱の下敷きになったケリーの右足は完全に折れ、左腕の骨にもひびが入ってしまったのだ。 急いで病院に運ばれて、ケリーは約１ヶ月入院することになってしまった。カーラとケビンの夏休みが終わる５日前の出来事である。 ケリーが助けた子供の親は医療費を全て支払うと言ってくれたが、ケリーはそれを断った。菓子折りを持ってお礼を言いに来た親子は、正直そんなに裕福な感じではなかったし、ケリーは金なら相当持っている。子供が大きくなるにつれ金もかかるようになるだろうし、１ヶ月分の入院費用はそれなりの額になる。突然の大きな出費はキツいだろうと思い、サクッと断った。息子の命の恩人なのに……と子供の両親が困った顔をしていたので、ケリーは代わりにお菓子をくれないかと提案してみた。ケリーが助けた子供の父親は街でお菓子屋を経営している。自分が作ったクッキーやカップケーキなどを販売しているのだ。１度ケリーもカーラ達に案内してもらって店に行っているので、父親の顔を覚えていた。父親はケリーの提案に頷き、それなら退院するまで毎日持ってくると言った。毎日じゃなくていいし、量も少なくていいとケリーが言ったのだが、少しでもお礼がしたいと押しきられ、毎日、助けた子供と母親が病室にお菓子を４人分届けてくれることになった。ケリーとカーラとケビンとパーシーの分だ。クッキーなら小さな袋１つ、カップケーキなら１人１個ずつ、という具合で持ってきてくれる。これが中々に旨い。 ケリーが入院することになり、カーラとケビンは毎日ケリーの病室に通うことになった。ケリーは１人部屋なので、子供達が多少騒いでも問題ないし、小さなテーブルがあるので、椅子を持ち込んで宿題をすることもできる。帰りは仕事終わりのパーシーがカーラ達を迎えに来る。その時についでにケリーの洗濯物を持って帰り、翌日に洗濯済みのケリーの服を持ってきてくれる。パーシーが暇だろうからと、パーシーの本も貸してくれた。パーシーは沢山本を持っており、パーシーの私室は勿論、隣の物置部屋までパーシーの本で溢れている。パーシーのお陰で入院中は退屈せずにすみそうだ。 ケビンの父親と祖父も病室に見舞いに来てくれた。足が折れていると不便だろうからと、ケリー用の松葉杖を作って持ってきてくれた。事態を知って、たった半日で作ったらしい。病室内にあるトイレに行くのに使ってみたら、これがかなり丈夫なしっかりとしたもので、筋肉が結構あり体重が重いケリーの身体をしっかり支えてくれた。ありがたいことである。 夏休み終了まであと３日なのに苦手な教科の宿題をやり終えておらず、半泣きのお子ちゃま達の宿題を時折手伝ってやりつつ、ケリーはのんびりベッドの上で本を読んで過ごしている。骨にひびが入っているのは利き腕ではないので、食事をとるのに問題はないし、着替えも自分でできる。右足はバッキリキレイに折れてしまっているので、松葉杖なしでは歩けないが、病室内のトイレに行くくらいなら大丈夫だ。病院の食事はそこそこ旨いし、看護師達や医者も優しい。毎日風呂に入れないのだけが不満だが、毎日身体を拭いてもらえるし、３日に１度は看護師によって風呂に入れてもらえるらしい。日課の鍛練ができなくてなんだか少し気持ち悪いが、まぁ仕方がない。 ケリーはそこそこ快適に入院生活を送っている。 やっと宿題を終えた子供達と一緒に、午前中に助けた子供と母親が持ってきてくれたお菓子を食べる。今日は干した果物いっぱいのパウンドケーキである。１人１切れずつだ。アクセントに胡桃も入っていて、素直に旨い。 パウンドケーキを食べているカーラがケリーの頭を見た。 「おっちゃんさー、本当にハゲじゃなかったんだな。ちょっと髪が伸びてきてる」 「剃ってるって言っただろ？普段は俺専用に魔導技師に作らせた特注の魔導シェーバーで剃ってるんだよ」 「ふーん」 「おっちゃん何で頭剃ってんの？髭は伸ばしてんのに」 「……そのうち分かる」 「「？」」 子供達が不思議そうな顔をした。ケリーは憂鬱な溜め息を吐いた。流石に入院中は魔導シェーバーでいつものように頭を剃れない。１ヶ月も髪を伸ばしっぱなしにしなければならないのが地味に嫌である。 ケリーはちょっぴりブルーな気持ちでケビンが水筒に入れて持ってきてくれた珈琲を飲んだ。