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第4話 ④
どうしても、皇太子のマントを僕に触れさせるのは、嫌、らしい。
僕の上に自分の上着を投げ落として、茶色い男は、顔をしかめた。
「女王の悪魔、アインス!?
なぜそんな誰でも知ってる大悪魔が、魔素石も魔法陣もないユダの召喚に応じると思うのです!?」
「それこそ、王子が、女王の転生である証だ。
お前たちは、多くの生贄を王子の目の前で捧げたろう?
それが女王クレアの悪魔が目覚めるきっかけになるのに、魔素石などいらぬほど十分な量だっただけのこと」
皇太子のマントを直している茶色い男に、淡々と喋っていたアロイスは、哀しそうな声で呟いた。
「後はクレアさまの後を追って転生していた俺に、六芒星を描いて血を一滴。
そして『起きろ』と仰ってくださるだけで良かったのに。
片手を失うほどの大量の血。
六人の生贄を魔法陣に。
暴走した魔法を目覚めの言葉に変える、こんなに効率の悪い起こし方をなさって……」
流れる涙をぬぐおうともせず、喋るアロイスの言葉を聞き流しかけ、茶色い男は、呆然と呟いた。
「シャングリラの生き残りを王子の目の前で、公開処刑にしたのが、原因だというのですか……!?」
「シャングリラの国民を……皆殺し?」
茶色い男の言葉がやけに響いて、僕も、アロイス皇子が『何』であるかとか、どうやって目覚めたかの告白なんて、聞いちゃいなかった。
とろとろと微睡 んでいた、ぼんやりとした眠気は吹き飛び、僕の意識が研ぎ澄まされていく。
……思い出す。
燃える街並みと、豊かな、畑。
思い出す。
逃げ惑う人々の悲鳴と、侵略者の高笑い。
思い出す!
僕と一緒に戦う剣となり、盾となり。
しかし、数の暴力に負けて次々に殺されてゆく、大切な大切な仲間たち。
そして、いつも僕の傍にいて、世話を焼いてくれた、虫の大嫌いな侍従長の名前は、ツェーザ・クリストハルト!
あいつは、僕を生かすための最後の剣として、敵陣の只中に突っ込み、消えたんだ。
……思い出した。
デストピアの兵士に捕まった、何の罪の無いシャングリラの国民が、女子供関係なく僕の目の前でいたぶり、処刑されていったのに。
命乞いをして泣き叫ぶ彼らを前に、盾になるべきはずの僕は、皇帝に犯され、悦楽に狂うばかりで、何もしてやれなかったこと。
とても、とても哀しくて、悔しくて。
自分で無理矢理忘れたことにしていたもの。
失ってしまったもの。
無くなれば、得意な魔法が二度と使えなくなるはずの、大事な腕の一本や二本より、もっとずっと大事なもの。
それは、失われたあまりに多すぎる命の記憶。
「お……の……れ」
僕の呟きは、呪詛となった。
一度、はっきりと鮮明に戻ったはずの意識が、紅蓮に燃える怒りに沈む。
視界が全て真っ赤に染まり、目の前に誰がいるのか全く判らないまま、叫んだ。
「おのれ! デストピア!!」
感情の制御なんて、とっくに不能だった。
めちゃくちゃな怒りが、ガッと僕の身体を駆け上がる。
僕は、寝転がっていた身を素早く起こすと、さっき持ち上げるのがやっとだった左手首の鎖を闇雲に引っ張った。
ジャラジャラ、ガコン!!
メキッ!!!
脆 い。
鎖自体は重く、硬く、強く、ちょっとやそっとでは、切れそうになかった。
けれども、鎖を止めている壁や金具なら何とかなりそうだ。
ただ引っ張っただけなのに、鎖を壁に繋ぎ留めている金具が、今にも引きちぎれそうに悲鳴を上げた。
だけどもさすがに、いっぺんでは綺麗に壁から剥がせず、怒りの炎に油を注ぐ。
鬱陶しい!
僕の行く手を阻むもの!!
全部、全部破壊してやる!!!!
僕は、左手と指で魔法発動のための『印』を作って、呪文を唱えた、
『風の悪魔【neunundneunzig 】……』
……と、ここまで唱える途中で、僕には、魔法を形作るために必要な右腕も魔法の元になる魔素石も、持っていないことに気が付いた。
けれども、僕の周りには、いつもと変わらず小さな稲妻がバチバチと飛びかう。
魔法発動が近いサインだ。
両手があり、魔素石をふんだんに持っていた今までと、そう変わらない様子に僕は、余計なことを考えるのをやめた。
魔法は、必要な時に使えればいい。
僕の使う魔法の中で、一番力の強い『二桁の番号 』を持つ悪魔の力を借りる魔法だ。
普通、魔法を使う時に呼び出すのは悪魔本人ではなく、悪魔の性質にあった魔力だけだ。
そして、番号が小さく早いほど、より強力な魔法になる。
普通の魔法使いは、三桁から、四桁の番号を持つ魔法を使うやつが多い。
『0』を表す【null 】の存在は不明。
『1』の爆炎の魔王【eins 】から『12』の氷結卿 【zwölf 】までは、伝説の女王クレアの持ち物だ。
悪魔本人を呼び出すのはもちろん、力の一片たりとも誰も使えない。
それから先『13』【dreizehn 】から『90』の【neunzig 】までの呼び出しに成功した魔法使いが居ない以上。
『99』を意味する風属性の悪魔【neunundneunzig 】の番号はかなり早く強いと言える。
どんな形であれ、一度魔法を発動してしまえば、僕を止める事のできるヤツは、まずいないってことだ。
本来なら魔法を使う上で絶対に必要なモノ。
魔素石と右腕の代わりを『何』がしているのか、なんて微塵も考えずに、僕は、魔法を完成させた。
『【neunundneunzig 】よ、我に力を貸したまえ!!!!』
そう呼んだ途端、僕が囚われている部屋が、揺れる。
ここはよほど強力な、魔法封じを使った施設らしい。
本来なら、小さな街なら丸ごと一つ吹き飛ばせるはずの風魔法は、激減されて部屋の壁一つ破壊できなかったけれども。
僕を捕らえる左腕の鎖を切断するために発動した魔法は、とんでもない強さの嵐となったんだ。
僕以外部屋にいた人も荷物も全部宙に浮き、高速回転を始めたようだ。
腕を失くして、なお、魔法が使えるなんて反則だ! と叫んだヤツは誰だろう?
最近流行り出した水魔法の無駄遣い、洗濯機みたいだ、なんて悲鳴を上げたやつは、誰だろう?
ま、いいか。
僕は、鎖をちぎるのが忙しい。
鎖が長くちぎれて自由になったら、それを武器にして振り回し、もっと多くの敵を倒すんだ。
そう、僕に触れるモノは、何でも武器になり、それを使いこなすことが出来るのだから。
失ったシャングリラの人々と同じだけ、じゃたりないな。
少なくとも倍の人民を、屍の山に変えてみせようか……?
熱く燃える怒りの炎が身を焦がしているはずなのに。
僕はただただ、哀しく、暗く、痛く、冷えてゆく。
寒い……寒い……恐ろしいほどに凍えそうになったから、もっともっと、身を焼く熱い怒りが欲しい。
魔素石の、右腕の代わりの何かを燃やし尽くそうとした時だった。
今、この烈風の吹き荒れる嵐の中で、場違いなほど安心する、ほわっとした温もりが、僕を包んで囁いた。
「もう、お止めください、クレアさま」
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