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2話 兄 後編
僕は震え上がっていた。歯の根が合わなくて、かちかちと音がする。
「な、なんで……! に、にいさ……、ぼ、僕を、こ、殺……っ」
「殺す? ああ、リタ。なにを言っているんだい? 大切なリタを殺したりするわけがないだろう?」
兄が、微笑む。僕の頬に手をあてて。
もう一度顔が近づいてきたけれど、僕はもう避けも逃げもしなかった。できなかった。
兄は異常だ。逆らったら、拒絶したら、なにをしでかすかわからない。今度こそ、殺されてしまうかもしれない。
受け入れた兄のキスは、とても優しくて柔らかいものだった。
「可哀想に。こんなに震えて……。怖かったろう。もう大丈夫。大丈夫だよ、リタ」
まるで、僕を守って慰めるような言い方。
「すっかり怯えて……。なんて、可愛い……」
声は優しい兄のままだった。けれど、言葉の端々に狂気が見え隠れする。
どうして。どうしてそんなになってしまったの、兄さん。
兄の唇が、僕の唇をとらえる。僕の舌をねっとりと舐めまわして、唇のあわせに舌を這わせていくのだ。赤々とした舌べろを出したまま離れていく兄は、見たこともないほど情欲的な表情をしていた。
「兄さん、どうして……? どうして、こんな……。ぼ、僕たちは、兄弟だよ?」
「僕はね、リタ。愛に気付いてしまったんだよ。リタを愛する心に。愛する人の唇を欲するのは普通のことだろう?」
子供に言って聞かせるような兄の声。
普通でなんてあるはずがない。僕と兄は血を分けた兄弟だし、男同士だ。
確かに兄は綺麗だけれど、僕はそんな目で兄さんを見たことは一度もない。僕たちのあいだにあるのは兄弟愛であって、唇にキスをするような愛では決してないはずだ。
「おや、リタ。僕の愛を疑っているね? 悪い子……。それなら、しっかりと教えてあげよう。僕が、どんな風に君を愛しているかを」
表情が、声が、優しい。まるで、いつもの兄さんみたいに。
けれど、兄さんは僕の上に乗り上がったまま。兄の手が首元にのびてきて、僕は無意識のうちに、ひっと小さな悲鳴をあげてしまった。首をなぞられ、パジャマに手をかけられる。ぷちり、ぷちりと外されていくボタン。
着替えを手伝ってくれる、というわけではないだろう。キスをされて、愛を囁かれたあとに服を脱がされることの意味。それくらい、経験がない僕だって知っている。
僕の顔から、ザァッと音を立てて血の気が引いていった。
「ああ……、リタ。なんだい、この身体。あぁ、綺麗だ……。ごらん? 桃色の乳首がつん、と尖って……」
兄が、指で僕の乳首を押し潰す。ひどく、色気のある息を吐いて。
間違いない。兄は僕と性的な行為をしようとしているのだ。
ズボンにかかる兄の手を慌てて掴んで、僕は慄きながら首を横に振った。
「お、おかしい! やっぱりおかしいよこんなの! やめて……っ! 兄さんっ!」
「おかしい……? なにも、おかしくなんてないよ。愛しているからね」
言葉は言い含めるみたいなのに、僕の手は乱暴に叩 き落とされてしまう。手の甲がじんじんとして、泣きそうになった。
ずるり、と下着ごとずり下げられるズボン。露わになった僕のそれは、恐怖に竦んで縮こまってしまっている。
「可愛い……」
つつ、と指先で撫でられると、僕の身体はびくっと跳ねてしまった。兄が僕のそんなところを触るなんて、信じられない。兄の指は僕の性器のかたちを確かめるようにゆっくりとなぞりまわって、蟻の門渡りに薄く爪を立てた。
怖い、怖い……。
兄さんが、怖い。
綺麗で、優しくて、僕の自慢の兄さん。
僕はこんなにも欲に濡れた兄の目を知らない。
「ひぃっ!!」
兄の指が、孔 のふちを柔らかく押した。
「に、兄さんッ!」
