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12話 幼馴染 前編
僕の彼女、ミィナと初めて出会ったのはいつなのだろう。彼女は気がつけばいつもそばにいた、記憶がない頃からの幼馴染だ。
僕と、兄さんと、ミィナと。いつも三人で遊んでいた。
屋敷の裏にある小さな丘。そのてっぺんにある木が、僕たちのお決まりの場所。
追いかけっこをすると、必ずそこでぐるぐるまわってたっけ。僕とミィナが二人して目をまわして、まだ小さかった兄さんがおろおろしながら手を貸してくれた。
ああ、そうだ。僕は鬼役が嫌になると、お腹が痛いふりをして、心配して寄ってきた兄さんを捕まえていたんだっけ。兄さんったら、子供のときから優しい人だったから。
普段はどちらかというと気弱でお淑やかなミィナだったけれど、このときは『それはズルよ、リタ』って僕を厳しめに叱っていた。同い年で、しかも女の子の言うことだから、あの頃は怖くもなんともなかったけれど。
そういえば、下り坂を走り抜けるのが僕は好きだったんだ。自分の限界速度をいとも簡単に上げてくれる、丘の坂。これなら兄さんからも逃げ切れるぞ! って、つい調子に乗ってしまったんだよね。
「あっ……!!」
足は自分の速度についていけなくなり、もつれて、僕は顔面から見事に転んでしまった。うわんうわん泣く僕に兄さんとミィナが駆け寄ってきて、すぐに土を払ってくれた。
「大丈夫だよ、リタ。痛くない。痛くないよ」
兄さんが僕を慰めてくれて、擦り剥いた傷をふーふーしてくれた。ミィナはポケットから絆創膏を出して、貼ってくれた。
絆創膏持ち歩いてるなんてすごいなって、やっぱり女の子だなって。思えば、ミィナに初めてときめいたのはこの時だったのかもしれない。
父さんたちに作ってもらったブランコにミィナが乗って、僕が背中を押してあげた。手のひらに触れる柔らかさに、鼓動はドキドキバクバクうるさかった。
「リタ! もっと押してー!!」
風に踊るお下げ髪。はしゃいだ声。はじける笑顔。
木漏れ日で身体をまだらに染める彼女は、本当に可愛かった。
思春期を迎え、昔みたいに無邪気に遊ぶことはできなくなっても、僕たちは仲良しのままだった。
いや、そうでもないか。一時、ぎくしゃくしていた頃があったっけ。喧嘩をしたわけではないのだけれど、しいて言うなら……、そう、成長の一環だと思う。
僕の声は突然低くなり、ミィナの身体は曲線を描くようになった。僕らはだんだんと男女の違いが顕著になるお互いに、戸惑いを覚えてしまったのだ。
すれ違っても、ぎこちない挨拶を交わすだけ。友達がその場にいる時は、目すらあわせない。
僕は、それが悲しかった。それはそうだ。だって、この時すでに、僕は彼女に恋をしていたのだから。
油を差していない蝶番みたいな僕らの関係。それを憂いても、寂しく思っても、思春期真っ盛りの僕には、積極的に声をかけるなんて選択肢を選ぶことなんてできなかった。
そんな僕らの仲を取り持ってくれたのも、やっぱり兄さんだった。
「久しぶりに、かくれんぼでもどうかな?」
それはあまりに唐突な提案で、僕も、屋敷に帰るとなぜか居たミィナも、ぽかんと口を開けた。
「たまには童心に返るのもいいとは思わないかい? 僕の息抜きに付き合って欲しいんだ」
だめかい? と優雅に首を傾げた兄さんはもうすっかり大人の姿になっていて、こう言ってはなんだけど、子供っぽい遊びなんて似合わないなと思ってしまった覚えがある。
けれど、兄からのお願いなんて滅多にないことだったから、僕は二つ返事で了承したんだ。
「うん……。私も、いいよ」
ミィナはすこし恥ずかしそうだった。顔を赤らめて、ちょっぴり俯いて。
彼女を過剰に意識してしまう僕は、ドキドキが止まらなかった。
「それでは、ルールを決めよう。まずは──」
大きくなってからのかくれんぼなんて初めてだから、折角なら範囲を広げようということになって。
隠れてもいい範囲は、なんと街全域。ただし、マディール邸以外の建物内は禁止だ。街の人たちへの聞き込みも可。隠れる方も、見つける方も、なかなかに大変そうだ。
それから、シンプルにじゃんけんで鬼決めをした。
「おや、僕の勝ちだね。……うん、年上からのハンデとして、二人で僕を探すのはどうだろう?」
紙の手を翳す兄の言葉に、今度はミィナが先に頷いた。
僕たちは目を瞑り、声を揃えて数を数える。昔はぴったりと合っていた声が、この時は随分と高低差があって、僕はすこしばかりの居心地の悪さを感じていた。
