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6話 身体 前編

 悲嘆に暮れ、悲しみに暮れ、目一杯に涙を流した僕は、震える身体を抱きしめていた。  逃げ、ないと。  兄は言った。ここにいる限り、僕の声は誰にも届かないのだと。なんとかここを出て、父さんたちに助けを求めないといけない。きっと、心配してる。  まさか兄さんが僕を閉じ込めているなんて思いもしていないことだろう。しかも、自邸の地下になんて。僕だって未だに信じられない。本当にあれは兄さんなのだろうか。天使のような兄に化けた、悪魔じゃないのか。  自分の左足首を戒める鎖をいっぱいに伸ばして、綱引きのように思いっきりひっぱってみた。重いベッドは、うんともすんともいわない。 「さ、む……」  ずっと裸の格好でいるのはとても寒かった。水で身体が濡れてしまったから、尚更に。  僕のパジャマは、気がつけばどこにもなかった。兄が持っていってしまったようだ。  冷たい床に座り込み、足枷をがちゃがちゃと触る。揺すって、押して、それでもだめならひっぱって。これが取れないと、僕は地下倉庫から出ることができない。  もう、たくさんだ。  理不尽な暴力。みじめな排泄。衣服すら与えられず、兄に飼われるペットのような扱いをされる日々。 「外れろ……! 外れてよ……!」  僕は必死で足枷を弄りまわし、なんとか外せないかとがむしゃらに手を動かした。  ちゃりちゃりと、鎖が金属の音を鳴らす。黒くくすんだ足枷は冷たくて、触れ続けている指先を(かじか)ませるんだ。  金属臭くなってしまった指に、はぁっと息を吹きかけて、もう一度がちゃがちゃと枷のあわせ目を揺する。  諦めてたまるもんか。僕を助けられるのは、僕しかいないんだ。これさえ、この足枷さえ外れれば……!! 「なにをしているんだい?」  意表をついたように柔らかな声が鼓膜に響いて、僕はひぃっと情けない声をあげてしまった。  首筋に感じる、さらりとした髪の感触。ほわりと香るほの甘いシトラス。兄が、肩口から頭を出して僕の手元を覗き込んでいる。 「……外して、どうするつもりだったのかな?」  整いすぎた顔が、緩やかな動きで僕を向く。薄青の瞳は見れなかった。僕は唇を引き結んで、顔を背け、身を硬くする。  足枷を外すことに夢中になるあまり、兄が戻ってきたことに気がつかなかった。なんということだろう。  兄は、きっと怒る。  僕の口の中で、奥歯がかちかちと鳴った。 「お、怒らないで……。に、兄さん、お願い。怒らないで……」 「怒らないよ。ああ、こんなに震えて……。ふふ。怒らないから、言ってごらん?」  僕の身体が、びくっと跳ねた。首にひんやりとした指を感じたからだ。首を絞められた記憶が蘇って、とてもじゃないけれど『外に出ようとした』なんて言えない。もう、あんな苦しくて恐ろしい思いをするのは嫌だ。 「さあ」  兄の指が上がってくる。首をなぞって、喉仏を押して。  げほっと噎せる僕の顎をくすぐり、何度も何度も撫でて、兄は答えを待っている。  なにか、嘘でもいいからなにかを言わないと。そう思うのに、僕の喉はすっかり恐怖で固まってしまって、言葉を紡ぎ出すことができないでいた。 「言えないようなことを、しようとしたんだね?」  僕の口を、兄の白くてすべらかな指が割り開く。 「口の中まで震えているのかい? 可愛い……。本当に、可愛いね……。僕の弟は」  舌を掴んで、ひっぱり出そうとしている。 「ああ、歯が当たらないようにしてくれているね。優しいリタ……」  ぬるぬるとすべり逃げる舌を執拗に追いながら、兄は僕の耳に唇をくっつけさせるような距離で、微かに囁いた。 「噛んでも、いいんだよ?」  色気がひどい、ねっとりとした声で。  当然、そんなことできるわけがない。噛んだところで事態が好変するとは思えないし、なにより後が怖すぎる。  開けたままでいる僕の口から唾液が滴りそうになった頃、ようやく兄は舌から手を離してくれた。 「リタは、優しい子だね。僕も、優しくしたくなってきた……」  その言葉を、どこまで信じていいのだろう。  兄さん。エミリア兄さん。  優しい兄さんに、戻ってよ……。 「兄、さん……」  凝って固まった喉から出たのは、泣きそうな声だった。  柔らかく、包み込むように抱きすくめられる。兄の唇がちゅ、と僕の首で音を鳴らして、濡れていない方の手が、そっと僕の性器を握り込んだ。 「立てる?」  急所を握られ息を詰める僕を、兄はどこか恭しい所作で立たせてくれた。それはとても紳士的に思えて、言葉も、気遣わしげで優しかった。 