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第5話
真夏の日差しが容赦なく降り注ぐ8月の金曜日。
2人は恐竜展が開かれている上野駅で待ち合わせをした。
悠にとっては、初めてと言っても良い『デートのための待ち合わせ』であり、嬉しさと緊張からか、前の晩は中々寝付けなかったほどだ。
予定より2時間も早く目が覚めてしまい、しっかりと身支度を整えた悠は、上野駅までの道程をゆっくりと楽しんでいる。
30℃を超えているはずなのに、暑さは全く感じていないから不思議だ。
ほとんど来たことがない上野に、悠はキョロキョロと駅構内を歩いた。
オシャレなお店や飲食店が並んでいて、すれ違う人すべてがハッピーに見える。
しばらくして、待ち合わせ場所へ到着するが、まだ神崎は来ていない。
約束までまだ50分はあるから当たり前だが…
早すぎると分かってはいても、家にいることが出来なかった。
1分でも早く、長く神崎といたいから。
悠は、スマホを取り出し画面をのぞき始めた。
「早いな」
突然の声にびっくりして振り返る。すると、そこには科学準備室とはガラリと雰囲気の違う神崎が立っていた。
「ちゃんと昼ごはんは食べたのか?」
「先生!」
「な、なんだっ、離れろ!」
神崎の顔を見るなり、悠は思わず抱きついていた。
すぐに長い腕に阻まれるが、悠の瞳はキラキラと輝いている。
「先生、かっこいい!」
「は?熱でもあるのか?」
相変わらずな返答だが…
改めて見る神崎は、やはりかっこ良かった。学校とは違うメガネをかけ、白衣を脱いだラフな姿。誰もが認めるであろうイケメンである。
「だって先生。。学校にいるときより、さらにカッコイイから・・・」
「本当に熱があるんじゃないか?」
「わ!」
言って悠の額に手を当てる。わざとなのか、、単に熱があるかを知りたかったのか。
大きな手に触れられ、心臓が飛び跳ねるぐらいびっくりする。
少し触れられただけだが、それだけで本当に発熱してしまいそうだ。
「熱はないようだな」
「有りますよ、先生に対してだけ…」
一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの神崎に戻ってしまう。
「バカを言うな、行くぞ」
ニヤリ。
すでに歩き始めた神崎の後ろで、悠がプッと吹き出す。あれは完全に照れている反応だ。
「先生、待ってください!」
「腕をからませるな!」
前を行く神崎の腕に手を絡ませ、2人は上野恩賜公園の中へと向かった。
夏休みの最中とあってか、上野恩賜公園には平日でも親子連れや観光客が多い。
かなり久しぶりにここを訪れた悠は、前を歩く神崎とはぐれないよう早歩きをしつつ、見慣れない景色を見ながら歩く。
歩く速さはだいぶ違うはずなのに、何故か2人の距離は一向に広がらない。
ふと、不思議に思い足を止めてみる。すると、一定距離を進んだ神崎が、ピタリと止まってはまた歩き…を繰り返していることに気付く。そんな後姿に、悠は完全に心を掴まれた。
「先生!」
神崎の元まで走り寄ると、悠はピタリとくっつきそうな位置まで接近する。
チラッと一瞬悠を見てから、少しだけ歩く速度を落とした
「・・・この間も言ったが、デートじゃないからな」
「え、違うんですか?完全にデートのつもりで来ましたけど」
「違う!恐竜展を見に行くだけだ」
『それをデートと言うんじゃ…』というセリフを寸前で飲み込んだ。
見た目は怒っていても、決して本気ではない。
それどころか、悠の『勝手な視線センサー』では、どこか嬉しそうな表情にさえ見える。
それが、悠は素直に嬉しかった。おそらく嫌われているわけではない、と思う。
再び『勝手な視線センサー』から見ると、悠に対して嫌いな感情はない。
そもそも、嫌いだったら大好きな恐竜展に、一緒には行かないだろう。
すぐ隣に神崎がいる奇跡的な状況に、悠は手を繋ぎたい衝動に駆られる。
しかし、それを阻むのは、神崎と駅で会ってからずっーと続いている
”すれ違い様のチラ見”だ。
駅からここまで、すれ違うほとんどの女子がチラチラ、ヒソヒソ…
もちろん悪い意味ではない。
絶対に『イケメン!!』と思っているのだ。
確かに、神崎ほどのイケメンはそうそういない。
年齢問わず、ほぼすべての女性が二度見したり、目を見開いたり…その反応が悠の落ち着きを奪っている。しかし、当の神崎は全く動じていなかった。
慣れているのか、気付いていないのか…。
『確かめたい』と、悠は思った。
「先生」
「いつものことだ。気にするな」
「え…」
気付いてた??
