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15話 糸

 ぴちゃ、ぴちゃ。  濡れた音がする。僕の股座(またぐら)で、鳴らされてる。 「ふ、う……! うぅっ……んっ」  僕の身体はどこもてかてかだ。肩まで服をはだけさせられて、さっきまでは乳首を執拗に舐められていた。  左側だけが異様に赤くなって膨らんでいるのは、兄さんがしつこく吸いついたせい。そこをひんやりとした指先で弾かれると、はしたない声が僕の口を飛び出していくのだ。 「ん……。はぁ……」  熱い吐息が僕の尻肉をすべっていって、ぬるぬるとした感触が後ろの孔をつつき、抉る。兄さんの舌は硬く尖ってなかへ入ってきたかと思うと、するりとほどけて、優しく労わるような愛撫をしてくれる。それがたまらなく身体を震わせて、柔らかな快感が涙になってあふれ出そうになる。  ひっくり返ったカエルのようなまぬけな姿を晒し、ひたすらにベッドをひっかく僕。シーツはもうぐちゃぐちゃだ。  今日の兄さんは、なんだか意地悪だった。  もっとなかをぐりぐりして! と思うと、唇が離れていって、今度は性器を舐められる。  頭が正気に戻り、意識を強く保とうと考えれば、嘲笑うように乳首を弾かれる。そこにきて後孔に指を挿し入れられれば、僕の頭はどろどろに溶かされてしまいそうだ。 「ひっ、ひぁっ……!」  前に齎される蕩けた感触。なかから壁をひっかかれる、目眩のする気持ちよさ。  兄の銀髪が揺れている。じゅぶじゅぶと背徳的な音を立てながら僕を啜っている。時折舞う指が内腿をなぞって、根本を扱いたりするんだ。  最近、兄の手はすこしがさついてきて、それがまた予期せぬ刺激を生んで──。 「あ、あ! あひっ……!」 「まだだめだよ。達してはだめ」  兄は恐らく、僕の身体を知り尽くしてしまったのだろう。僕はなにも言っていないのに、全部見透かされてる。だからこんなにも絶妙なタイミングでお預けを食らうんだ。  けれど、僕の身体はあまりに欲望に忠実で。逆らうな、我慢しろって頭がどんなに厳しく命令しても、快感を甘受することばかり求めてしまっている。 「ああっ、やぁっ!! だめぇッ、だめだぁっ! うぅんんんッ!」  下唇を噛む。足の指が勝手に曲がっていく。堪え性のない肉体は出たり入ったりする指の感覚を喜んでしまって、大きく震えた。  だめだ。出る。出てしまう。  ああ、でも、兄さんはだめだって。達しちゃだめだって、言ったのに。  兄さんが見てる。目が、だめだって言ってる。  ああ……、兄さんの口……。濡れて光って、綺麗だ。つい今まで、僕のあそこを咥えてたから……。 「あぁぅぅっ! ん、ふぅぅッ!」  兄さんの口のなか、あったかかったな……。  すごく、すごく、とろとろで。  気持ち、よかったなぁ。 「ひあああああっんっ!!」  大きく波打ち、欲を放つ僕のそこ。その瞬間に擦れた兄の指にすら悲鳴をあげて、僕は束の間の幸福感に身を委ねていた。 「はっ……、あぁ……ん……」  天井へ向けて放った僕の声は冷えた空気に溶けて、身体がびくんと震える度に後ろの孔が収縮する。締めつけた兄さんの指がイイところを押し、精液がとろりと滲み出る。すると声が出て、身体が震えて、兄さんの指がなかを──。  ふしだらで最高に気持ちのいいループに陥っていた僕は、上体を起こして兄を見た瞬間に、さぁっと血の気が引くのを感じた。 「あ、あぁ……っ。ご、ごめんなさい。兄さん、ごめんなさいっ!!」  兄のうつくしい顔。頬や鼻、前髪にまで、僕のはしたない白濁が飛んでしまっている。  