ケビンの祖父は珈琲が好きらしく、淹れるのも結構上手である。ケリーが珈琲が好きだとケビンに聞いたらしく、今日はケビンに珈琲入りの水筒を持たせてくれた。珈琲の香りと味わいに少し心が癒される。 ケリーは宿題を終えた子供達とパーシーが迎えにくるまでカードゲームをして遊んで過ごした。 ーーーーーー ケリーが街の病院に入院して３週間。左腕はそれなりに治ってきているし、右足もだいぶよくなってきた。予定通り、来週末には無事に退院できそうである。 カーラとケビンは学校が終わると毎日ケリーの病室にやって来る。学校が終わるのがちょうどおやつ時なので、いつも３人でお菓子を食べ、その後、学校であったこと等を喋りながら子供達はケリーの病室で宿題をやる。仕事から帰ったパーシーが迎えにくるまで、ケリーのいる病室は賑やかだ。 今日もパーシーから借りた本を読んでいると、パタパタと軽い足音が２つ聞こえてきた。カーラとケビンが学校から帰って来た。 「「おっちゃーん」」 「おー。おかえり」 「ただいまー」 「ただいま。おっちゃん。聞いてよ！僕が描いたアニーの絵がね、街の子供絵画コンクールに出品されることになったんだ！」 「おぉ！すごいじゃないか」 「担任のさ、ハボック先生がちょー気に入ってるんだよ。カーラの絵」 「よく描けてたもんなぁ」 「へへーっ」 「退院したら旨いもん食いに行こう。祝いだ」 「コンクールに出品するだけだよ？別に賞とかとったわけじゃないし」 「コンクールに出されるだけで十分すごいだろ？」 「同じ教室の子の絵も出すんだよ。１つの教室につき、５人の絵を出すんだ」 「その５人の中に選ばれたんだろ？すごいじゃないか」 「そ、そうかな？」 「そうだよ」 カーラが照れ臭そうに笑った。ケリーはカーラを手招きして、近寄ってきたカーラの癖のある髪をわしゃわしゃ撫でた。カーラの髪はぼさぼさになった。 「なにすんだよ、おっちゃん。髪ぼさぼさになったじゃん」 「はははっ」 「髪といればさー、おっちゃん髪伸びたよな」 「なんかさ、あれっぽいよな。あのー、あれだよ。鉄鍋とかガシガシ擦るやつ」 「金だわし？」 「あ、それだ」 「失敬なお子ちゃま達め」 「だってさ、本当にそんな感じなんだもん」 「……まぁ、子供の頃の渾名は『金だわし』だったけど」 「マッジでー！」 「あはははっ！」 「笑いたきゃ笑えよ。チクショー」 「えー。だから剃ってんの？」 「おう。中学生くらいの頃からずっとな。癖が強すぎる上にめちゃくちゃ剛毛なんだよ」 「ねー。おっちゃん。また剃ったらさ、その髪ちょうだい」 「は？何すんだ、そんなもん」 「『人毛金だわし』作る。来年の自由研究で」 「そんな気色の悪いもん作ろうとすんじゃねぇよ！カーラ！」 「えー。いいじゃーん」 「ははははっ！」 「学校の先生もドン引きするわっ！」 「いや？ハボック先生なら間違いなく『えー。うっそー。まーじでー』って言って、腹抱えて笑う」 「まー、ハボック先生ならそうだよな」 「なんつー先生だ」 「面白いよ？宿題しなかったらすっげぇ怒るけど。僕は好きだな」 「俺も。隣の教室の先生より全然いいもんな。隣の教室の担任の先生さー、すっげぇネチネチ怒るんだよ。ほんっとに小さいことでさ。めちゃくちゃ怒鳴るんだよ。なんかいっつも隣の教室から怒鳴り声聞こえてくるよな」 「なー」 「いや、それはそれでダメだろ」 「ねー。父さんがさ。隣の先生、保護者からも評判ちょー悪いって言ってた」 「だろうな。すぐ怒鳴るような叱り方じゃダメだろ。なんでダメなのか子供に理解できるように諭すのが先生の仕事でもあるんじゃねぇの。いや、俺もよく分からんが」 「うちの父ちゃんもそんな感じのこと言ってたぜ」 「うちの父さんも。ハボック先生も怒るけどさ、怒鳴らないし、何でダメなのか自分でまず考えろって言うよ」 「ふーん。お前さん達の担任の先生はいい先生だな」 「「うん」」 「ほら。おやつ食べるぞ。今日はアーモンド入りのクッキーだ」 「やったぁ！」 「俺クッキーの中じゃ１番好きっ！」 「悪いが茶を淹れてくれよ」 「あ、俺ね。また珈琲持ってきたよ。じいちゃんが朝渡してくれた」 「おー。