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9話 友達 中編

「違うよ、リタ。それは違う。マディール家 が貴族として名を連ねていられるのは、全て街の人たちのお陰だよ。僕たちは、街のみんなに生活をさせてもらっている立場なんだ」 「……うん?」  兄の言葉がいまいち理解できなくて、僕は首を傾げる。 「いいかい? 領主というのはね、治める領地に人がいて、その人々に力を借りることで暮らしているんだ」  お金や作物を納めてもらって……、と税の仕組みを教えてくれていたんだと今になって思うけれど、あの頃の僕には難しすぎて、兄が言う領主と人々の相互扶助関係がよくわからない。 「父さんが上手に領地を治めているから、街の人たちが幸せに暮らしていけるんじゃないの? 花屋のリリアおばちゃんはそう言ってたよ?」 「領主が街の人々を守り、他領との交流で得た知識を伝え、領地全体を豊かにしていく。街の人々は領主を助け、農作や加工、商業……と言うと難しいね。要はそれぞれのお仕事で、街を元気にしていってくれる。僕らにとって、街の人たちはありがたい存在なんだよ。ジェイクもそう」 「……よく、わかんない」  への字口で唸ると、兄さんは僕の頭を撫でながら『みんな、大切な人だということだよ』と要約してくれた。それでも、ほんのすこしだけわかったような、わからないような、微妙な感じだったけれど。 「クミルさんのフィナンシェは好きかい?」 「? うん」  おもむろに兄が立ち上がり、キャビネットを開ける。僕がうっかり食べ過ぎるせいで、定位置が高い場所になってしまったお菓子を取りに行ったみたいだ。 「あ、兄さん。僕、マドレーヌがいい。フィナンシェも好きだけど」  兄さんはふふ、と小さく笑って、貝殻のかたちをした焼き菓子を手渡してくれた。封を開けて噛みつくと、口いっぱいに広がって鼻腔に抜けていくバターの香り。しっとりとした生地は噛む度にほどけていって、舌の上に幸せを残していくんだ。 「それ、なにでできているか知ってるかい?」 「クミル洋菓子店の魔法!」  僕の即答に、兄の目が丸くなる。 「ふふふ……。うん、そうだね。ふふっ。うん……。ふふふっ。半分、正解」  口元に指の背をあてて笑う兄は、まだ子供だった僕から見ても、眩しいくらい綺麗だった。 「ミィナのおうちが作っているバターや、アルルテンダさんのお店で扱っている小麦粉といった、領地内で作っている材料を使っているんだよ。あとは、そうだね。ふふ。このおいしさを引き出せるのは、クミルさんの魔法かもしれないね」  『その小麦粉はなにで作るか、わかる?』と口角を上げたままで問う兄に、僕は胸を反らせてまたも即答してみせた。言葉のままだから、とても簡単だ。 「小麦!」 「そう。ジェイクのお父さんやお母さんが育てている小麦だね」  僕ははっとした。やっと、兄が言いたいことの意味がわかったような気がしたからだ。 「ジェイクのうちが小麦を作っているから、僕はマドレーヌを食べられるの?」 「そうだよ。街のみんながいるから、美味しいお菓子が食べられる。パンも、僕が今着ている服も、座っている椅子だって。彼らの力がなくてはここにないものだ。感謝しなくちゃいけないね」 「パン? 父さんが名産にしようって言ってる、セレックパンも?」 「うん。セレックパンの小麦粉も、ジェイクの家が作っている小麦が原料だよ」  衝撃だった。街の名を冠したパンの、あのもちもちふわふわ奇跡の味が、まさかジェイクの家から生み出されているだなんて。口から勝手に、『すごいや……』と言葉が漏れ出ていったくらいだ。 「そう。すごいことなんだよ。これでわかったね? もう、農民のくせになんて言ってはいけないよ」 「うん。うん……! もう言わない。約束する」 「いい子。それじゃあ、お菓子を食べ終わったらジェイクと話をしに行こうね。僕も一緒に行くから」  ね? と髪を揺らして顔を傾ける兄さんに頷きを返し、最後のひとくちを頬張った。指を服の裾で拭こうとすると、すかさず兄さんが手拭きを差し出してくれる。  『こういうとき、なにか持っていった方がいいのかな……』と兄さんが呟き、顎に指をあてて思案顔をした時だった。  カラン、と来客を知らせる鐘の音が鳴り、僕たちは顔を見合わせて首を傾げた。マリベルさんが戻ってきたのなら、わざわざ鐘を鳴らしたりはしないだろうから。  二人で玄関まで赴き、兄さんが扉を開けたところで、僕たちはぎょっとする羽目になるのだった。 「マディールさまッ! 申し訳、ありませんッッ!!」  石畳を割る勢いで頭を振り下ろす、恰幅のいい女性。その斜め後ろでべそをかいているのは、僕らが出向いて行こうとしていた目的の張本人だった。  ただ、別れたときとは随分様子が違っていて──。硬そうな毛質の黒髪から垣間見えるたんこぶは、ひとつふたつではなかった。ようは、ぼっこぼこだったということだ。 「うちの、うちの馬鹿息子が、リタ坊ちゃんをいじめていたようでして……! 本当に、本当に申し訳……!!」 「メヴィルさん、頭を上げてください。生憎ですが、両親は留守にしているもので……。ちょうど今、その件で伺おうと思っていたところだったんです」 「まぁ、エミリアさま……。……エミ、エミリアさま!? その顔の傷は、なんですか!?」 