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第9話

 翌日。誰もいない教室で、悠は担任の阿部を待った。 夏休みなので、ここへ来る補償は全くないけれど。。 何となく、阿部は来ると思ったのだ。 そして・・・悠が思った通り、阿部は1人教室へやってきた。 「悠ちゃん・・・昨日は・・・」 透の言葉を、悠は強い気持ちと眼差しで遮る。それ以上は何も言わせない勢いだ。 「阿部先生を待っていました」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 これまで見たことがない悠の表情。認めたくはないが、悠は何かを決心したのだろう。 そしてそれは・・・ おそらく透にとって良くないこと。 予感が外れて欲しい・・・と透は目を閉じた。 「阿部先生、僕・・・」 ここで悠の瞳が少し揺れる。強い気持ちが少し揺らいだ。 この高校へ入学してから、ずっと自分へ想いを伝えてきた透には、神崎へのそれとはまた違った感情がある。 しかし、ここで流されるわけにはいかない。いま言わなければ・・・。 悠の瞳は再び力を取り戻した。 「僕は・・・」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 透も言葉を挟まず悠を見つめる。 「僕は・・・神崎先生が好きです」 透の願いも空しく、どうやら悪い予感は的中したようだった。 「・・・神崎先生がどう思っているかは知らないけど・・・僕は神崎先生以外考えられないんです」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 言い切った悠に、透はすぐに言葉を発することが出来なかった。 もちろん、胸中は複雑だ。2年もの間、ずっと悠だけを見て来た・・・。 常に明るい未来だけを想像して・・・。 それなのに・・・。まさか、このような結末を迎えるとは予想していなかった。 気持ちの整理がつかないうちに、悠が再び口を開く。 「・・・先生の気持ちは嬉しいです。ありがとうございます。でも、、僕は・・・」 「分かっている」 「え・・・」 「悠ちゃんの気持ちは分かっているよ」 「阿部先生・・・」 嘘だった。 悠の気持ちを分かってなどいない。いまつける精一杯の嘘だ。 これ以上、教師として生徒である悠を困らせるわけにはいかない。 無理矢理、気持ちを自分へ向けさせることも出来ない。 「先生・・・ごめ・・・」 「謝るなよ。悠ちゃんが俺に謝る必要なんて全くないからね。俺が一方的に好きだっただけだから」 「先生・・・」 悠の瞳から涙が流れた。透の言う通り、悠が悪いわけではない。 しかし、こんなにもストレートに想いをぶつけ続けてきた担任に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 「悠ちゃん・・・」 「・・・はい」 まだ涙に濡れる頬に触れ、そっと悠の顔を覗き込む。 「・・・最後に、一つだけ・・・悠ちゃんにお願いがある」 「?」 悠は涙を拭い、まっすぐと透を見つめた。 『最後に・・・』という単語が切なくなる。 「・・・もう一度だけ、悠ちゃんを抱き締めても良いかな?」 優しく笑う透に、ポロっと悠の瞳から涙が零れた。 こんなにも自分を想ってくれている教師。 自分のせいだ、と分かっているのに、どうしても涙を止めることが出来ない。 返事の代わりに、悠は何度も頷いた。 「ありがとう・・・」 透は、ゆっくりと・・・悠の両肩を掴み、そっと自分の胸へ引き寄せる。 この間とは全く違う優しい抱擁だった。いま、この瞬間、悠は透の腕の中にいる。 たとえそれが、本当の意味での抱擁でなくても。。 さらに力を込め、悠を抱き締める。これまでの、2年分の想いを伝えるように・・・。 そんな透の想いに応えるかのように、腕の中の悠も、動かずなすがままだ。 ただじっと、透の胸に顔を埋めていた。 どれぐらいそうしていたのか。。 しばらくして、透がやっと悠の身体を離す。そして、もう一度顔を覗き込んだ。 「・・・明日からは”里中”と呼ばないといけないな・・・」 「先生・・・」 「・・・俺の生徒になってくれてありがとう」 「先生!・・・それは僕のセリフです」 「?」 悠は再び、今度は自分から透の腕に顔を埋めた。涙が見えないように・・・。 「僕のほうこそ。。ありがとうございました」 「悠・・・」 2人はもう一度抱き合った。これが本当に最後・・・教師と生徒として。いつまでもこうしていたい・・・。 そんな名残惜しい想いを自ら断ち切るように、透が身体を離す。 「ほら、里中のいる場所はここじゃないだろう?」 「先生・・・」 数年ぶりに『里中』と呼ばれ、何とも言えない感情が生まれてくる。 