すまんな。嬉しいわ。ケビンのじいさんの珈琲旨いんだよなぁ」 「じいちゃんに言っとく。喜ぶよ」 「僕達の分もある？」 「うん。ほら、デカい水筒に入れてくれたし。重かったんだぜ？持ち歩くの」 「よっしゃ！」 「ん？お前さん達、砂糖とミルクなしで飲めるか？そのまんまだと苦いぞ」 「のーめーまーすぅー」 「子供じゃないしー」 「いや、子供だろ」 カーラとケビンがわいわい騒ぎながら、置いてあるカップに水筒から珈琲を入れてくれる。香りは多少飛んでいるが、それなりに旨い珈琲とクッキーを一緒に食べた。 相変わらずカーラは算数、ケビンは国語が嫌いで、今日は両方とも宿題が出たらしく、嫌々テーブルに宿題を広げた２人に教科書片手に分からないところを教えてやる。なんとか２人とも宿題を終わらせることができた頃に、パーシーとケビンの父親ガーナが病室にやって来た。 「お、おかえり。あと、こんにちは」 「ただいまです」 「こんにちは。お怪我の具合はどうだい？いつもケビンが邪魔して煩くないか？」 「順調に治ってきている。松葉杖もすげぇ使いやすいよ。カーラとケビンが来てくれるからな。退屈せずにすんでる」 「それならいいが。俺の母がケーキを焼いてな。少しだが、よかったら食べてくれ」 「お、ありがとな。ガーナ。お袋さんに礼を言っといてくれ。あと親父さんにも。ケビンにまた珈琲持たせてくれたからさ。旨かったよ」 「そいつはよかった。伝えておくよ」 「ケリーさん。今日の洗濯物はこれですか？」 「あぁ。今日は風呂に入れてもらったからよ。少し多いんだ。タオルとか」 「ねぇ、おっちゃん。髪も洗った？」 「おう。シャンプーがめちゃくちゃ泡立ってな。やってくれた看護師の兄ちゃんがすげぇ笑いを堪えてた」 「はははっ！ちょー見たい！」 「おっちゃん！次に風呂に入るのいつ？俺覗きにいくっ！」 「僕もっ！」 「こらこら。カーラもケビンも。止めなさい。人の風呂なんて覗くもんじゃないよ」 「「えーー」」 「だって父さん。おっちゃんの髪、マジで金だわしじゃん」 「子供の頃の渾名『金だわし』だったんだって」 「あー……うん。まぁ。子供ってド直球だから……」 「微妙にフォローになってないぞ」 「大丈夫だ、ケリーさん。パーシーの子供の頃の渾名は『ナナフシ』だ」 「何が大丈夫なんだか分からないし、子供の前でバラすなよガーナ」 「『ナナフシ』ってなに？父さん」 「……虫の名前」 「虫？」 「こう……すっげぇ細なげぇ虫がいるんだよ。パーシーは子供の頃からひょろ長くてな。手足も細くて長いから皆からそう言われてたんだよ、カーラ」 「へぇー」 「僕の黒歴史をサラッと言わないでくれよ、ガーナ」 「昔の話だろ？」 「ん？パーシーとガーナは歳が近いのか？」 「同じ歳なんですよ、ケリーさん。結婚したのも子供ができたのも、殆んど同じ時期なんです」 「へぇ。２人とも３０代か？」 「まだ２９歳です」 「え？３０代にみえる？俺ら」 「まぁ、２０代後半から３０代前半って感じだな」 「おっちゃんは３０越えてんだろ？」 「失敬な。俺の肉体年齢はまだ２５歳だ」 「「「「え？」」」」 「……いや、なんだその反応」 「全然見えないよ、おっちゃん。父さんより歳上だと思ってた」 「俺も」 「あ、すいません。僕もです」 「俺もまあ……てっきり……」 「……俺そんなに老けて見える？」 「「「「うん」」」」 「……ショックっ……」 思わず項垂れたケリーを、パーシーとガーナがフォローしようとしてくれるが、素直なお子ちゃま達は笑い転げていた。おのれ。 賑やかに話をしたあと、パーシーや子供達は病室から帰っていった。また明日来る、と言って。 静かになった病室でケリーはベッドの枕元に置いていた本を手に取った。パーシー親子もだが、ガーナ親子も優しい。会って２ヶ月も経っていないケリーのことを色々と気遣ってくれる。 軍人時代、部下達には気遣われていた。しかし、それはケリーが職場の上司だからだ。 なんのしがらみもないのに自分のことを気遣ってくれる人がいるということが、なんだかくすぐったい。嬉しくて、腹の底がむずむずしてしまう。 ケリーはなんだか照れ臭い気持ちを誤魔化すように、顎髭を撫でて、本を開いた。