「いえ、これは大したものではありませんから……」 「ま、まさかそれもうちの馬鹿が!? ジェイクッ!! アンタァ!! 次期領主さまのお顔に傷付けるたぁ、なに考えてるんだい! このバカタレェッ!!」 「本当に大丈夫ですから! ご子息を叩くのはやめてください!」  ジェイクに落とされる直前のゲンコツに、兄も僕も大慌てだった。ジェイクのたんこぶは、母親であるメヴィルおばさんにやられたもので間違いなさそうだ。 「ジェイク。どうしてあんなことを? リタに不満があったのかい?」  おばさんに一言ことわってから、兄はジェイクに目線をあわせた。すこし屈んだ背中に隠して手招きしているのを見て、僕もそーっとジェイクに寄っていく。 「君の正直な気持ちを話してくれないかい? 僕も、君のお母さんも、怒ったりしないから」  目を赤くしたジェイクが頷くと、兄は自分が一歩下がると同時に僕の背中を優しく押した。 「……どうせ、いい気味だって思ってんだろ」 「ジェイクッ!!」  おばさんの怒声に、ジェイクの肩がびくっと跳ねる。 「……思ってないよ。だって、痛そうだもん。僕、痛いの嫌いだし」 「…………」 「ねぇ、なんで僕をいじめたの? なんで、僕を嫌いなの?」 「…………」  ジェイクは、すぐには答えなかった。僕は彼の前に立って、じっと言葉を待ったんだ。  やっと口を開いた彼は、ヤケになったみたいに声を張り上げていて。 「リタさま、リタさまって! ただ、領主の家に生まれたってだけでチヤホヤされて! ちょーっといい点が取れたら、流石マディールさまだって、みんなして持ち上げてよぉ! リタも、『どうだ、僕って偉いだろ』みたいな顔をいつもしてるしさぁ!」  無言だったところに突然の大声だったものだから、びっくりして思わず半歩下がってしまった。おばさんが怒鳴りつけようとするのを兄さんが宥め、僕はジェイクの言葉を頭の中で反芻した。  そうして、思ったんだ。いい気になってつけあがっていたのは事実だったなぁ、って。 「羨ましかったんだよ……」  消え入りそうな声で告げられたその言葉が一番の本心であることは、僕にも簡単にわかった。ジェイクが見たこともないくらい恥ずかしそうで、ばつの悪そうな顔をしていたからだ。  それを見ていると、僕も心の奥にある本音を言わなくちゃならない気がして。そうしなきゃ、フェアじゃない気がしてならなかった。 「僕だって、ジェイクが羨ましかった。いつも、友達いっぱいで。毎日、みんなの中心になって遊んでて。ずっと、いいなって、思ってた」  まさかこの悔しい気持ちを本人に言う日がくるとは、思ってなかったなぁ。  僕も猛烈に恥ずかしくなってきて、顔中がぶわっと熱くなった覚えがある。けれど言った言葉は取り消せないし、僕は話を逸らすために大声を出したんだ。 「そ、それに、ジェイクのうちが作ってる小麦が、クミルさんのお菓子にもセレックパンにもなってるなんて、知らなかった! そんなすごいうちだなんて、知らなかったんだ!」  僕が自分の家に(おご)っていたのは、間違いなかった。兄に諭されて、ジェイクの告白をきいて、確かに心のどこかで彼を見下していた自分に僕は初めて気がついたのだった。 「ごめん、ジェイク。僕、嫌なやつだったよね」 「俺も、ごめん。ひどいことして」  お互いにごめんなさいをして、兄さんとジェイクのお母さんに促されるままに、仲直りの握手をして。  ジェイクはなんだか気まずそうな、気恥ずかしそうな顔をしてた。多分、僕も同じようなものだったと思う。 「今度からは、リタ坊ちゃんとも一緒に遊んであげるんだよ!」  おばさんがジェイクの背中をばちんっと叩くと、彼は、僕からすっと目を逸らした。 「でも、俺たちの遊びなんて下らないって思ってるだろ。いっつも、そういう顔してた」  おばさんのゲンコツがジェイクの頭に落とされる。ゴヅンッ! と、ものすごく痛そうな音がした。  僕なら一発で号泣してしまいそうな一撃だったけれど、彼は『いてっ』と声をあげただけで、すこしばかり感心した覚えがある。 「うん。ちょっと、思ってた」  兄さんが、慌てたような小声で僕の名前を呼んだ。だって、これが本心だったんだもの。仕方ないよ、兄さん。 「……でも、ジェイクたちがいつもやってる、わるもの追いかけっこ。あれ、僕もやってみたい……」  小さな小さな声で更なる本心を続けると、ジェイクはきょとんとした顔をして、『お、おう……』とよくわからない返事をしてくれたんだっけ。 「僕も、仲間に入れてくれる……?」 「……これからは、友達な。あ、でも、俺はリタさまって呼ばないから」 「いいよ。僕、別にさま付けで呼ばれたいわけじゃないし」 「えっ、そうなのか? てっきり、権力振りかざして呼ばせてるのかと思ってた」 「そんなことしないやい!」  ジェイクのなかの僕は、相当に嫌な金持ちだったみたいだ。  こんな最悪の同級生だったお互いが、後に親友になるのだから、人生ってわからない。  振り返ってみると、兄さんは嬉しそうに微笑んでいた。僕はやっぱり気恥ずかしくなってしまい、誰の顔も見ないままでジェイクにまたねを告げて、逃げるように屋敷へ入ったんだ。

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