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第4話
「先生~!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
夕方、光哉たちと別れた悠は、ルーティンである化学準備室を訪れた。
もはや止めても無駄だと分かっている神崎は、視線だけを悠に向ける。
「先生、チラ見しないでくださいよー。なんか言ってください」
「生徒は立ち入り禁止だぞ、と言っても君は聞かないだろう。だから何も言わない」
「先生~」
神崎の意見は尤もである。ここは本来生徒は立ち入り禁止の化学準備室。
ただ、あくまでそう言っているだけで、実際に生徒が来たとしても外部の人間でない限りは行使できない。
追い出せないし、言っても聞かないしであれば何も言わないという選択は正しい。
「先生、夏休みなのに何をしているんですか?」
言って、さりげなくカバンを神崎の目の前に置いてみる。
「教師にも長い夏休みがあるとでもおもっ・・・」
言いながら、ドカンと目前に置かれたカバンを反射的に見ると・・・。
そこには神崎を黙らせる『あるモノ』がぶら下がっていた。
「・・・これは?」
来たッ!
悠が思った通り、さっそく神崎が『あるモノ』に気付く。
ニヤリ。
思わず『やったー!』と飛び上がりたい衝動を抑え、悠は冷静に、さりげなく神崎を見る。
「これですか?」
『あるモノ』を触り悠が問う。珍しく神崎がうんうん、と頷いた。
「デイノケイルスですよ」
覚えたての名前をまるでずっと前から知っていたかのように言う。
我ながら、練習したかのような演技力だ。
「君も恐竜展に行ったのか?」
「行きたかったんですけど。。どうしても都合が合わなくて。。。行った友達に買ってきてもらったんです」
自分でも驚くぐらい、次から次へ嘘がスラスラと出てくる。
「そうだったのか」
「これだけはどうしても欲しくて」
チラッと神崎を見る。ここまでは予想通り。完全に喰いついている。
「僕はまだまだ恐竜に詳しくなくて…。でもこのデイノケイルスは、なぜか興味あるんですよねー」
「君もか。その気持ちは良く分かる。デイノケイルスは長きに渡って謎の恐竜だったから」
「ですよね!」
そう言えば、光哉も同じようなことを言っていた。
もちろん、悠自身はそんなことは知らないし、聞いたこともない。
恐竜に興味のある者にとって、デイノケイルスは特別な存在なのだろう。
悠の企みも知らず、神崎は時折頬を紅潮させ熱く語り始めた。
デイノケイルスは、モンゴルで骨格の一部が発見されてから50年以上謎の恐竜であったこと。
大きな手を持ち、恐ろしい恐竜だと思われていたが、研究をしていくうちに雑食で、子育てまでしていたこと。
最近の研究で、恐竜のことがかなり詳しく分かるようになってきた。
以前は、アラスカ北極圏に恐竜はいなかったと思われてきた。
当時の地球は、今よりも暖かかったが、北極圏では雪や氷に覆われていた季節があったはずだ。しかし、そんな北極圏にも数種の恐竜が生息していたのだ。
寒い時期をどのように生き延びていたのか・・・。
種類によっては、白い羽毛に覆われ、かなり頭脳が発達した恐竜もおり、その聡明さを活かして命を繋げていた可能性もある。
最新技術でたくさんの事実が解明され、研究者はもちろん世の恐竜ファンも心躍らせている。
そんなことを楽しそうに話す様子は、まるで子供のようで、神崎が本当に恐竜が大好きなのだと改めて分かる。
話しを聞いているうちに、悠もだんだん恐竜への興味が湧いてきた。
「先生も恐竜展へ行ったんですか?」
「もちろんだ。初日の朝に並んだよ。これもその時に買ったものだ」
言って、ピンク色の可愛いぬいぐるみを持つ。
相当のお気に入りなのか、ぬいぐるみを見つめる目が優しい。
「遥か昔、本当に恐竜たちがこの地球上にいたと思うとわくわくしますね」
悠の口から素直な気持ちが出た。きっかけは不純な動機ではあったが・・・。
大昔、恐竜は確かにこの地上に存在していたのだ。
当時この地球には、令和の時代では想像も出来ない風景が広がっていたに違いない。
デイノケイルスを含め、色々な種類の恐竜が暮らしていたかと思うと本当にわくわくした。
「卵が残ったままの巣や、生まれた子供と一緒にいる化石も見つかっている。以前、恐竜は卵を産みっぱなしにしていたと思われていたが、化石の様子からきちんと子育てをしていたことまで分かったんだ。日本の研究者もこの発見に一役買っているんだ。突然絶滅した彼らが、現代人へ何かを訴えている気がしてな。。隕石が地球に衝突して恐竜が絶滅したことは知っているだろう?」
「はい」
