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第2話 ②

「ああ、なんだか花火みたいだ」  そうつぶやいてみた僕の目の前には、壁と同じく磨かれた白い床に、一面の『赤』が広がっていたんだ。  まるで消えない花火を真昼に見ているようだった。    まず、一番目立つやつ。  僕の右腕があるはずの場所から扇状の半円を描いて、ドバっとぶちまけられてる。  これは、多分僕の血だ。  僕の右腕は肘より上の場所から切断され、乱暴に止血された切り口には布が巻かれているものの、まだ血が滴るように滲んでいる。  切られたばかりの、僕の右腕は転がってはなかった。  けれど、その代わりみたいに、何かが吹き飛んだような跡がいくつもある。  火薬で破裂したんじゃない。  まるで赤い水のたっぷり入った薄い革袋を、高い場所から地面にたたきつけたような。  あるいは、ものすごく高い場所から血の通った生き物が落ち、身体の全てを細かい肉片に変えて飛び散らせたような。  だけども、僕の寝転がってるこの場所の天井は、ごく普通か、ちょっと低いくらいの高さだ。  薄い革袋なら梯子(はしご)を使って一番上から落とせば割れるかな?  犬猫や、ヤギ羊みたいな家畜が生きたまま、丸々落ちるなら、無傷。  人に至っては……いきなり突き落とされ、打ちどころが悪ければ、骨折ぐらいするかもしれないけれども、破裂は無いな。  まあ、風の魔法が暴走して人を襲えば、こんな事になるかもしれないけれど、それにしたって、ねぇ。  魔法は、魔力の元がたっぷり入った魔素石を使わないと発動しないものなんだ。  まるで嵐が吹き荒れたような、めちゃくちゃなこんな魔法の使い方をしたら、貴重な魔素石がいくらあっても足りない。  魔法使いの命だって、削れるだろう。  部屋にいる相手に攻撃するにしたって、もっとスマートに、簡単に戦える方法は、いくらでもある。  気でも違わない限り、こんなお莫迦な魔法の使い方をするやつなんて、いないよね。  だから、部屋の半分に塗りたくられた、花火みたいな、赤。  僕の血以外は、儀式か何かの塗料(ペイント)だと思う。  何があったのか知らないけど、実質的な被害は、きっと僕の腕だけだ。  さっきネズミが咥えて行ったモノは、そうだなぁ。  破裂してできた何かの肉片ではなく、もしかすると切り取られた、僕の右腕の一部だったかもしれない。  だけど。 「う……ん、と? 僕が無くしたものは……これ、だったかな?」  僕は、声に出して呟いてみた。  だって、現実感が無いんだもん。  鎖で繋がれた左腕と違って、簡単に上がり、自由に振り回す事の出来る、僕の右腕。  そんな右腕の先に鎖を繋ぐ手首は、無かったけれども。  じっと見つめているうちに、だんだん判らなくなって来たんだ。 「そもそも僕に、右手なんてあったっけ……?」  いや、腕に新しい傷が出来てるし。  この、なんだか眠い感じは、もしかすると死ぬ寸前まで血が流れたよっていう、警告(しるし)なんだろう、けど。  僕の腕から飛び散ったように見える赤色も、趣味の悪い赤色塗料の一つかもしれないな。  それに『何かを失くした』のは右腕じゃない感じがする。  身体の一部を失くしたのは、初めてって訳じゃないし。  気になって仕方がない『無くしたもの』の大切さに比べたら、腕の一本や二本、あんまり惜しい、とは思えなかった。  何は、ともあれ。  今、僕にとって一番厄介なのは、眩しすぎる陽の光の方だ。 「う……」  眠くてたまらないのに、動かないといけないのが、辛い。  呻き声をあげて、何とか起き上がって気がついた。  僕は、下着や衣服の類を全く身に着けていない。  全裸だ。  肌のあちこちには、細かい傷とうっ血した痕がある。  そして、僕が両足につけていたはずの、義足もない。  膝と鼠径部(足の付け根)の中間ぐらいの場所を二本、揃えるように切断されたのは、もう、ずっと前のことだ。  身の回りの事は、山ほど居る侍従たちが寄ってたかって世話をしてくれる上。  自前の足なんかなくても、義足をつければちゃんと歩けるから、不便なんて感じなかった。  とりあえず、魔法が使える両手さえあれば、何も問題はなかったんだ。  えっと、『手』?  腕の、先。  無くなった場所をしげしげと眺めて考える。 「……魔法、って片手で使えるんだっけ?」  ……できない、気がする。  魔法は、片手に魔法の元になる魔素石を握り込み、魔法を発動させるスイッチの役割をする『印』という形を両手の指で作って結ぶ。  腕どころか、指一本無いだけで、魔法は、上手く使えない。 「……そっか」  魔法は、僕の唯一の取り柄だったけど、もう使えないんだ。  それでもやっぱり、右腕を無くしたことを実感しても、大したことだと思えなかった。  まあ、魔法使いは、引退しなくちゃいけないだろうな。  役立たずって言われて、住処を追い出されるかもしれないけれど。  僕が『ついて来るな!』って言っても、追いかけて来るやつが、侍従長の他に十人くらいは居そうだ。  あまり田舎に引っ込むと、虫の嫌いな侍従長が可哀そうだから、どこか小さな町の片隅に家でも借りて、みんなで仲良く暮らせたら、いいなぁ。  楽しい未来を想い浮かべながら、直射日光を避けるべく体勢を変えて、気が付いた。 「あれ? 何か……出てくる」  そう、僕の尻からツ……と何かが垂れて、足を汚し、そのまま床に小さな水溜まりが出来た。  色は、白。  血じゃない。  これは……なんだっけ、と首を傾げた時。  閉められた扉の向こうで、騒ぎが起きたようだった。

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