僕の後孔から引き抜いた指でそれを拭った兄は、感情の読めない顔で、僕の浅ましさに汚れた指先を見つめていた。  薄青の瞳が、すぅっと僕に向けられる。  かけてしまったことは元より、兄の言いつけを守らずに射精をしてしまった。言うことを、聞かなかった。  がたがたと、さっきとは違う意味で身体が震え出す。 「ごめんなさい! ご、ごめんなさいッ!!」  近づいてくる兄が恐ろしくて、顔の前に腕を翳した。すぐに掴まれ、下ろされて、ほとんど意味はなかったけれど。 「ああ、リタ……。なんて、綺麗な瞳なんだい? うるうるに揺れて……」  とろとろに蕩けそうな声と表情で、兄は言った。 「飴玉のようで、美味しそう……」  ぎゅっと瞑ったまぶたをこじ開けられ、兄さんの唇が近づいてくる。  魅惑的なうつくしさの唇。白い前歯。その隙間から這い出てくる舌で、視界がいっぱいになってしまう。 「や、やだ……! エ、エミリアにいさ……! 許して……!」  眼窩に食い込ませるようにして開かれているまぶたは、閉じさせてもらえない。兄の舌はまさに目の前にある。近すぎてぼやけるくらい、近くに。  二センチくらいは距離があるかな。兄さんの、赤い舌べろ。ああ、そうこう考えているあいだに、もう一センチもない。  兄さんの舌が触れる。触れちゃう。  怖い、怖いよ。酷いことをしないで。痛いことをしないで。  お願いだ、殺さないで……。  ついに兄の舌と僕の眼球は、逢瀬の時を迎えてしまった。 「ひっ!」 「はぁ……」  濡れたあたたかさが僕の目を這う。不思議と痛みはなかった。ただ、ものすごく違和感がある。  兄は恍惚の息を何度も吐きながら僕の目を舐め、あまりに近くに見える口端に唾液を光らせていた。  そのあいだ僕はずーっと息を殺して、目を傷付けられませんようにと願うだけ。どこにやればいいのかわからず固まってしまった腕すら、そのままにして。  時折、眼球全てを食べてしまおうとばかりに兄は吸いついてくる。口でぱくりと覆われて、視界が半分真っ暗になるんだ。  ちゅうちゅうと吸われて嚥下する音が鳴らされると、僕の右目はちゃんとまだあるのかと心配になる。恐怖の振動の力で、僕の下睫毛から涙が落下したのを感じた。 「んは……」  名残惜しげなぬめりが表面を撫で、眩しい光が戻ってくる。埃っぽくて薄暗い地下室がこんなにも明るく感じられたのは初めてのことだった。 「あぁ、リタ……。可愛い。可愛い僕の弟……。食べてしまいたいくらいだ……。愛おしい……」  熱に浮かされたような声を耳に吹き込み、兄は僕を抱きすくめる。 「愛しているよ」 「君さえいれば、僕はなにもいらない」 「君の全てが、甘美だ」 「僕のすべて。愛しいひと」  甘い言葉で紡がれ続ける愛に、僕は溺れてしまいそうだ。  うっとりするほど耳触りが良いのに、一言一言がひどく重たい。頭と思考を溶かして、押し流して、僕を縛り、押し潰す。  甘い声は見えない鎖だった。心も身体も、意思をも絡めとる蜘蛛の糸。 「君は、僕のもの。そうだね?」  ちゅく、と湿った感触を耳孔に挿し込まれ、柔らかに全身をまさぐられる。そのあいだにも兄は僕への愛を囁き続けた。  綺麗な言葉で。情熱的な声で。腰が砕けそうなくらい、色っぽく。 「は、い……。エミリア、にいさん……」  気がつけば、そう呟いていた。  頭なんてまわっていない。口が勝手に、譫言(うわごと)を。  それでも兄さんは泣きそうな表情で微笑んで、僕にキスを与えた。  おかしい。おかしいよ、兄さん。  どうして、兄さんはこんなにも綺麗なんだろう。  兄さん──。  兄の綺麗な肌が汚れているのが無性に嫌になって、僕は自分の放った白濁に口を寄せた。そっと舐め取って、唇で後拭きをするように肌を撫でる。