寂しいような、ホッとしたような、複雑な感情だ。 「ほらほらっ、サッサと行った行った!」 「あ、阿部先生!」 教室のドアのほうへ向け、悠の背中を押す。 「早く行かないなら、俺が科学室まで送ってあげようか?・・・お姫様抱っこでね」 いつもの透に戻ったようで・・・。悠は思わず笑っていた。 「はい、行ってきます」 悠は、言われるまま教室を後にした。 その後ろ姿をいつまでも見つめていた透は、誰もいなくなった教室に残り、悠の席に座った。 「嬉しそうな顔しちゃって・・・」 1人寂しく笑う。 「悠め。。。こんなイケメンな俺を振るなんてな・・・あとで絶対に後悔するぞ・・・ん?」 言ってから、ふと違和感に気付く。 「・・・独り言なら・・・・・・君を悠と呼んでも良いよな・・・」 誰も聞くことのない呟きが、静かな教室に響く。 まだまだこの事実を受け止めきれない透は、いつまでも悠の席に座っていた・・・。 「先生!」 透に見送られた悠は、まっすぐ科学室へ向かった。 逃げるようにここを飛び出してから数日。そこには、変わらない白衣の神崎の姿があった。 「!」 悠の姿を見て驚いたように目を見開く神崎だが、お構いなしにその胸へ飛び込む。 「先生っ!」 「待て、、、」 と言いつつ、神崎は悠を決して拒まない。自分に飛び込んできた小さな体を抱き締めた。 「君は・・・いつも突然やって来て、突拍子もないことをして驚かせるな・・・」 「先生、僕・・・」 「今度はどうした?この間の告白ではまだ足りないか?」 悠は神崎の胸から顔を上げる。これまでは、神崎の目をしっかり見つめることが出来なかったが・・・ 今日は、恥ずかしさを追いやり、まっすぐ真正面から見つめた。 「先生・・・僕。。。阿部先生を振って来ちゃった・・・」 「え・・・」 珍しく神崎が目を見開いた。悠と会ってから、驚かさせることは幾度となくあったが・・・。 今回は、さすがに聞き流せることではない。 「なんだって・・・?」 未だ、状況を把握していない様子の神崎に、悠はもう一度はっきりと発言した。 「僕、阿部先生を振って来ました」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 これまで、2人の間に何度流れたか分からない沈黙が、久しぶりに登場した。 しかし、それを気にすることなく悠は言葉を続ける。 「・・・ついでに、先生が好きだと言っちゃいました」 「はあ・・・君は本当に、もう・・・」 てへぺろ、とでも言うように悠が笑う様子に、神崎は大きなため息をついた。 これが子供と大人の違いなのか、はたまた教師と生徒の違いなのか・・・ 「やっぱり、言ったらダメでした?」 今更感が半端ない・・・と言ったところでもう遅い。 「阿部先生にもそう言っちゃったし・・・僕、どうしたら良いですか?」 自分で言っておいて、どうしよう、も何もないと思うのだが・・・ そんなところも許せてしまう、いつしかこの可愛い小悪魔は、神崎の中で、すでに後戻りの出来ない存在になっていた。 「心配する必要はない。俺も君のことを気に入っている」 「え・・・」 小悪魔の顔色が変わる。てへぺろのままだったので、神崎のセリフを一部聞きそびれていた。 神崎は、悠の顔を両手で包み、上を向かせて視線を合わせる。 「だから・・・俺も君を好きだと言っている」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 またしても沈黙になる。 そして・・・少しずつ状況が分かってきたのか、小悪魔の顔がみるみると赤くなった。 「えーーー!」 「大きな声を出すなっ」 「え、だって・・・えー!」 「ボリュームを下げろ」 「無理ですよ!だって・・・」 その先は言葉にならず、悠はもう一度神崎の胸に飛び込んだ。 「先生・・・」 「まったく・・・すっかり君のペースに引き込まれたな・・・」 「先生!」 悠はそのまま神崎の唇へも飛び込もうとしたが・・・寸前のところで制される。 「待て・・・」 「先生?」 「・・・俺もけじめをつけなきゃいけない」 神崎の言葉に、唇を手で抑えられたままの悠が顔を上げる。 「あいつとは長い仲なんだ・・・。この先もあいつとは友であり続けたい」 神崎の言う『あいつ』が誰のことを指しているのかは聞くまでもない。 2人は、悠が知り合うずっと前からの付き合いだ。 今回の事がきっかけで、その仲を終わらせてしまうのは望んでいない。 おそらく、『あいつ』のほうも同じであろう。 「まさか、あいつと恋愛で競うことになるとは思ってもいなかったからな」 心配そうな瞳を安心させるように神崎が笑う。 「友人と1人の人間を取り合うのも初めてだが・・・」 「え・・・」 「誰かに好きだと告白をするのも初めてだ・・・。