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第13話 蹂躙①

 長い長い夢から醒めて意識を取り戻した時、見知らぬ場所に移動させられていた。奇妙なほど小さな部屋だ。部屋と呼ぶには狭すぎる。天井が低い。壁も近い。まるで大きな箱の中にいるような……  少しずつだが、脳が覚醒してくる。見知らぬ場所と言ったが、全然知らないというわけでもないらしい。ここはきっと、自動車の中だ。大きなワゴン車の荷室だろうか。暗くてわかりにくいが、一応窓が見える。黒い窓だ。外の様子はわからない。  両腕が万歳の状態で固定されていて動かせない。腕だけでなく、体全体がぐにゃぐにゃして力が入りにくい。胸元がすうすうして寒く、シャツがはだけていることに気づく。スラックスも履いていないし、荷物も見当たらない。 「ようやくお目覚めかい?」  俺の足元、つまり運転席の方から男の声がした。よく知っている声だ。よく知っているが、こんな状況で聞きたい声ではない。怒りと恐怖とで体が強張る。 「久しぶり。やっと捕まえたぞ」  男は振り向きざまに懐中電灯で顎を照らした。  圓崎正臣は俺の義理の兄である。といっても籍は入れていないので、便宜上兄と呼んでいるだけである。血の繋がりだけでなく戸籍上でも何の繋がりもない、たまたま同じ家に住むことになってしまっただけの赤の他人だ。  赤の他人である義兄が、なぜ俺を捕まえて拘束するなどという暴挙に出たのか、俺には何となく察しが付いている。 「お前、ここ半年くらい……四か月くらいか。全然相手してくれなかっただろう。タダでヤラせろなんて言っていないのに、見向きもしないで蹴ってきただろう。だからもう、」  レイプするしかないだろ。と、さも当然かのように真顔で宣った。懐中電灯に照らされて闇に浮かび上がるその顔は、悪魔か死神のようだった。 「だが、オレだって鬼じゃない。金ならあるんだ。大人しくするって約束するなら手の拘束も解いてやるし、なるべく優しくしてやる。無理やり痛めつけられるのとどっちがいいか、選ばせてやってもいい」 「……あの軟派な男達はアンタの手下か?」  男はにっこりと笑ったが立ちどころに形相を変え、持っていた懐中電灯を俺に向かってぶん投げた。俺の左耳ぎりぎりを掠めて落ち、硬い音を立てて部品が散らばる。 「質問に質問で返すなよ。今の状況がわかっていないのか」  男は運転席から這い出て、俺の上に圧し掛かる。冬だというのにじっとりと汗ばんだ手で頬を撫でられる。手の感触がさながらナメクジのようで、ますます皮膚が粟立った。 「お前の命はオレに握られているんだぞ。だったら、どうすべきかわかるよな。賢いお前なら」  頬から首筋、脇から二の腕へと、蛇が這いずるような動きで撫で回される。目を瞑って耐えていても、湿った息が寄ってくるのがわかる。 「なぁ、お兄ちゃんの言いたいこと、わかるよな」  べろりと耳を舐められた。体が震えて、奥歯がカチカチ鳴る。 「っ……ぃ、や」 「ん~? もう一回言ってみろ」 「い……い、いやだ、って、言ったんだ」  睨み付ける胆力はなく、恐る恐る目を開く。 「優しいのも無理矢理も、どっちもやだ。俺に触るな……」 「ふぅーん。そういうこと言っちゃうのか」  男は急速に興味を失ったかのように冷めた顔をし、肩をすくめる。 「凪、お前は、オレの思っていたよりもずうっと、愚かな子供だったんだな」  俺の上に馬乗りになったまま、男は高く上げた右手を猛スピードで振り抜いた。  衝撃を受け止めた左頬が燃えるように熱い。間髪入れず、右頬にも強烈な痛みが走る。歯が何本か折れたんじゃないかってくらい口の中は血の海で、ぬるついた鉄の塊が喉を伝って落ちていく。 「わかったら大人しくしていろよ。オレは別にお前をいじめたいわけじゃないんだ。お前が頑なに拒むから、仕方なしに躾けてやってるだけなんだからな。出来の悪い弟を教育するのも立派な兄の務めだろう」  いけしゃあしゃあと、よくもそんなことをぬかせたものだ。面の皮が鉄でできているのだろうか。 「もし暴れたら、次はもっと酷くするぞ。わかるな? ただ黙って感じていればいいんだ。難しいことじゃないだろう」  猫撫で声で甘やかしながら、シャツ越しに胸をまさぐられる。