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第6話
夏の夕陽もほとんど沈みかけたころ、2人は名残惜しさに腕を引かれつつ、恐竜展を後にした。行きと同じく上野公園内を通り、上野駅へと向かう。
2人の距離は、微妙に離れていて、ゆっくり歩く悠を神崎が待つ…を繰り返していた。
どこか、しょぼんとしている悠を察し、神崎が歩みを止めた。
「駅の近くに俺が良く行くイタリアンが有る。行ってみるか?」
「え…」
しょんぼり下を向いていた悠が、ものすごい速さで顔を上げる。
神崎が何を言っているのか、すぐには分からない。
「え、、え??」
「お腹すいているだろ?」
「え、、えーーーーー!!」
「な、なんだ?」
急に大声を上げた悠に、神崎の方が驚く。ツカツカと悠が神崎の元へ歩み寄り、2人の距離が一気に縮まった。
「ご、ご飯を食べるって意味ですよね?」
「君は、イタリアンの店で釣りでもするつもりか?」
『この際釣りでも良いです!』と言いたくなるぐらい、悠は舞い上がってしまった。
今なら空だって飛べるかもしれない。
「先生、良いんですか?」
ここへ来るのも渋っていた神崎だから、当然生徒と2人で食事をするなど良いはずがない。
てっきりこのまま帰宅することを想像していた悠は、心の底から驚いた。
「本来ならまっすぐ帰るところだが、俺の空腹が自宅までもたない」
そう言って、ほんの少しだけ笑みを浮かべた神崎に、悠の瞳がぐんぐんと大きく開いていく。
「先生…」
「?」
先ほど恐竜展でも見た、悠の『キラキラ視線』勃発に、嫌な予感がした神崎が一歩、二歩と後ずさる。
「先生の笑顔、初めて見ました!」
「は?」
感激する悠とは正反対の表情で、また一歩下がった瞬間…。
「!!」
抱きつこうとした悠を寸前で交わした。
「抱き着きは禁止だ!」
「先生~」
想定内の反応。しかし今までとは明らかに違う。口から出たセリフとは裏腹に、表情は穏やかで笑みすら見えている。
「先生、やっぱりカッコいい…」
「馬鹿を言ってないで、行くぞ」
「はい!」
既に歩き始めた神崎を追う。悠は、これまで経験したことがないほど心臓が高鳴っていた。
2人きりで恐竜展に行っただけでも奇跡だったのに、まさかの、、、
『ご飯付』。
嬉しすぎて、何と表現したら良いのか・・・ドキドキが止まらない。
『なんて言おうか。。』
と考えている間に、神崎は一軒の店へ入って行く。
慌てて後に続くと、そこは本場イタリアに来たのではないか、と思わせる雰囲気で、店の壁には、イタリアの有名な観光地の写真が何カ所も飾られている。
この雰囲気だけでも素晴らしいが、店内には食欲をそそるにんにくの香りが立ち込めていて、入った瞬間からお腹が鳴り出した。
「良い匂い!」
「腹が減っていなくても食べたくなる匂いだな」
ご馳走の匂いは、人を幸せにする。特にいまの悠は、この場にいるだけでも奇跡状態なので、まさに『幸せの二乗』だ。
「好きなものを注文して良いぞ」
「僕、何でも良いですよ。先生と一緒で」
「嫌いなものはないのか?」
「大丈夫です」
神崎が店員を呼ぶと、メニューを見ながらいくつか注文をする。その様子をぼんやり見つめる悠は、未だこの状況が信じられない。
「大丈夫か?」
「え?」
「ずっとぼんやりしているじゃないか」
突然、神崎の顔が目前に迫る。整いすぎるイケメンに、悠の体温は急上昇した。
「いや、、その、、先生カッコいいなあと思って・・・」
「分かった分かった」
いつものような拒否反応ではなく、珍しく少し照れ笑いしているかのような反応。
「もう分かったから、それ以上言わなくていい」