百まで数えて終わり、まずは屋敷のなかを手分けして探すことにする。小さな頃からさんざん遊んできた屋敷だから、ミィナも慣れたものだ。
ティータイムを楽しんでいた両親が僕とミィナを見て意味深な顔をしたので、『そんなんじゃないから!』と慌てて否定する。
「なにも言っていないよ?」
「あなた。からかうのはよくないわ」
「はっはっは。からかうなんて。人聞きが悪いなぁ」
父さんにも母さんにも、やたらとにこにこしながら給仕をしているマリベルさんにも、兄さんの行方は訊かなかった。まだかくれんぼは始まったばかりだったからだ。決して、恥ずかしくなったからじゃない。
足早に外へ出た僕らは、よそよそしい空気を醸しながら街を歩きまわった。
兄さんの姿はなかなか見つからない。目撃情報はあれども、朝のものだったり、訊く人によってバラバラだったりと、真っ直ぐに兄さんを指し示してはくれなかった。
「エミリアさまとかくれんぼ? はぁ、そりゃあ大変そうだ。あの方、頭が良いからなぁ。どれ、応援がてらにミルクティーをサービスしてやろう。頑張れよ!」
お茶屋さんなのにいつも豪放なゲールさんが冷たいミルクティーをふたつ手渡してくれ、それを見ていたクミルさんがお茶菓子にとクッキーをくれた。他人のふりをするような距離にいたミィナにそれらを見せると、彼女は恐縮したようにぺこぺこと頭を下げていた。
歩きまわって喉が渇いていた僕らは、素直に好意に甘えることにして、噴水近くのベンチに腰を下ろした。ミルクティーを渡すときにミィナの指先に触れてしまって、カップを落としそうになったのは、今となってはいい思い出だ。
「ね、ねぇ。元気だった?」
クッキーを噛む音と噴水の音だけが静かに鳴っていた、気まずい無言の空気。それを最初に破ってくれたのは、彼女の方だった。
「う、うん。元気だったよ。そっちは?」
「私も、元気。あ、あのね。今日はエミリアさまに呼ばれて……!」
「あ、うん! なんかごめんね! 無理やり付き合わせちゃって!」
「……そ、そんなこと、ないよ……」
あっと言う間に終わってしまった会話。折角話せたのに。折角、ミィナが話を振ってくれたのに。
元気? なんて、何度も使える切り出しじゃない。次の会話を作り出さなきゃ、って、僕は一生懸命に頭をフル回転させたんだ。
「牧場の牛は、元気?」
自分がもう一人いたなら、迷わず僕の頭を叩いたと思う。下らないお喋りは得意なのに、どうしてこんな時の引き出しは浅いのか。
僕は無性に気恥ずかしくなって、ミルクティーをがぶ飲みした。考えてみれば、あのミルクティーに入っていたミルクは、ミィナの家で作っているものだったのかもしれない。
「元気よ。……モウがね、このあいだ、赤ちゃんを産んだの」
「えっ!? モウが!? お母さんになったの!?」
僕は目をまんまるにして、思わず身を乗り出していた。
モウは、僕のお気に入りというか──、友達? の一頭だ。牧場に遊びに行くと、モーモー鳴きながら擦り寄ってくるから、モウ。もちろん、命名は僕。
「うん。仔牛、とっても可愛いの」
「へぇぇー! いいなぁ! 僕もモウの赤ちゃん見てみたい!」
ミィナとなんとなく疎遠になってしまってから、モウにもずっと会えないでいた。まさか、赤ちゃんを産んでいるなんて。
この時ばかりは、ぎくしゃくする前の気持ちに立ち戻って、僕ははしゃいだ声をあげていたんだ。
すると彼女は両手で持ったカップを口元に運び、視線を彷徨わせてから、か細い声で言葉を紡いだ。
「……今度、見にくる……?」
ほんのりと赤くなった顔。揺れる瞳。
ドキッとした。ミィナの表情が、あまりにも健気で。可愛くて。
ドキドキバクバク心臓が壊れそうで、息すら苦しかったけれど、なんとか返事をしないといけない。彼女が勇気を振り絞ってくれたのだから、僕もそれに応えなくちゃ。
「う、うん……。行きたい。行くよ」
なんとかそう言葉にすると、僕もミィナも黙り込んでしまった。けれど、僕の心は大はしゃぎだったんだ。
ミィナと遊ぶ次の約束ができた! また、ミィナの家に行けるんだ! って。
もにゃもにゃと緩んでくる口を必死に堪えて、横目でこっそり様子を窺うと、ぱっちりした目がこっちを見ていた。
「んふふっ……」
「あはっ……」
僕と、おんなじ表情をして。
「あー、なんか、馬鹿らしくなってきた!」
「私も。うふふっ。も、リタったら……。変な顔!」
「ミィナこそ! もにょもにょの口してたよ!」