苦くて、青臭かった。 「リタ……。僕にも、おくれ?」  薄く開かれた兄の口に、僕は舌先についた苦味をおくる。煌めく睫毛を伏せてうっとりとした表情を浮かべる兄を至近距離から眺め、解放されたら鼻についた白濁へ。舌で掬って、兄へ。鼻と鼻とが擦れてしまったときに僕についてしまったものは、兄さんが直接舐め取ってくれた。  額に散った僅かな精液も見逃さずに、しっかりと綺麗にした。うつくしい銀髪から唇の肉たぶでこそげ取った時には、ほの甘い香りが鼻腔へと抜けていってくらくらとしてしまった。  舌が絡まる。指が絡み合う。 「愛してる……。リタ、愛しているよ……」  兄の愛が、僕に絡みついて離れない。  僕と兄が絡まっていく。ひとつになる。僕と兄を隔てるものがひとつずつ取り除かれていくような、そんな気さえした。  事実、僕らの身体を隔てるものはもうなにもない。服も、空気すらないんだ。  唇も胸も両手のひらも、あそこだってぴったりとくっつき合っている。兄さんの素肌はすべらかで、あたたかくて、僕とよく似た色をしていた。互いの顔をくすぐり合う髪も、どちらも同じ銀の色。  ねえ、兄さん。僕たち、実は意外と似てたのかな。  だって、だってね、兄さん。繋いだ手も、口の中で行ったり来たりする唾液も、どこまでが僕のでどこからが兄さんのものなのかわからないんだ。 「んぅぅゥン……! ぷぁっ! あっ、ああっ、ひっ……! んあぁー……ッ」 「っは、ぁ……! リタ……。可愛い……。綺麗だ」  そんなことを言うから、尚更わからなくなる。  この、綺麗な人は? 薄青の瞳を細めてうつくしく笑うこの人は、僕なの? 兄さんなの? 「に、さ……! にいさ、どこっ……。あああんッ! 兄さあんッ!」  不安に駆られて叫び声をあげれば、僕を揺らし、穿ち、綺麗な人は優しい声で言う。 「ここだよ。ここにいるよ。僕は、ここ」  すぐ目の前に。そう続けたのは、本当に兄さん? 「あ、あぁっ……! にいっ……! 名前、呼んで……! 僕の、名前っ!」  薄い唇が動く。たった二つの短い音を、極上の祝詞のように紡ぎ出す。  『リ・タ』って。僕の名前を。  ああ、兄さんだ。僕の名を呼ぶこの人は、兄さんなんだ。 「エミリ、アっ……。エミリア、にいさんっ……! はんんぅッ! あッ、あぁッ! エミリア兄さぁんっ!」  ヂャリ、ヂャリ、と鎖が鳴る。白い包帯に鮮やかな赤色が滲む。  左の足首に嵌まる物々しい足枷。右腕に巻かれた仰々しい包帯。互いが唯一身につけているこの二つが、どちらが兄さんでどちらが僕なのかを示すものなのかもしれない。とろとろでぐちゃぐちゃになった脳みそで、漠然とそう思った。  荒くて熱い息を吐いて、時に食べ合う。深く繋がり、絡み合う。  執拗な愛撫とねっとりとした腰使いに翻弄されながら、僕は兄と蕩け続けた。  行為が終わる頃にはクタクタになってしまって、身体が鉛人形にでもなってしまったみたいだった。もう、すこしも動けそうにない。  兄さんはそんな僕に寄り添って、腕枕をしてくれた。布団もかけてくれた。そうして僕の頬を撫で、髪を梳き、肩を抱く。 「もしもこの世界に僕ら二人しかいなかったら、素敵だと思わないかい?」  眠る直前に読んでもらった絵本のような、穏やかで、夢を語るような声。 「たった二人で、ずっと愛し合うんだ。世界が終わるまで、ずーっと……」  額を掠める指の感触がひどく心地いい。柔らかで、時々尖って、なにより優しい。  とろんと溶けて微睡む僕の意識には、兄の声が心地よい子守唄に感じられた。

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