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5.にげなくちゃ

「おばあちゃん、これって何?」  アルマは遊びに来た老婆の家で、鍋の中を覗いた。鍋の中身は、白い花がよく見える透明なスープのように見える。 「それはね、貴方に飲ませるために作ったのよ。美味しい花の薬なの。」  アルマが振り向くと、老婆は柔らかな笑みを浮かべる。 「最近、身体が怠いって、言っていたでしょう? 貴方のお母さんのこともあるし、『おまじない』をしてあげようと思ってねえ。」 「おまじない?」  アルマは首を傾げて老婆を見た。老婆は優しい笑みで、アルマの頭をなでる。 「お母さんの看病も大変だっただろうからねえ……元気になれる薬だよ。今まで、よく頑張ったねえ。」  あまりにも優しく頭をなでるものだから、アルマは涙が滲みそうになる。慌てて老婆の手から離れると、誤魔化す様に無理矢理笑った。 「一人になっちゃったけど大丈夫だよ! おばあちゃんがいるんだから、落ち込んでもいられないって!」  軽口を叩けば、老婆も笑って軽口を言う。 「あら、そこまで耄碌してはいないわよ?」 「どうかなあ。おばあちゃん、物忘れ多いんだもん。僕、ちょっと心配だなあ。」 「そうねえ……じゃあ、貴方に色々教えておこうかしら。私が忘れたときは、よろしくねえ。」 「うん! おばあちゃんのために頑張って覚える!」 「じゃあ、まずはこの薬を飲んで、頑張ってちょうだい。」  そう言われて飲んだ白い花の水薬は、作り立てだったのもあって、温かいスープのような味がした。 「美味しい! これ薬って感じがしないけど、何を使っているの?」 「バラと、月下美人って花を使うんだよ。作り方を教えてあげるから、しっかり覚えておいてね。」  老婆はアルマに微笑みかける。老婆の言っていたことを、心の底から信じていたわけではない。それでも、アルマは、この優しい老婆の笑みが大好きだった。  今はもう、見ることは叶わないけれど。 「――ッ!」  アルマは眠りから目覚めた。辺りは薄暗く窓から斜陽が確認できない事から、夜が明ける頃の暗さの様な気がした。 「……。」  老婆との思い出を夢に見たのだと気がついて、涙が滲むのを感じた。老婆はアルマに色々な「薬」の作り方を教えてくれた。材料がないと作れないものだが、アルマの中で老婆との大切な思い出として残っている。老婆がアルマを大事にしてくれたように。 「っ……。」  アルマは涙を拭って深呼吸する。今度は頭が冷えてきた。その頭で思考を巡らす。  今の状況は、老婆が望んでいたことだろうか? 「……。」  老婆が残した言葉は、決して異形の餌になれという意味ではないはずだ。  命と生活の保障をされたところで、彼の価値観がどの程度アルマと似通っているかが問題なのだ。身体の無事を保証されたわけではないし、もっと思いもよらぬところで、アルマの意に沿わない事をするかもしれないのだ。早い話、手足を切断して逃げられなくする可能性もあるのだ。 「……逃げなきゃ。」  人間だって、約束を守らない。ましてや、異形が約束を守るだろうか。過去の経験が、その可能性をアルマに示している。長居するのは、アルマにとって危険な気がした。  それに、血を吸われる度にされる後処理も、アルマには怖い事だ。「気持ちいいこと」と彼は言っていたが、他人に引き出される快楽が、自分自身の在り方を見失わせる気がして恐ろしかった。 「っ……」  おぼろげに覚えている感覚を思い出して、身体が震える。アルマはその感覚を振り払うように乱暴に起き上がって、自身がきちんとベッドの中で横になっていたことに、今更ながら気がついた。眠りながら状況を整えるなんて器用な事が出来るはずもなく、彼が寝かせ直したとしか考えられなかった。 「……。」  一瞬アルマは、躊躇って布団を握りしめたものの、迷いを振り払うようにベッドから降りた。身体を確認すると、どうやら眠る前と同じ服装のままのようだった。 「……今が、チャンスかもしれない。」  彼の生活習慣を推測するに、昼間は起きていた。今の時間帯なら、夜にどれだけ起きているとしても眠気がやって来る頃合いだ。異形に、どれだけ人間の考えが通用するか解らないが、今なら逃げられるかもしれない。  そう考えたアルマの行動は早かった。窓へと駆けこんで、そっと戸を開け放つ。玄関の扉は重厚な造りだったことを考えると、窓から逃げ出す方が気づかれないと思ったのだ。窓から様子をうかがうと、下は芝生で覆われているようだった。高さを考えれば、何かロープみたいなものを使って下りていけない事もないと思える。 「……!」  急いで辺りを見回すと、カーテンが目についた。急いでカーテンの材質を確認する。触ってみれば、丈夫な質感が伝わってきた。他に、何かないかと見回せば、ベッドから出ているシーツに目が行った。カーテンとシーツを組み合わせれば、下へと下りられるかもしれない。ベッドに駆け寄るとシーツを引っ張り出す。思っていたよりも大きいが、カーテンに結び付ければ、強度も少し安心できるくらいの代用品が出来上がった。 「よし……!」  アルマは代用品に手をかけると、窓から外へと垂らして高さを確認する。ギリギリまで下りれば、後は飛び降りても問題ないようだ。アルマは窓の淵に足をかけると外へと身を乗り出し、代用品に掴まって下りていく。 「よっ……!」  無事地面に着地すると、辺りの様子をうかがう。小さな庭園と畑が見える他は、特に変わった様子はない。どこに行くべきか考える。 「……?」  ふと、甘い香りが漂っているのに気がつく。その香りを嗅ぐと、何となく香りの元を突き止めたくなった。 「……。」  何故か、その欲求には抗えず、ふらりと足を踏み出し、そのまま森の中へと、アルマは入って行った。

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