君の罪は相当重いな・・・」 言ってまた笑う神崎。 「え、また!?」 「当たり前だ」 「もうこの間みたいに、執行猶予はつかないんじゃ・・・」 「そうだな、そろそろ実刑の判決が出るな」 え~、と科学室に悠の声が響く。 悠の気持ちを受け入れる前に、どうしても直接会って、自分の口から言っておかねばならない。 『あいつ』の悠への気持ちを自分も十分知っているから・・・。 「・・・すまない」 「おいおい、いきなりなんだよ」 2人が長く通っているいつものbar。今夜は、神崎が透を誘った。 そして、会うや否や、神崎が詫びる。 色々なことを語り合ったこの場所で、これまで神崎が頭を下げることなど有っただろうか・・・。 ぼんやりとそんなことを考える透だが、傾けるグラスには、いつもと同じハイボール。 店も、飲むものもいつも通りだが、2人の間の空気だけは違っていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 元々静かな店内である。2人の間にも沈黙が続くばかりだ。 「透・・・」 何も言えずにいる透に、神崎はもう一度頭を下げた・・・というより、視線を上げることが出来なかった。 「相変わらずだなー」 「え?」 突然の声に神崎が顔を上げた。すると・・・そこには長年見て来た友の顔があった。 「穂高。本当にお前ってイケメンだよなあ~」 「透?」 「困った顔もイケメンだな」 「透!」 神崎がジロリと睨むと、透は声を上げて笑った。 「このイケメンなら、悠ちゃんが惚れるのも無理はないな」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「それに・・・昔からモテまくっていたお前を落とすなんて、さすがは悠ちゃんだ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「黙るなよ、嫌みじゃないぜ。お前を責めているわけじゃないんだ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 透の言葉に、何と言ったらよいか・・・ 言いたいことはたくさん有ったのに、いざ透を目の前にすると口からは何も出てこなかった。 「2年半、ずっと告白をし続けたのに、お前は一目見ただけで悠ちゃんを惚れさせたのなら仕方がない・・・うん。こればかりは仕方がないよな。誰だって、人の気持ちはどうすることもできない」 「透・・・すまない」 「だから謝るな。誰のせいでもない」 ハイボールを一口飲み、透は笑顔を見せた。その笑顔を見て、やっと重い口を開く。 「自分の中で・・・あいつの存在がここまで大きくなるとは思わなかったんだ・・・」 「分かってる」 「俺は、お前の気持ちを知ってからも・・・あいつへの気持ちを抑えられなかった・・・だから・・・」 「だから?」 「俺を責めてくれても良いんだぞ。お前にはその権利がある」 「バーカ!言っただろ、仕方がないことだって。俺が悠ちゃんを振り向かせることが出来なかった、それだけだ」 「透・・・」 いっそのこと、怒りをぶつけてくれるほうが楽かもしれない。 しかし、それをしないのは、透も神崎と同じ思いでいるからだろうか・・・。 そうあって欲しい、と神崎は心から思った。透との仲をこれからもずっと続けたい。 「でもさ、お前たち。これからが大変だぞ~。障害も多い。大丈夫なのか?」 「分かっている。あいつがまだ未成年であることも。それに・・・」 「それに?」 「その覚悟がなければ、あいつの気持ちを受け入れていない」 「それを聞いて安心した」 今夜、初めて透がいつも通りの笑顔を浮かべた。何十年と変わらない、人懐っこい透の笑顔。 「うちの里中を頼んだぞ。俺にとって、特別な・・・大切な生徒なんだ。泣かせたりするな」 「透・・・」 「・・・お前になら任せられる・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「ん?どうした、返事はないのか?」 「いや、もちろんだ。絶対にあいつを泣かせたりしない」 「今夜はお前のおごりだな」 言って、神崎の肩を抱く。 「ああ、好きなだけ飲んで食べてくれ。何杯でもおごるぞ」 「じゃあ遠慮なく。もし酔いつぶれたら・・・穂高先生に介抱してもらおうかな~」 ”ね!”とウインクをする。 「バカか」 「あーあ、悠ちゃんみたいな可愛い男子高生いないかなー」 「おいおい、男子高生限定なのか?」 この日、透は言葉の通り、浴びるように酒を飲み、たまに恨み言を言いながら・・・。 長い付き合いの仲で、2人は初めて夜が更けるまで酒を交わした。

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