落ち着かない様子の悠を神崎はとっくに気付いていた。
「もしかして・・・、いつもこんな感じなんですか?」
「まあそんなところだ。そのうち慣れる」
「慣れるって…」
そんなことあるかー!と抗議したい。
確かに、今日に限ってのことではないだろう。
しかし、女子の熱い視線に慣れることなんてあるのか。
疑問は解決されないまま、2人は恐竜展の会場まで歩いて行った。
会場でも、その熱い視線が続くのか、、と密かに心配をしていた悠だが、ここは恐竜展。
女子はほとんどいない、マニアの聖地であった。子供から大人まで、全ての人が周りの人間など気にせず見入っている。
少し薄暗い会場には、予想よりもはるかに多い人でごった返していた。
失礼な話だが、恐竜展はのんびり優雅に見られるものと思い込んでいた悠である。
油断をしたら、すぐにでも人並みに流されそうになる程だ。これだけたくさんの人が恐竜展を見たいのか、と少々驚いてしまう。
「はぐれるな」
「え…」
どうしたら良いのか、戸惑っている悠の腕を神崎が掴む。
そのまま引き寄せると、自分の腕に悠の手を掴ませる。完全に『腕を組む』状態になり、悠の心臓が一気に跳ね上がった。
「先生?」
「手をつなぐよりは良いだろう」
「いえ、僕はつないでも…っ」
いや、むしろ手を繋ぎたいと口に出す前にジロっと睨まれる。
そう、余り欲を出してはいけない。いま、こうして神崎と2人きりでいるのも信じられないことなのに、腕を組むなんて、すでに奇跡だった。
そんな幸せな雰囲気に浸りながら歩いていた悠だが、目の前に突如現れた大きな恐竜にたまげてしまった。歩みを止め、足元から頭のてっぺんまでを見上げる。
「これ…」
悠が生まれて初めて見る恐竜の全身復元骨格だった。
「デイノケイルスだ」
「これが…あのデイノケイルス…」
科学準備室にあったぬいぐるみの全身骨格が、いま目の前にある。
もちろんピンク色ではないが、悠は物言わぬその全身骨格に釘付けになった。
「大きい…」
全長約12メートルほどあるだろうか。この恐竜展で一際目立つ存在だ。
「世界初公開だぞ」
そうだった・・・。
全身の骨格が見つかって、まだ数年しか経っていないこのデイノケイルスは、この日本が世界初お披露目である。これは専門家やファンにとっては、非常にラッキーなことだ。
そして、悠にとっても、デイノケイルスがきっかけとなり、今、この場に神崎といられると言っても過言ではない。そう、あくまで神崎と出かけることが目的だったはずが、いざ自分の目で見てみると俄然興味が湧いてきた。
「手が大きい…」
そう言えば、あの可愛いぬいぐるみの腕も大きかった。
「デイノケイルスと言う名前は、この大きな手から来ている」
「え、そうなんですか?」
「初めて発掘されたとき、腕だけで2メートル以上あったデイノケイルスは、その特徴から名付けられたんだ。ちなみにデイノケイルスとは“恐ろしい手”という意味だ」
「えー、全然おそろしくなんてないのに」
ピンク色をしたぬいぐるみの印象が強いためか、悠にはどうしてもこの恐竜が“可愛いもの”としか思えない。
「当初、大きな腕だけしか発見されなかったから、この腕の持ち主の全体像がつかめず、どれほど大きな恐竜かと恐れられたのかもしれないな」
「なるほど!」
改めて、目の前の全身骨格を見上げると、大きな腕が非常に特徴的だった。これほど大きな腕だから、日常でもこの腕を生かしていたのだろうと推測できる。
「ほら、胃石があるぞ」
「え…」
神崎に言われた先を見ると、大きな石が展示されていた。
「胃石?」
「デイノケイルスには歯がない。この腕を使って植物を取っても噛めないから、石を飲み込んで、胃の中で葉を消化していたんだ。だいたい1000個はあったはずだ」
「1000個も!すごい!こんな大きな石が胃の中に??」
「デイノケイルスは、大きな腕と鉤爪があることから、ずっと獰猛な肉食恐竜だと思われていたんだが、胃石や魚が胃の中から見つかったことで、雑食性恐竜だと考えられている」
思わず“へえ”と声が出る。恐竜には全く疎かった悠は、見ること聞くことすべてが新鮮だ。
「これが卵だ」
「!」
続いて現れた卵の化石。細長い卵が綺麗なドーナツ状の円形で並んでいる。
「こ、これ…本当に??」
いったいどれ程前の卵なのか…。羽化をする前に、隕石衝突で絶滅してしまったのか、それとも何らかの理由でそのまま化石になってしまったのか…
専門家ならば“大発見”と思うことでも、素人の悠は複雑な気持ちになった。
「卵の化石が見つかったことで、恐竜が抱卵していたことが分かったんだ」
「どういうことですか?」
「卵を詳しく調べることも出来たうえに、大型も小型恐竜も、並べ方を変えることで抱卵をしていた可能性がある。これまで、体の大きな恐竜は、卵を産んでも放置していたと考えられていた。しかし、それは間違いで、抱卵も子育てもしていた。子供と一緒にいる化石も見つかったからな…」