指先が滑らかな布地を移動して、先端を引っ掻いたり弾いたりする。背中がぞくぞくして、膝をすり合わせてしまう。 「や、ぅ、いやだ……」 「嫌とか言って、感じてるんだろう。堪え性のない乳首だ。こんなに勃起させやがって」  立ち上がった乳首がシャツを押し上げているのが自分でもわかる。布に擦られて一層固く尖っていく。 「このままじゃもどかしいだろう。直接触ってやろうな」  優しく言って、胸を露出させられる。唾液で濡らした指が先端に触れた。ナメクジよりももっと気色悪い感触に、全身の毛が逆立った。 「そこらの女なんかよりずっと綺麗な色をしているな。乳輪はぷっくり膨らんで、それでいて乳頭はビンビン突き出していて……お前は本当にエロい。誘ってるんだろう?」 「ちが――んんッ」  片方を捏ね回しながら、もう片方に吸い付かれた。生温かい口に包まれ、舌全体を使ってねっとりと舐め上げられる。抗う術もなく、男の唾液で体が汚されていく。 「何だ、泣いているのか。泣くほど気持ちいいか? それとも、泣くほどお兄ちゃんが恋しかったか?」 「っ、う……も、いや……触らないで」 「はぁ、凪は本当に泣き虫だな。中学生の頃から変わらない。あの時もこんな風に、泣いて嫌がってたっけ」  乾いた音を立て、左頬をぶたれる。ただでさえ灼け付くように痛むところへさらに追い打ちを掛けられ、痺れているのか何なのかいまいち感覚がない。 「でもあの時も、こんな風に殴ったら静かになったよな」  嗚咽を漏らさないように唇を噛みしめると、男は満足そうに笑って行為を再開する。胸から腹を辿り、最後の砦であった下着についに手をかけられた。いとも簡単に脱がされてしまう。 「胸だけでも十分良さそうだが、やはり肝心のところを触ってやらないとな。……ん? 何だ、もう勃ってるじゃないか。嫌がるふりして、ちゃんと感じてるんだな。次は素直に、気持ちいいって言うんだぞ」 「う、うそ、なんで……」  揶揄するような男の台詞に、死にたいくらい惨めな気持ちになる。快感よりも屈辱と気持ち悪さが圧倒的に勝っているのに、どうして勃起しているんだ。抵抗したくたってどうしようもなく、俺は唇を結んで顔を背けた。目の前の現実から逃げ出したい。  しかし男の手は止まることなく、少々乱暴に俺のモノを刺激する。男の手が湿っているのか、それとも俺のモノが濡れているのかわからない。 「やッ、あ、あ……ぅ、んんん」 「凪、自分のペニスが今どうなっているか、わかっているのか? カウパーが垂れ流しで、とってもはしたないぞ。本当にお前は、上も下も締まりがない。すぐ泣くし、こっちもすぐ漏らすしなぁ」 「ふぁ、う、なんで」 「そんなに気になるなら教えてやろうか。ここに来る道すがら、あいつらにお前の体を貸してたんだ。と言っても、ペッティングまでしか許していないけどな。その時の熱が溜まりに溜まって、普段より敏感になってしまってるんだろう」  意味がわからない。どういうことだ。あいつらってのは、俺をナンパしてきた三人組のことだろうか。そいつらに何をさせたって? 「ああ、もちろん大事なところには指一本触らせていないから安心してくれよ。凪のここは、オレだけのものなんだから」  赤ん坊みたいにみっともなく足を開かされ、肉の割れ目に指を挿し入れられる。おそらく中指に人差し指を添えているのだが、そのわりに挿入が容易い。 「お前が寝てる間に解しておいたんだ。中は既にローションで濡らしてある。でも反応がないのは物足りなくてな。起きるのを待ってたんだ」  腹の内側で、男の指が芋虫のように蠢く。准一の指とはまるで違う。形も太さも柔らかさも、関節の凹凸に至るまで違う。准一の爪はこんなに尖っていないしざらざらしていない。准一の指はもっとふっくらしていて優しい。准一はわざと前立腺を避けて焦らすような触り方はしない。 「おいおいおい、また泣いているのか。何が不満だ? 寒いのか? それとも、あいつらにお前を貸したことを怒ってるのか?」  男の言葉を反芻する。俺は寝ている間、自分の体をあの金髪やロン毛の男どもに好き勝手させていたのか。頭のてっぺんから足の先まで、全身隈なくあいつらの手垢や唾液で汚されて……。そこまで考えて、堪えきれなくなった嗚咽が漏れた。 「今さら泣いたって仕方ないだろう。