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#5 崑崙花 1
「彬、聞いてる?」
気がついたら、彗の顔が近くにあって、心配そうに僕を覗きこんでいる。
ビックリして、思わず体を引いてしまった。
「いやいや、何、その反応。びっくりしたのは、こっちだよ」
「あ、ごめん。彗」
彗は、書類片手に僕を真っ直ぐ見つめる。
このよどみのない、黒い真っ直ぐな瞳。
なんか、コイツには、隠し事はできない気がする。
.......鈍感だけど。
「で、何?彗、何か用?」
「用があるから、経理課まできてるんでしょ?しっかりしてよ、彬」
「ごめん、ごめん。で、何?」
「今度、取引先から不動産投資の話がでてて、今だったらどれくらいの利率で、運用できるかな?って。償還まで固定資産税もかかるから、その概算額まで調べて欲しいんだけど、大丈夫?」
「うーん......時間、もらえる?」
「急がないよ。来月の中旬までとか、大丈夫?」
「それくらいなら、余裕だよ」
「本当に?助かる!!ありがとう、彬」
「どういたしまて」
「そうだ!今日、予定ある?」
「何?」
「今日、千早と翔とビアフェスタに行く予定なんだけど、一緒に行かない?」
「.......ごめん......今日は、ちょっと」
僕の返事に、彗が途端に残念そうな顔をした。
「そっか.......急に誘ってごめんね。また、行こうよ、彬!!」
「うん。こちらこそごめん。誘ってくれてありがとう」
彗、ごめんね。
多分、次の誘いも行けないかも。
だって、今、僕は不測の事態に陥っている。
花吐き病なんだ、僕。
貧乏くじひかされたんだよ、本当。
彗とこの課長が、資料室で盛大に吐いたと思われる花を片付けたんだ。
そしたら、てきめんに感染した。
花吐き病。
しかも、プルメリアみたいな華美な花じゃなくってさ。
崑崙花ー。
黄色い小さな花に白い葉っぱがついた地味〜な花が、僕の口からパラパラこぼれ落ちる。
経理課の僕、そのものみたいな地味な花、崑崙花。
ビアフェスタなんか行ったら、気が緩んで彗たちの前で花を吐いちゃいそうだよ。
誰にも言えない.......。
秘密にしなきゃ........あの〝変態課長〟の二の舞だけにはなりたくないよ。
そして、僕には好きな人がいる。
ずっと、ずっと、好きで。
目で追っちゃうくらい好きで。
憧れの........経理課長........。
緻密で冷静で、それでいて、優しくて。
あのにっこり笑う顔が大好きで。
........胸が、苦しい。
ヤバい........崑崙花、でてきちゃうよ。
「斉藤!大丈夫か?」
突然課長に呼ばれて、僕は飛び上がるくらいビックリした。
「は、はい!!何ですか!?崎村課長!!」
「顔色、悪いぞ。大丈夫か?」
「大丈夫です!!ご心配なさらずに!!」
そう言って、僕は廊下に向かって駆け出した。
「さ、斉藤?!」
僕の後ろで、課長の声が響いて、僕の背中に突き刺さる。
出てくる.......課長の前で、出てくるかと思った、崑崙花。
「......うぅっ.......」
僕の中から出てきた、崑崙花。
相変わらず地味だなぁ......。
僕の片思いは、多分、一生実らないかも。
地味な僕は、地味な花と一生付き合わなきゃならないんだ。
陽の目を見ない、僕の恋。
そう思うと、なんか、泣けてきて........。
僕は、声を殺して泣いてしまったんだ。
「斉藤、いい香りがする。香水つけてる?」
「い!いえ!........ト、イレの芳香剤の匂いがうつっちゃったかな........あはは」
僕は苦笑いするしかなかった。
崎村課長は、なんか敏感だ。
近くで仕事の話をしていただけなのに、僕の崑崙花の香りに反応した。
几帳面だし、緻密だから。
日頃の少しの変化に気づくタイプの人なのかもしれない。
色んな事......花吐き病とか、に気を使っているのに、崎村課長の敏感さにも気を使わないといけないとかさ。
僕の人生、罰ゲームか修行だよな。
これから先、ずっと終わりのない罰ゲームが続くと思うと気が遠くなる。
「いや、めずらしいなって思って」
「?」
「斉藤、いつも柔軟剤の香りがするからさ。俺、柔軟剤フェチだから、斉藤が使ってる柔軟剤のメーカーまで分かるのに。今日は、全く分からなかったから、香水つけてるのかと思って」
そう言って笑う、崎村課長の笑顔が眩しくて.......体に悪い.......。
「.......あれ、ですか?奥様が、こだわってらっしゃるとか?」
崎村課長が、目を丸くして僕を見た。
「斉藤、何言ってるの?」
「え?」
「俺、独身だけど?」
「はい?」
「独身」
「........スミマセン」
「なんで謝るの?」
「てっきり結婚されてるのかと思って......」
僕のトンチンカンな思い込みに、崎村課長はおかしそうに笑う。
「採用されてからずっと経理課だよ、俺。
こんなとこにいたら出会いなんてあるわけないよ」
「意外です。課長はカッコいいから、モテそうなのに」
ふと、僕の頭にあったかい手の感じがした。
崎村課長の手が僕の頭にのっかって、そして、僕を見て優しく笑う。
「斉藤は俺みたいになるなよ?」
この時、ふっと、胸が痛くなった。
......僕は、気付いたんだ。
崎村課長が僕に向ける優しさとか、笑顔とか。
親が子どもに向けるソレと一緒で。
決して、恋愛とか恋人とかそういう対象にはならないことってことに。
......やっぱ、そうだよなぁ。
憧れだけで、やめとけばよかったんだ。
好きになるなんて、おこがましかったんだ。
......本当、修行みたいだ。
でも、僕の修行は決して成果に結びつかない、自分を追い込むだけの修行で.......。
......そう、思うと。
なんかヤケになってしまった。
「課長!」
「何?斉藤」
「今日、ご予定、ありますか?」
「いや、ないよ?」
「営業の同期にビアフェスタに誘われたんですけど、課長も一緒にどうですか?!」
僕のいきなりで突拍子もない誘いに、課長が固まって僕をジッと見つめる。
「俺みたいなオジさんが行ったら、楽しく飲めないだろ?」
「そんなことないです!行きましょう!!一緒に!!行くんです、課長!!いいですね!?」
こんなに積極的に人と接するなんて、これまでの僕の人生でなかった気がする。
いつも人に流されて、波長をあわせて。
いいヤツどまりで........印象に残らない地味なヤツで。
真面目に生きてたら、いつかはいい事があるんじゃないかって思ってた。
でも、現実は違って。
貧乏くじは引かされるし、奇病にかかって悩み事は増えるし........何より、好きな人に子ども扱いされているし。
なんか、どうでもよくなってしまったんだ。
目の前の課長は、僕の勢いに呆気にとられたような顔をして「さ、斉藤が、そういうなら.......行こうかな?」って言った。
僕は込み上げてくる崑崙花を抑え込んだ。
ここで引いたら、僕はまた地味なヤツに逆戻りだ。
「課長、絶対。絶対、ですからね!忘れないでくださいよ?!」
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