やっぱり照れている様子。学校ではまず見られないであろうその様子が、悠にはとても嬉しかった。おそらく、他の誰も知らない神崎の一面を見た気がする。
友人である透ですら、こんな神崎は知らないだろう。
「先生、そんなにカッコいいのにシャイなんですね」
「うるさい」
だんだんと赤くなって行く神崎の頬が実に面白い。
が、これ以上いじると、本当に怒ってしまいそうなので、この辺でやめておく。
それでも、神崎を見ることはやめられず、眺め続けていた悠の視線を遮るように、店員が料理を運んできた。
「わっ」
熱々の湯気とともに、何とも美味しそうな匂いが漂う。テーブルに置かれたのは、トマトベースとクリームベースのパスタとジェノベーゼのピザ。
「美味しそう!」
「これで足りるか?」
悠は、返事の代わりにうんうん、と頷き、遠慮をすることもなく、パクッとピザに噛り付いた。
「美味しい!」
「ここは、トマトベースも美味しいが、ピザはジェノベーゼが絶品なんだ」
『絶品』という言葉は決して大袈裟ではないぐらい、美味しいジェノベーゼは、ソースとモッツアレラチーズの相性が良く、いくらでも食べられそうなぐらい美味である。
「美味しいー!」
言わずにいられない絶品ピザ。パクパクと頬張る悠を神崎は無言のまま見つめた。
人の食事風景なんぞ、全く気にしたことがない人生を送って来たため、目の前で美味しそうに食べる生徒をついつい見てしまう。
人間には、ほぼ興味がないはずが、悠のことはずっと飽きずに見ていられる。
神崎自身、一番不思議だった。
小さい割によく食べる、それはもう気持ちが良いぐらい。自分が食べるのも忘れ、ずっと見続ける神崎にようやく気付いた悠は、嬉しそうに笑顔を見せた。
「先生、今日はありがとうございます」
「?」
一通り食べて空腹が落ち着いたのか、悠が口を開いた。
「先生が一緒に行ってくれなかったら、恐竜展見られなかったから」
悠の言葉に神崎が小さく笑う。
「俺ももう一度見たかったから良かった。少しは恐竜を理解できたか?」
「はい!今まで自分が思っていた恐竜とは全然違ったことが分かりました」
「ジャングルから突然ティラノサウルスが出てきて、草食恐竜を襲うってやつか?」
「そうです」
お互い顔を見合わせ笑う。神崎が言ったことは、恐竜にほとんど興味がない人間が抱く印象だろう。つい最近まで、悠もその一人だった。
むかーしむかし、まだ人間なんてこの地球に存在しなかったころ、地上には、知能もなく、恐ろしくて凶暴な弱肉強食の世界が広がっていた、と。
「でも実際は、そんなんじゃなくて・・・恐竜も人間と同じで、、、」
「?」
悠は、途中で言葉に詰まる。それに気付いた神崎が優しく肩を叩いて宥めた。
「・・・なんか恥ずかしいです。遥か昔、恐竜たちやその他の動物たちが一生懸命この地球で生きていて、、なのに僕たち人間は・・・」
「そうだな・・・人間が一番ダメかもしれないな」
悠の代わりに神崎が言葉を続けた。
「動物は、命尽きるその瞬間まで一生懸命に生きる。地上に生まれてから天に還るまで、生きることを決して諦めない。仲間や子への愛情に溢れ、裏切りも知らず、嘘や偽りもない。生まれたときと同じ無垢な瞳のままだ。人間が見習うべきところがたくさんあるな」
悠は黙って何度も頷いた。
その度に涙が頬を伝い、神崎は思わず悠に手を伸ばす。
そして、悠の無防備な頬に触れ、その涙を拭った。
「先生・・・あの時、、、隕石が地球に衝突した時、恐竜やその他の生き物はどんな気持ちだったんでしょうね。それを考えると・・・」
また言葉に詰まる。悠は、展示の後半にあった隕石衝突ブースのことを言っているのだろう。そこには、隕石が衝突したときの様子が詳しく説明されていた。
恐竜初心者の悠には、少し残酷な内容だったかもしれない。
地上の生き物のほとんどが絶滅した、恐ろしい出来事。