「ベッドに身体を預けて、膝立ちになって……。そう、そうだよ……。上手……」  兄の手と言葉に導かれるまま、こぼれた水に濡れた場所を避けて言う通りの姿勢になる。すると、兄は僕を後ろから抱きしめたままで、僕を握った手をゆるゆると上下させるのだった。 「はぁ……っ」  あぁ、これ、だめだ。  兄の手は、僕の卑しさを簡単に引き出してしまう。すこしひんやりとして、なめらかな指で扱かれると、浅ましい熱が股へ集まってくるのを感じる。 (こんなの、こんなのだめだ……! いや、だ……)  実兄の手で感じるなんて、いけないことだ。そう思い、僕はシーツを握りしめてなんとか快楽に抗おうとした。 「震え、止まったね……」  内緒話をするように兄が囁く。あまりの恥ずかしさに顔中が急激に熱をもって、僕はそれをベッドに埋めて隠した。  くすっとした艶やかな笑声とともに、僕の秘所へ違和感が入り込んでくる。恐れが僕の心に帰ってきて身体がびくりと震えてしまったが、いつもと違って痛みはなかった。兄の指が僕の唾液で濡れているせいだろうか。  入り口のあたりだけを、ゆっくりと掻きまわされている。一本指で、すこしずつすこしずつ皮膚を伸ばすように。 「う……」  小さな唸りが、僕の口を飛び出す。  背筋がぞわぞわとしている。前を弄る兄の手淫が気持ちいいせいだ。そうに違いない。後孔の傷がほんのすこし痛んでもすぐに気にならなくなるのは、兄が僕の性器に淫らなことをしているせい。 「っはぁ……! ん、はぁ……っ!」  身体のなかがあたたかくなってきている。肌の表面までもがだんだんと熱をもって、寒さを押し除けていくみたいだった。  兄さんの指が、肉の襞をなぞりながら埋め込まれていく。 「うぅぅ〜……ッ」  妙な声が、出てしまいそうだ。  兄さんの手が僕のふしだらな先走りを纏って、くちっくちっといやらしい音を立てている。先端の丸みからくびれにまで、ぴったりと触れながら擦れる指がたまらない。  上から下まで手のひら全体で愛撫されると、張り詰めがひどくなって、敏感さが増してくるのだ。 「えっちな声だね……。リタ……」  高潔な兄さんの口から卑猥な言葉が紡がれると、僕の血液がどくりと脈をうった。 「あぁー……っ、はぁぁっ……」  僕の身体はどうしてしまったのだろう。  兄が指を出し入れする動きにあわせて、吐息に乗った声が我慢できずに出てきてしまう。  背中が、粟立っている。下腹へ勝手に力が入って、後孔がひくひくしているのを感じる。 「にいさっ……。あぁぁ……、手っ、止めて……!」 「こんなに気持ちよさそうなのに? 止めて、いいのかい?」  大きく頷いて、歯を食いしばり、声をなんとか我慢しようと試みる。だけど、だめだった。兄の指が触れるところ全てが、僕のいけない感情を強く刺激してしまう。  こんなの、だめだ。こんなの、いやだ。  何度目かわからないこの言葉が頭に浮かんだ瞬間、僕の性器をゆるく扱いていた手がぱっと離れた。  僕は安堵した。これで、もう恥ずかしい声を出すことはない。首を絞められたり叩かれなくても、性的に辱められることは十分な苦痛だ。  どうやら僕は、性器に触れられることに弱いらしいが、兄は手を離してくれた。もう大丈夫。もう、感じてしまうことはないんだ。 「……ふぅぅ……!っふ、ぅ……」  そのはずなのに。 「あ、れ……。なんで……。なんっ、で……!!」  どうして身体の熱さが引かないのだろう。どうして、僕の息は荒いままなんだろう。 「ふふふっ。リタ……、リタ……。なんて愛らしいんだい。僕の指が、欲しいんだね」  兄は手を動かしていない。ただ後孔に指を挿れているだけなのに、僕の熱は昂る一方だった。はぁはぁと詰まった息が出る度、孔が収縮して兄の指を動かそうとする。 「んあぁーっ!!」  ほんの僅かに兄の指先が動いただけで、裏返ったような悲鳴が口をついてしまった。  そんなはずない。そんな馬鹿な。僕は自分に愕然とした。 「ち、違う!! 兄さん、これは違うんだっ!!」  慌てて後ろを振り返ると、兄はすごく驚いたような顔をしていて、僕と目が合うなり泣きそうな表情で微笑んだのだった。 「僕を、感じる?」  奇しくも夢の中でみたのと同じ、司祭さまのような白い服を着た兄。天使であり、聖者のような姿の兄さんだ。  青空のような瞳が細められて、柔らかな唇がキスをする。  まるで、長く離れ離れになっていた恋人にするような切ないキスだと、経験もないのに僕は思った。 「はぁ……、っ、はぁ……っ」  身体が、びくりびくりと時々痙攣めいた動きをみせる。兄の綺麗な指からの刺激を心待ちにして、震えている。 