兄が触っている場所は排泄器官だ。汚い場所だ。僕はわけがわからなくなって、怖くて、恥ずかしくて、身を硬くしていることしかできない。肛門をこじ開けられ、兄の指が挿し入れられる感覚に僕の全身が総毛立つ。
僕は知らなかったのだ。男性同士で行為に及ぶときに、この孔を使うことを。
だって、考えたこともなかったから。
肉を割られる。ぐさっと突き刺すかのような兄の指はぐねぐねと動きながら、僕の粘膜を無理やり伸ばして解 そうとする。
「ああ……、リタ……」
思わず身震いをしてしまうくらい艶やかな声を漏らし、兄は僕を拓 く指をもう一本追加した。
「いたっ……! 痛い……! 兄さん……!」
ぐぐ、ぐぐ、と二本のすらりとした指で広げられる僕のそこ。
逃げ出そうにも、首を絞められた恐怖が僕の身体をがんじがらめにして、動けなくしてしまっていた。
「どうしよう。どうしようね、リタ。ああ、僕の胸は今、とても高鳴っているよ。愛しいリタとひとつになれると思うと……。あぁ……、あぁ……っ」
ゆるく頭を振って煌めく銀髪を乱し、性急な手つきでズボンの前立てを開く兄。
僕は瞠目し、言葉を失ってしまった。布のあいだから飛び出してきた兄のそれはすっかり勃ちあがって、つるりとした先端からは透明な液体が滲み出していたからだ。
兄が、勃起している。しかも、それを僕に晒している。
あの兄が。いつも凛としていて、綺麗で、汚れや肉欲とは無縁に見えるほど高潔そうだった、兄さんが。
僕の唇が震えた。無意識的になにかを言おうとしたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。どちらでも構わなかった。なぜなら、どちみち僕の言葉はかたちになり得なかったからだ。
「いくよ?」
ひどくうつくしく、兄が笑う。
言葉と同時に後ろの孔へ押し当てられた兄の昂りは、無遠慮に僕のなかへと侵入してきた。
「ひぎぃぃっ!?」
僕は目をいっぱいに見開き、思わず歯を噛みしめていた。痛い。いや、痛いなんて軽いものじゃない。激痛だ。
僕のお尻のなかで、肉が摩擦されて悲鳴をあげている。無理に拡げられた孔のふちも同様だった。
本来受け入れるための場所ではないそこは、ひどく異物を拒絶して、なんとか押し戻そうと頑張っている。それなのに兄がお構いなしに突き進んでくるものだから、僕は痛くて苦しくてたまらない。
「いだいっ!! いだいよおお! に、にいさあん!! いたいぃいッ!」
手足をばたつかせて暴れても、兄はやっぱりお構いなしだった。
それどころか僕の膝裏に手をかけて、ぐっと結合を深くしてくる。ぶつりと僕の孔が裂けたのがわかった。
「うわああああっ」
「ああぁ……、リタ。リタのなかは、とてもあたたかいね……。それ、に……ッ。僕をぎゅうぎゅうに締めつけてくる。ふふ、ちぎられそうなくらいだよ」
こんなに僕を求めて……、可愛い。と呟いた兄は、うっとりと息を吐いて小刻みに僕を揺らしてくるのだ。
「うっ、うっ!!」
まるで、僕のなかが削られていくみたいだ。兄の律動に擦られて、巻き込まれて、鋭い痛みが僕をひどく苛んでいる。
「い、たいっ! いたいぃぃ!」
痛い痛いとひたすらに叫んでは涙をこぼす僕に、兄は唇をひと舐めして言った。
「それが、愛される痛みだよ」
ぐりりと抉られる僕の身体。
目を見開いて歯を噛み、僕は引き攣れた呼吸音を漏らした。
これ以上ないくらいに口端を上げて、どこか危険な笑みを浮かべていた兄は、ふいに息を詰めた。目をゆるく閉じて、ほんのりと唇を開けて。
異様なくらい、うつくしい表情を浮かべて。
「う、ん……っ」
兄の口から艶やかすぎる唸りが飛び出した、その瞬間だった。
「あっ、あっ……!?」
僕のなかで熱がはじけて、ひどくあたたかいものが染み込まされる。どくり、どくりと脈打つ度に放たれるそれが何であるのかは、すぐにわかってしまった。
ぞわぞわとした紛うことなき嫌悪感が僕の皮膚を泡立たせて、手足の先が微かに震える。
(そ、んな……。そんな、ことって……!)