「隕石衝突の影響で、千キロ以内にいたものは即死。マグニチュード10を超える地震が発生し、300メートルを超える津波に襲われた。恐竜を含め、何も分からない生物がいったいどんな思いで絶滅していったかと思うと・・・想像しただけでもつらい・・・」
神崎が言葉に詰まる。
悠は、ふと透が言っていた言葉を思い出した。
『穂高は変人だから。人間に興味がない恐竜マニア』
確かに恐竜マニアかもしれない。人間に興味がない変人かもしれない。
しかし、普通の人では感じない熱い感情を持っている。
悠の、神崎への想いはますます増していった。
一目惚れとか、タイプだったとか、そんな言葉で片付けられない。神崎という一人の人間に惹かれている。
「先生。ぼく恐竜展に行きたい」
「そうだな。今年の恐竜展は絶対に行くべきだ。デイノケイルスの全身骨格なんて、次にいつ見られるか分からないし。それに、この日本でも恐竜がいたんだ。まだしばらくやっている」
今年の恐竜展は、デイノケイルスの全身骨格が世界で初めて披露され、さらに日本で初めて大型恐竜の全身骨格が発見された巨大竜の公開等、注目を浴びている。
「行きたいなあ・・・」
チラッと神崎を見る。
「行けば良い」
『だよねー』な一言。はい、想定内!悠は神崎にグッと近づき、真剣な表情で見つめる。
「先生、僕を恐竜展へ連れて行ってください」
「は?」
「友達はすでに行っちゃったし、僕一人だとちょっと・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
今までなら間違いなく「断る!」と瞬時に返ってきたはずだ。
しかし、神崎の瞳は明らかに揺れていた。悠から見ても動揺を隠せない表情だった。
「・・・ダメだ」
しばし考え、言ってから視線を逸らす神崎。次の瞬間、視界へ入り込み、再び悠が見つめる。
「僕、先生と行きたいです」
「ダメだ」
「どうして?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
視線をそらさずにまっすぐと見つめてくる悠に神崎はたじろぐ。この視線に神崎は弱い。
視線を変えず、こんなにも強く人を見つめられるだろうか。
人間が大人になるとともに失われる行動の一つかもしれない。
「・・・教師と生徒が、2人きりでは行けない」
「どうして?先生と僕が2人で出かけたらいけないの?」
「当たり前だ」
納得がいかない、と悠の目が抗議している。
「教師が特定の生徒とプライベートで会うなんて許されない」
「誰にも言わなきゃ分からないじゃん」
「そういう問題じゃないだろ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
しばらく睨み合う2人。自分の感情に正直な視線と、迷いがある視線。
お互いの感情がぶつかり合う。
「もし誰かに見られたとしても、恐竜の勉強にもなるんだから良いじゃん」
一歩迫って来る悠に対し、神崎は一歩下がる。
「どうしても先生と行きたい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「良いよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「先生・・・」
『そんな目で見るな』と言いたいぐらい、悠の瞳が攻め込んできた。
逸らしたいのに、その瞳から目が離せなくなる。拒否していたはずなのに、なぜか本心では一緒に恐竜展へ行きたいという気持ちがある。
「・・・ああ、分かった」
そう、ただ一緒に恐竜展を見に行く。ただそれだけ。何も問題はないじゃないか。
「え、じゃあ・・・」
ぱぁっ、と悠の瞳に光が宿る。
「仕方がないから、君と行ってやる。ちょうど、もう一度行きたいと思っていたところだし」
精一杯の強がり。
「先生、ありがとう!」
「わっ、抱き着くな!」
神崎に向かってジャンプした悠は、そのまま胸の中へ着地する。
思わず受け止めた神崎だが、すぐにその小柄な体を引きはがした。
「先生テレてる」
「バカ言うな」
「先生と初デート!」
「なっ、何を言って・・・」
動揺する神崎だが、悠は全く気にしない。
「あくまで恐竜展を見に行くだけだぞ」
「分かってますよ。あー、楽しみ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
すでに何も聞いていない。すっかり悠のペースに巻き込まれている。
『こんなキャラじゃない!』
と声を大にして言いたい。しかし、当の悠はどこ吹く風。
本当に大丈夫なのか?
生徒と2人きり。夏休みに出かけて行くなど、聞いたことがない。
しかし、だからと言って断る気持ちもないのが事実。
こんなはずじゃなかった・・・
心の中で叫んでも、目の前の悠には到底届かなかった。
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