「そうだったんだ…」
神崎の口から出る言葉すべてに、悠は何度もうなずいた。
今や、神崎以上に興味津々で、中々先へ進めずにいた。真剣に見入る悠を神崎も同じような眼差しで見つめた。
しばらくすると、何かの番組なのか、デイノケイルスの番組がモニターに映っていた。
そこには、全身にピンク色の羽毛をはやし、背中には大きな帆のある、ぬいぐるみに負けないほど可愛いデイノケイルスがいた。
オスが求愛のダンスを踊り、メスが卵を産む。しっかりと抱卵し、やがて可愛い赤ちゃんが生まれる。自分より何倍も強い肉食獣にも果敢に立ち向かい、見事倒して子供の無事を確認した後、深手を負った母は力尽きる…。
命がけで子供を守るそのさまに、悠は立ち止まったまま動けずにいた。
「大丈夫か?」
余りに動かない悠に神崎が声をかける。
「先生…」
「ん?」
ゆっくりと神崎を見上げ、悠はそっと呟いた。
「もう一度…デイノケイルスのところへ戻っても良いですか?」
思いもよらない言葉に、驚きつつもうなずいて見せた。
2人は元来た道を戻り、再びデイノケイルスの全身骨格まで、進行方向とは逆へ歩いて行く。そして、改めてその大きな復元化石を見上げた。先ほどよりもっと時間をかけて、じっくり、しっかりと…。
不思議なことに、先ほど見た時よりも全く違う感情が込み上げてくる。
いま見たばかりの映像が頭をよぎる。
悠は、全身の化石、卵と順番に見て行った。長い時間をかけて、熱心に見入る悠の顔を神崎が覗き込んだ。
「次はいつ見られるか分からないから、よく見て…」
『おけよ』と続けるはずが、悠の顔を見た瞬間言葉に詰まった。
その大きな瞳には、涙が溜まっていて、今にも零れ落ちそうだったから・・・。
神崎は、悠の方へ腕を回し自分の胸を引き寄せる。
少し体が傾いたために、涙が一筋頬を伝う。
「なんか・・・泣けてきますね。・・・なんでだろ・・・」
答える代わりに、悠の肩を優しくポンポンと叩いた。
少し落ち着くまでその場から動かず、しばし2人は無言でデイノケイルスの全身骨格を見上げる。何分か経ち、やがて悠は頬の涙を拭い、神崎を見つめた。
「落ち着いたか」
「・・・はい」
「次はむかわ竜だぞ」
「むかわ竜?」
「日本が誇る恐竜の化石だ」
「はい」
2人はデイノケイルスのブースを離れ、次の恐竜・むかわ竜が待つエリアへと進んだ。
「これがむかわ竜ですか?」
「そうだ」
「デイノケイルスとは全然違いますね」
「当たり前だ。デイノケイルスとは全く違う種類の恐竜だぞ」
「へえ・・・」
ど素人と言っても良い悠にとって、恐竜とはティラノサウルスのような二本足の恐竜と、トリケラトプスのような四本足の恐竜がいる、ぐらいしか違いが分からなかった。
「このむかわ竜は、日本で見つかった恐竜では最大級で、つい最近学名が付いた恐竜だ」
「日本にもこんなに大きな恐竜が?っていうか、日本にも恐竜っていたんですか?」
「いたさ。1億年以上前は、この日本も陸続きだったからな」
「えー、すごいすごい!!」
むかわ竜こと『カムイサウルス・ジャポニクス』は、2019年に新種の恐竜として学名がついた。発見当初は、首長竜の種と思われていたため、長きに渡り研究が止まっていた。
しかし、ひょんなことから、首長竜ではないと分かり、一気に注目を浴びる。
「このむかわ竜は、地元むかわ町を除いて、今回初めて全身骨格が披露されたから、こっちも貴重だな」
悠は、終始瞳をキラキラと輝かせながら化石を見つつ、神崎の説明に耳を傾ける。
これまで全く知らなかった世界が、いま目の前に広がっていることに、改めて感激した。
かつてこの日本にも、恐竜が普通に歩いていた時代が有ったのだ。
「先生、恐竜って日本中にいたんですか?」
「学名がついていないものを含めると、全ての都道府県ではないが、北海道から鹿児島まで化石が発見されている。特に北陸は多いな」
「じゃあ今度一緒に北陸行きましょう」
「ああ。福井の恐竜博物館も外せない場所だ」
キラリ。
「福井は遠いから、今度は一泊しましょうね」
「そうだな…」
ニヤリ。
「!!」
悠の意味深な視線に、ハッと神崎が我に返る。
自分はいま、なんてことを言ってしまったのか・・・。
悠の、期待に満ちた瞳に、危うく流されるところだった。
「ダメだダメだ。泊まりなんてとんでもない!」
「つまんないなー」
膨れっ面になった悠を尻目に、神崎がスタスタと先へ進んで行く。
「先生ー!」
「だから、手をつなぐな!」
2人は、むかわ竜のブースを後にし、その後も時間をかけて館内を回った。展示の終盤には、恐竜絶滅について解説するエリアがあり、約6600万年前の隕石衝突にも触れている。衝突時、地球で何が起こったのか。その時、恐竜はどうしたのか、謎に迫る大迫力の恐竜展を2人は閉館ギリギリまで堪能した。
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