「あ、あぁ……っ、こ、んなの、やっ……」  僕は僕の身体が恐ろしかった。情けないことに一度も性の経験がなかったこの身体は、知らぬ間に作り替えられてしまっていて、後ろで快感を得ることができるようになっていたのだ。今までは、痛みがその低劣さを誤魔化してくれていたのだろう。実兄に弄られて、感じてしまう低俗な僕を。  こんな浅ましい感覚、知りたくなかったよ。兄さん。 「はぁぁ……、ん、あぁ……っ」  頭を片腕で抱かれ、何度も唇を啄まれた。そのあいだに指が出し入れされると、腰が跳ねて、お尻が揺れて、情けなくて涙が出そうだ。 「リタ……。蕩けそうな顔をしているね……」 「に、さん……。うぅっ……! あっ、は……! 兄さん、たすけて……、にいさっ……! はぁぁぅっ……」  ぐずぐずに溶けた僕のなかが兄の指に触れているところだけ固まって、またほどけていくような。力を入れるのが正解なのか、力を抜くのが正解なのか、それすらわからない。  なかから湧いてきて、逃れることのできない甘い苦痛。鋭いようで鈍くて、けれど強く激しい快楽だ。 「リタ……」  ぬぷ、と指が抜かれると、僕の背中がしなった。蕩けそうで、媚びたような声が勝手に口から出ていったのがわかる。  もう後孔のなかにはなにもないのに、ひくひくは止まってくれない。なかの肉が蠢いて、兄を探している。  どこ、兄さんどこ。淋しいよ。って。 「っは……。はぁ……、はぁ……」  乱れた息を整えながら、ベッドについた手に力を入れる。鈍く重たい下肢にも力を送って立ち上がろうとすると、白い袖を纏った腕が手助けしてくれた。  ところどころが濡れたベッドへと優しく横たわらせられると、冷たいシーツが熱い身体に心地よかった。  兄が、靴を脱ぐ。  僕の脚をそっと曲げて座り、右手を自分の口にあてがった。色素も厚みも薄い唇から赤い色が覗いたかと思うと、綺麗な中指と薬指がするすると飲み込まれていく。  ぺちょりぺちょりと、兄には似つかわしくない卑猥な音を立てて、舐めしゃぶられた長い指。それが吐息とともに唇から出てきて、薄暗い明かりにてらてらと光っていた。 「もっと、してあげるからね」  声と同じように、優しくゆっくりと二本の指が入ってくる。たっぷりと兄の唾液を纏って、ぬぷぬぷと。 「あぁぁっ……! ひ、あぁ……!」  身体の奥から、ぞくぞくしたものが駆けていく。  僕のなかは兄の指を喜んで、絡みついては震えて離して、溶けては固まってを繰り返していた。  ああ、兄の指がなかで曲げられるのを感じる。指の腹で擦られて、抉られているみたいだ。 「ひっ、ひぃぃっ! はっ、はあぁっ……!」  目の前がちかちかする。息をするのがなぜだかとても難しくて、まるで陸にあげられた魚になった気分だった。  だめになる。このままでは、だめにされる。そう思った僕は兄の手を止めようとして、必死に上体を起こしたんだ。そうしたことで見えた光景は、ひどく倒錯的だった。  兄の手が、大胆に動いている。僕に挿れていない人差し指と小指はゆるく曲げられているのに、親指は伸びているその手のかたちすら、僕の心をおかしくしようとする。  兄の、綺麗な指が。僕の汚いところに入って、出て、また入って。  ああ、僕はこうやって淫らなことをされていたのかと思うと、なかが一層ぐずぐずに溶けた。 「あぁーっ! んあーっ!」  指を曲げられたままで手首をぐるりとまわされたとき、喉の奥から湧いたような叫びが口をついた。  言い訳しようがないくらい、僕の男としての象徴は張り詰めている。兄の指と僕の声にあわせて、ぴくぴくと跳ねている。お腹に、とろとろの透明な液体を擦りつけて。 「はぁーっ、ん、あぁー……! い、きたい……! いぎ、たい……!」  そこはぱんぱんに膨れているけれど、あと一息の刺激が足りない。恥ずかしい言葉は口から出てしまったけれど、兄の前でオナニーをするのは流石に躊躇いがあった。  そう、浅ましい僕は、こともあろうに兄の手で欲を解放したいと望んでいたのだ。 「にい、さんっ……! はぁっ、にいさん……!」  後ろを弄っているのとは違う兄の手が、僕の欲望にのびてくる。僕の呼吸は更に荒くなって、男としての最高の瞬間が待ち遠しくて鼓動が高鳴った。 「リタ、素敵だね……。可愛い。本当に、可愛い」  脳みそを蕩かすような甘い声を紡いだ兄さんが、うつくしく微笑む。今ばかりは、兄が本物の天使に見えて仕方がなかった。  すべらかな指が、ああ、僕のそこに絡みついて──。 「あっ……!? やっ……! 兄さん、なんでっ!?」

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