神崎は再び悠の涙を拭い、顎を持ち上げ自分へ視線を合わせた。
「きっと一瞬の出来事で、苦しむ時間もなかったはずだ」
「・・・そうかな、、、そうだと良いな・・・」
小さく笑う悠の涙をもう一度拭った。
「早く泣きやめ。俺がいじめていると思われるだろ」
「僕はそう思われても良いですよ」
「バカを言ってないで早く食べろ」
「は~い」
2人の間に笑顔が戻る。その後も恐竜の話しは絶えず、心行くまで語り合った。
会話が途切れず、お料理も余りに美味しかったので、デザートまでしっかりといただいてしまった悠は、食べ終わってからあることに気が付いた。
「お…お腹いっぱい、歩けない…」
「なに!?」
これまで経験したことがないほどの満腹で、すぐには動けない悠を気遣い、帰る前にもう一度上野公園へ立ち寄ることにした。
夜になってもセミが鳴き続ける園内で、2人はベンチに腰を掛ける。
「先生、ごめんなさい…」
「あそこの料理は美味しいから仕方ない」
「…はい」
確かに、あのお店の料理はどれも美味しかった。しかし本当はそれだけではない。
悠は、神崎との時間が楽しくて、嬉しくて、幸せすぎて。
この瞬間が終わって欲しくないという思いから、ついつい食べ過ぎてしまったのだ。
さすがに真実を神崎には言えない。言いたいけれど…。
「先生、今日は本当にありがとうございました。ご飯までご馳走になって…」
「いや、礼を言うのは俺のほうだ。他の誰かと一緒に行くのも悪くないということが分かった」
「楽しかったですか?」
「ああ、たのしかっ…」
言い終わる前に、悠が『ニヤリ』と笑っているのが見えたので、寸前で止める。
「楽しかったですよね??」
「…なんだその企んでいる顔は」
「企んでないですよー。ただ、先生が僕と一緒に来て楽しかったのかなと思って」
またしてもニヤリ。
「べ、別に。相手は君じゃなくても…」
話しているうちに、悠の表情が急変したのでそれ以上言えなくなる。
「そんな、捨て犬みたいな目をするな」
「だって先生…」
日が完全に暮れたとはいえ、夏休みの公園にはまだまだ人がたくさんいる。
2人がいるベンチの前を通る人々は、明らかにチラ見をしていた。
どう見ても学生である悠と、どう見ても大人にしか見えない神崎。
他人は、2人を教師と生徒とはまず思わないだろう。
そんな2人が夜の上野公園で何やら怪しい雰囲気を出し、かつ悠が涙まで見せているとなると、警察に通報しかねない。それだけは何としても避けねばならない、と思った神崎は、未だグスグスしている悠に顔を近づける。
「?」
かつてないほどの至近距離に神崎の顔が入り込み、一瞬驚いた悠だが、離れることはしない。むしろ、さらに近づいて上目使いに神崎を見上げる。
「…先生。僕、本当に先生のことが好きなんです」
「分かっている、だからひとまず泣きやんでくれ。俺を犯罪者にしたいのか?」
言って、スッとハンカチを差し出す。教師である神崎は、昔からティッシュとハンカチは忘れないのだ。悠は、ハンカチを受け取ると涙を拭った。
しかし、それでもまだ涙目で神崎を見つめている。
「…なんで10以上も年上の俺を好きなんだ」
「一目惚れです」
神崎が言い終わると同時の即答であった。
「初めて会ったその瞬間から好きになりました。先生にどう思われても、どうしようもないんです」
「・・・・・・・・・・・」
照れるわけでもない、相手の目をしっかり見たままの告白に、神崎の方が恥ずかしくなる。
その恥ずかしさを悟られたくない思いから、白旗を上げてしまった。
「…安心しろ。君のことは嫌いじゃない」
「え…それって…」
目を合わせられなくて、閉じたまま発した一言。悠の顔が瞬時に歓喜へと変わる。
「僕たち両想いってことですか?」