「もにょもにょってなあにー!」
二人で、無意味にからからと笑って。
彼女のお下げ髪が揺れて肩をすべる。屈託ない昔のままの笑顔はやっぱり可愛くて、胸の奥がこそばゆくなった。
「行こ。エミリアさま、きっと待ってるわ。はやく見つけてあげなくちゃ」
「ん! おやつも食べたし、気合い十分!」
ミィナはクッキーを一枚残して、丁寧にハンカチ包み、ポケットにしまっていた。あとでエミリア兄さんにあげるんだって。
二人で再び街を歩きながら、ああでもないこうでもないと兄さんが隠れていそうな場所を予想しあった。
「学校のあたり?」
「兄さんは人の迷惑になりそうな場所には行かないよ。もっと静かな……。花畑の方とか?」
「ううん。ずーっと向こうで訊いたら、エミリアさまは来てないって。あっちじゃないわ」
「うーん」
「うーん」
二人揃って唸り声をあげたあと、僕らはほとんど同時に『あっ!』と声をあげたんだ。
「「裏の丘!!」」
街を駆けて、うちの屋敷を大きくまわり込んで。晴々とした青空の下、僕らは丘に聳える一本木を目指して坂を駆け上がった。
「あれ、違ったのかしら……」
すこしだけ息を弾ませて、ミィナは辺りを見回す。僕は、ちゃんと気がついたよ。
大空を仰ぐように枝を広げた思い出の木。その陰で、風に揺れる白銀の煌めきが見えたから。
「エミリア兄さん、みーつけ!」
「ふふ。見つかっちゃった」
「やっぱりここだったね! ミィナ! 僕たちの考えは間違ってなかったよ!」
「うんっ!」
ミィナが笑う。兄さんが微笑む。
木の幹に手をついて僕らを見ている兄は、どこかほっとした顔をしているように見えた。
このとき、僕は気がついてしまったんだよ。兄さんが急にかくれんぼなんて言い出したのは、僕とミィナのためだったんだって。僕たちを仲直りさせるための、作戦だったんだ、って。
(ありがとう。にいさん)
ミィナには聞こえないように、口をぱくぱくさせて、言葉を形作る。すると、兄は笑みを濃くして、緩やかに首を振った。
「えへへ。ここに来るのも、なんだか久しぶり」
すっかり元の明るさを取り戻し、お手製ブランコに触れるミィナ。野ざらしで色が落ちた板に座り、彼女がロープを握ったその時、事件は起きた。
みしっ、ぷちんっと、嫌な音がしたなと思ったら、ふわっと宙に浮いたミィナのお下げ髪。
「危ないっ!」
兄さんが慌てて腕を伸ばして、彼女の身体を抱きとめたんだ。
彼女はなにが起きたかわからないみたいな顔をして、自分の手に視線を向けた。それから、太い枝から下がる千切れたロープを見て、すぐ近くにある兄さんの顔を見て、最後に僕を見た。
ぼぼぼっ! と音が聞こえてきそうなくらいの勢いで顔を真っ赤に染めた彼女には悪いけど、僕は込み上げてくる笑いが抑えられなくて。
「ぶっ! ぶははっ! 千切れた! ブランコ、千切れ……っ! あははははっ!!」
だって、そういう年頃だったんだもん。なんでもかんでも笑えてくる、そういう年齢だったんだよ。
「ひ、ひどい! リタひどい!! ばかーっ!」
「ごめっ、ミィナ、ごめ……。うくく、あはははっ!」
ミィナから腕を離した兄さんは、物言いたげな目を僕に向けていた。
「……ごめんよ。実は、さっき僕が座った時に、ロープが切れそうになってしまって。言えばよかったね」
伝えるのを忘れていたのだと眉尻を下げた兄さんの言葉は、嘘だ。それくらい、僕にはすぐにわかる。兄さんが危険なものをそのままにしておくわけがない。もし本当に座ったのだとしても、ミィナがブランコに触った瞬間に、絶対思い出すはずだ。
これが紳士かぁ。すごいや兄さん。かっこいいなぁ。
なんとか笑いを治めた僕は、素直に尊敬の念を抱いたものだった。
「なぁんだ。兄さんだったのかー。ごめんごめん。ミィナ、大丈夫?」
話にあわせて取り繕った僕の言葉はちょっとばかり棒読みだったけれど、ミィナの後ろで兄さんは頷いてくれた。
僕と兄さんの意思疎通はばっちりだった。伊達に、生まれてこのかたずっと兄弟をやっているわけじゃない。
「うん。へいき。エミリアさまが助けてくれたから……」
「怪我がなくてよかった」
いつか、僕もスマートに女性を助けられる男になりたい。兄さんのような素敵な紳士に。そうしたら、ミィナも僕を好きになってくれたりしないかな……。
木の葉が風にそよぐさわやかな音のなかで、僕はそう考えていた。
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