12 / 30

12.自覚したのは

 夜のアルマの部屋に、扉をノックする音が響く。 「アルマくん……?」  部屋にいるはずのアルマからは反応がない。ルイスは、様子が気になって、そっと扉を開けた。 「……。」  闇の中でも物が見えるルイスには、暗闇に包まれた部屋の中でも、アルマの姿を見つけることができた。部屋には、本の山に囲まれて机に突っ伏し眠るアルマがいる。それを見つけたルイスは溜息を吐いた。 「風邪をひくよ……。」  ルイスはアルマを横抱きにしてベッドへと運ぶ。ベッドの上に寝かせて布団をかけると、ルイスは本の山を眺めた。 「……森の外、か。」  アルマがルイスを恐れていることは解っている。生きていれば、アルマは館の外へ、森の外へ出て、いずれ人間の世界へと戻るだろう。ルイスの経験してきたことを省みても恐らくそれが正しい。流行病と魔女裁判の騒ぎが収まれば、いずれ……そこまで考えて、ルイスは違和感を覚えた。 「流行病……気になるな。」  アルマの座っていた椅子に座り、ベッドで眠るアルマを見た。流行病の症状は聞いている。初期は風邪とほぼ同じ症状を示すが、二週間かけて身体が徐々に動かなくなっていき、最後は血を吐く苦しみの中で死を迎えるという性質の悪いものだ。そして、例の流行病が、科学で説明のつかない現象だと、ルイスは知っていた。  魔女の呪い――科学の発達している世界で、ウイルスも細菌もタンパク質ですら原因として見つからない。流行病の原因が呪いであることは、魔法を知る者たちにとって周知の事実だった。だが、呪いを振りまいた存在の行方は掴めぬまま。人を介して呪いが伝播しているようではあったが、その条件も解らぬまま。そのため、ルイスは人に紛れて血を頂くことができなくなっていた。だからこそ、森に迷い込んだアルマを飼うことにしたのだ。  アルマは恐らく運が良いのだろう。血縁者から伝播しやすい傾向の呪いをすり抜け、魔女疑惑をかけられつつも、逃げ出すことに成功し、異形の棲む森の中で死ぬことなくルイスの元へと辿り着いた。ルイスに見つかってしまったことで、餌として飼われることとなったが、恐らく異形の棲む森の中では幸運な出会いだった。実際、ルイスは森の中で魔物の犠牲になった見知らぬ人間を何人も目撃していたが、一切助けることなく見捨てた。血に飢えていなければ、アルマも助けなかったかもしれない。 「……。」  そこまで考えて、ルイスはアルマが魔物に犯されていた場面を思い出し、湧きあがる怒りに顔をしかめた。あの魔物は既に消し去った。それで気は済んだはずだ。だが、思い出した怒りは治まらない。ルイスは深く溜息を吐いた。これからアルマは、何度か森を抜けるために試行錯誤するだろう。ルイスの事情から、しばらくアルマを館から出さないようにしなくてはならない。また、吸血鬼の所有印の効果が薄かったことも考えて、他の異形がアルマを横取りするのを警戒しておかなくてはならない。あんなことが何度もあっては堪らない。何より、自分以外がアルマに触れることなど、到底許せない。  アルマに触れていいのは、このルイスだけ―― 「っ……」  過った考えに、ルイスは怒りを忘れて瞠目した――今、何を考えた? 「まさか……」  ルイスは思わず椅子から立ち上がった。一瞬、魔物の毒でルイスに縋ったアルマの姿を思い出して、怒りが少し引いたのを感じた。同時に、ルイスが吸血鬼だと分かっていなかった時の、アルマの笑顔が浮かんで、ルイスは眩暈を覚える。この「感情」を、所有欲や支配欲、独占欲などで何とか説明をつけようとした。  だが、それでは説明のつかない「何か」があるのに気がつき戸惑う。吸血鬼として生きて、とうの昔に消え去った感情――それに近いものが、自分の中にあるのに気がつく。 「そんなバカな……」  アルマは都合の良い時に自分の元へ迷い込んだ餌なのだ。そして、観察するのに飽きない反応をするから、調度良い暇つぶしの玩具のつもりだった。今のアルマから恐怖以外の感情を向けられるはずもない。それなのに、アルマから他の感情を向けられたいと思っている。できれば、短いながらも人として接した時の、あの笑顔を向けられたい。  それは、到底叶わぬ話だというのに。 「……はは、ないものねだりか。」  ルイスは自嘲して笑う。自分とは比べ物にならないほど幼い時間しか過ごしていない人間によって、森の王たるルイスが気づかぬうちに心を奪われていたのだ。嘲り笑わずにはいられまい。眠り続けるアルマを見つめ、ルイスは何とも言い難い感情が湧き上がるのを自覚した。ベッドへと近づき、アルマの額へと手を伸ばして触れる。 「ん……」  一瞬起こしたと思ったが、アルマは身動ぎしたものの、目を覚ます気配はない。ルイスはアルマの頬へと手を移動させ、そっとなでる。アルマが安らいだ表情で、ルイスの手に頬をすり寄せてきて、ルイスは偽らざる心を自覚する――アルマが、愛しい。今まで生きてきた中では、劣情も恋情も絡む愛を抱くことなどなかった。血の飢えを満たし、自身の探究欲求を満たすことで精一杯だったルイスには不要だったからだ。だが、今は…… 「……。」  ルイスは、そっと手を離し、アルマに背を向けた。これ以上居ても、ルイスの精神には、毒になる。そう思って、部屋を出ようとした時だった。 「……ん?」  ふと、本の山の中に、白い本があることに気がついた。それは、かつて、自分の研究のために書いた日記だった。ルイスは、日記を持ち去ろうと手を伸ばしかけ、やめた。アルマは日記の中身を見たのだろう。そして何かに興味を持ったから、この部屋に持ち込んでいるのだ。大方、森を出るためのヒントを得ようとしているのだろうが……もしかしたら、ルイスが過去に記したいくつかの言葉に共感してくれるのではないか。  そんな淡い期待が浮かんで、再び自嘲の笑みを浮かべた。 「……滑稽だな。」  だがルイスは日記を持ち去ることなく、アルマの部屋を後にした。微かでも、心が通う瞬間に焦がれたせいだった。

ともだちにシェアしよう!