兄は僕に、吐精したのだ。
「う、うううぅっ……!」
こんなことがあっていいものか。
僕たちは、兄弟なのに。男同士なのに。
僕は、実の兄に犯されてしまった──。
「ああ……、リタ……。可愛いリタ。僕だけのリタ。僕の愛を、受け取ってくれたね?」
僕は動けなかった。返事すら、できなかった。
これは夢だ。夢に違いない。こんな恐ろしいことがあってたまるもんか。あの優しい兄さんが僕に乱暴をして、その上、その上……、強姦するなんて。
そんなのは嘘だ。まやかしだ。夢にきまってる!!
僕は心の中でそう叫んでいた。
けれど、お尻からつきりつきりと響いてくるような痛みが、残酷でありえない現実を突きつけてくる。
ゆっくりと出ていこうとする兄の性器が一瞬止まり、浅く抽挿 するような動きをして、僕の身体はびくっと跳ねてしまった。ひどくぬるついたものが孔から出ていく。全身が総毛立つ、おぞましい感覚だった。
「リタ、リタリタ……。あぁー……、なんて愛しいんだろう。愛しているよリタ。僕の、
可愛い弟……」
熱い吐息で僕を撫でて、兄は柔らかな唇を何度も押しあててくる。
なんて、言えばいいの。兄さん。
言葉が喉で絡まって、声が出ないよ。
僕の頭の中はぐちゃぐちゃだ。身体も、なかも。
手足を投げ出して放心している僕から、兄はゆっくりと離れていった。
僕の眦からは一粒だけ雫があふれて、つーっと耳へつたっていく。後孔から流れ出ようとする精液の感触と、じんじんとした痛みがいやに感じられて、僕はとてもみじめだった。
そんな僕が言葉を取り戻したのは、足首に冷たさを感じて、かしゃんという金属音を聞いたときだ。
「な、なに……? これなに!?」
頭を持ち上げて見たそれは、黒くくすんだ足枷だった。そこから古びた鎖がのびて、ベッドの脚にくくられている。
慌てて身体を起こし、僕は足を抜こうと試みた。けれど足枷はしっかりと左足首に嵌っていて、押し下げてもアキレス腱のあたりが痛くなっただけ。
「ここから出てはいけないよ。リタ。約束できるね?」
慄きあがる僕とは対照的に、兄の声はとても穏やかで。
兄はそのすべらかな手を僕の頬にあて、優しく微笑んでいた。声音も、表情も、まるでいつもの兄さんだ。
指先が僕の輪郭をなぞる。ひどく緩慢に、名残惜しむように。そして顎先から指を離した兄は、優雅な所作で立ち上がって僕に背を向けた。
「ま、待って……! 兄さん……! 待って!!」
兄の手が扉にかかる。兄は僕を地下室に閉じ込めるつもりだ。
痛む下半身を引き摺るように這って、僕は兄へ手を伸ばした。
兄はちゃんと僕の声を聞いて振り返ってくれた。そうして誰もが見惚れるうつくしさで微笑み、すこしだけ熱に浮かされたようなような声で言葉を紡ぐ。
「寂しいんだね……。ああ、リタ。僕もだよ……。片時も離れたくないのは、僕も同じ」
歪に弧を描いた薄青の瞳が僕の知らない輝きを宿している。それはきっと、狂気だ。
愕然とする僕の目の前で兄はかたちの良い眉尻をさげて、困ったような、ちょっとだけ悲しむような表情をしてみせたのだった。
「でもね、僕はやらなくてはいけないことがあるんだ。だから、良い子で待っておいで。愛しているよ、可愛いリタ」
そう言い残し、兄は扉の向こう側へ消えていってしまう。
パジャマの上だけを羽織った状態の間抜けな格好をした僕は、冷たい床に座り込んで、ただただ呆然としていることしかできなかった。
ひどく重々しく思えて仕方がない、扉を見つめて。
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