あいつら、どうしてもヤリたいってうるさかったんだ。お前を攫ってきてくれた礼もあるし、ちょっと触らせるくらいいいじゃないか」  嫌だ。もう、黙ってくれ。俺に何も聞かせないでくれ。目を伏せてうつむいていても、現実は厳然とそこにある。 「でも、お前だって悦んでいただろう。寝ながら喘いでいたし、ここも固くしていたぞ」 「ぁ……やだ、もうやだぁ」 「何が嫌なんだ。知らない男に口づけされたのが嫌か? だったらお兄ちゃんが綺麗にしてやろうな」  やめてくれと叫ぶ隙も与えられず、口をすっかり覆われた。男の舌が俺の唇をなぞり、ぬるりと侵入してくる。蛇の舌を思わせるその動きに血の気が引いた。咄嗟に頭を振って逃げようとすると、鼻を摘ままれて固定される。骨が折れるんじゃないかってくらい、強い力で押さえ付けられる。  呼吸のために口を開くと、揚々と侵入してきた男の舌に蹂躙される。口から溢れるほど大量の唾液を送り込まれ、否応なしに飲み込んでしまう。泥の海で溺れ、無理矢理ヘドロを飲まされているような錯覚に陥る。汚いものがどんどん体を侵食していく。体の内側も外側も、みるみるうちに穢されていく。 「っ!? な、お前、何を……」  男はぎょっとしたように手を放して飛びのいた。後ろに入っていた指も抜けていった。  俺の口元に零れているのは、唾液でもヘドロでもなく、自らの胃液である。胃は空っぽだったらしく、喉元には酸味だけが残っている。一旦吐いたにも関わらず、再び悪心が込み上げてくる。今度は若干体を捻って、荷室の絨毯に向かって嘔吐した。  目眩がする。狂ったように動悸がして、死んでしまいそうなくらい苦しい。咳き込みながら息を整えていると突然鳩尾を殴られて、そのせいでまた吐いてしまう。ほとんど量はなかったが、食道が焼けるように痛い。 「おまっ、お前……ふざけるなよ! オレの車を汚しやがって! 買ったばかりなのに!」  怒鳴り散らしながら助手席を漁って何かを投げ付けてくる。制服だ。俺の学ラン。 「ちょうどいいタオルがないから、それで拭いておけ。オレは外で水を飲んでくるから、戻ってくるまでに綺麗にしておけよ」  左手だけ拘束を解かれる。麻縄で手首を縛り、その縄を荷室のフックに繋ぐことで固定していたらしい。右手はいまだに括られたままだ。  俺は朦朧としながら学ランのポケットからハンカチを取り出し、吐き出したものを拭いた。利き手じゃないから上手く拭き取れない。ハンカチはあっという間にびしょびしょになってしまう。  視界がぼんやりと霞んでくる。拭いても拭いても、汚れが取れない。染み付いてしまっているんだ。奥の方まで、繊維の一本一本に至るまで、汚れが染み付いてしまって取れない。一生かけても綺麗になんてならない。  こんなにも脆かっただろうか。俺という人間は。いつからこんなに脆くなってしまったのだろう。  確かにキスは嫌いだ。兄のことも嫌いだ。知らないうちに体を好き勝手弄られるのだって嫌いだ。当たり前だ。でも、ほんの少し前までだったら……准一と出会う前だったら、もっと上手く強かにやり過ごすことができていたはずだ。金のやり取りさえあれば、嫌いな相手とのキスやセックスにも耐えられる。決して嘔吐なんかしない。  ほんの少し前までだったら、兄に二万円でも三万円でも金を払わせて、同意の上でのセックスに持ち込んでいたはずだ。あの軟派な三人に対しても、わざわざバーに行くような回りくどい真似をしないで、真っ直ぐホテルへ向かっていたはずだ。  金銭を受け取って体を売ることで、虫唾が走るような汚いやつらとも対等な関係を築けるような気がしていた。一方的に搾取されるなんてごめんだ。俺だってそっち側に立ってやる。色でも何でも利用して、俺だって大人達から搾取してやる。奪い返してやる。俺なんかを抱くために大金を払う男どもを見るのは、笑い転げるほど痛快だった。  だがどういうわけか、最近はそうやって割り切ることができない。生理的な問題かもしれない。そういうことを、体が受け付けなくなっている。札束で頬を叩かれたとしても、売れないものは売れない。いくら積まれたとしても触れられたくない。金なんかいらない。もっと価値のあるものがほしい。

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