「待て待て!俺は嫌いじゃないと言ったんだ」
「じゃあ好きってことですよね?」
「そうとは言ってない…って、なぜ目を閉じる??」
「…ファーストキスは先生としたい…」
「はッ?…何を言ってるんだ」
「僕、真剣なんです」
これまで見たことがないような真剣な眼差し。迫力のある眼力に、思わず神崎が後ずさる。
「とりあえず落ち着いてくれ」
「イヤです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
今回は、冗談などで終わらせる気はないようで…しかし、だからと言って「はい、そーですか」と、教師と生徒がそんな破廉恥な行為をして良いはずもない。短い時間の中で、神崎は必死に答えを探した。
「…大切なものだから、とっておけ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
予想外の回答が返ってきて、悠は言葉を失う。
だが、ここで引き下がる悠ではない。
今このチャンスを逃す、なんてもったいないにもほどがあるからだ。
「大切なものだから、先生としたい」
「…ダメなものはダメだ」
「どうしてダメなんですか?」
再び悠の瞳に力が宿り、またしても神崎の分が悪くなる。
『ダメ』というからには、それなりの理由を言わねば納得しないだろう。
「…君は生徒で、俺が教師だからだ」
教師と生徒の恋愛で、テレビや漫画でよく聞くセリフ。
しかし、こんなありきたりなセリフは、21世紀生まれには通用しない。
「じゃあ僕転校します」
「は?」
「僕が先生の生徒でなければ良いんですよね?」
「なっ・・・・・」
ここで悠がニヤリ。まさかの回答に、神崎は完全に言葉を失った。
さすがは無敵の17歳。
大人たちは『転校』などという選択肢は浮かばないのだ。
神崎は、大きな深呼吸をして、一旦自らを落ち着かせる。
「簡単に転校などと口にするな。君のために、毎月高い授業料を払っている親御さんのことを考えろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ちょっと怒りめに言うと、今度は悠が黙り込んだ。
本音を言うと、そこまで考えが及ばなかった悠である。
どうにもならない現実に、口を尖らせ神崎を見つめることしか出来ない。
「…卒業しなきゃダメってことですか?」
「卒業しても、君はまだ未成年だ」
・・・・・・・・・・・・・。
「未成年だと先生と付き合っちゃダメなんですか!」
何を言ってもダメ。あれもそれも全部ダメ。
『ダメ』というセリフが悠の頭の中を高速で駆け巡り、そのスピードに追い付けず、ショートしそうになる。
「…分かっているけど……」
「?」
俯いたままの悠。その肩は震えている。悠だって、神崎が言いたいことは分かっている。
それが何となく正しいということも。
「…こんな気持ち初めてで…どうしたら良いか分からない。先生は、初めてじゃないかもしれないけど…」
「え…」
「今日はありがとうございました!」
「え、おい!」
神崎が何かを言う前に、悠は駅の方向へ走り出した。
止める間もなく、あっという間に。。
1人残された神崎は、天を見上げがっくりと肩を落とす。
「…誰が初めてじゃないなんて言ったんだ…」
届くはずもない言葉が、思わず口から零れ落ちた。
神崎は、なぜか、深い後悔に襲われる。
教師として、大人として。自分の言動は間違っていない、と思う。
がしかし…。
それが自分の意に沿っているかと言うと、Yesではない。
2人の初デートは、何とも言い難い感情のまま終わってしまった。
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