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01:歪な友人関係

 ワインバーを出て、少し離れて止まっている黒塗りの外車に合図するように、寅山喜之助(とらやまきのすけ)は軽く手を上げた。  社長という役職とはいえ、三代続く羊羮屋の一人息子という理由で今の地位にいるような自分には、つくづく運転手つきの高級車は不釣り合いだと感じるのだが、父親である会長が言うには、いずれ相応しくなっていくものらしい。  その扉の前には運転手の柴田が立っていた。このくらいの時間に解散になるから、とあらかじめ告げていたが、毎度のことながら、柴田は時間を間違いなく守る。そして多くを語らず、秘密も守る。そうでなければ、一流の運転手とはいえない。   寅山が近づくと白い手袋をつけた手が後部座席の扉を開ける。何も言わず、そのまま後部座席に乗り込めば、寅山に続いてすぐ後ろに立っていた、龍崎慎也(りゅうざきしんや)も乗り込む。二人が座席に深く座ったことを確認し、扉が閉められた。  車が発進したのと、ほぼ同時に龍崎はパワーウィンドウを開け、右手はスーツの内ポケットに伸びている。おそらく煙草だろう。めったに人前では吸わないらしいが、自分といるときは気を許しているのか、毎回車に乗り込むと一本だけ吸う。その姿は、自分も運転手も見慣れているので、特に気にも止めない。  いつものごとく、ラッキーストライクのボックスから取り出した一本を唇に咥え、キンと音をたててZIPPOの蓋が開き、揺らめく炎が煙草の先端に赤を灯す。同時に、すん、とオイルの匂いが寅山の鼻まで届く。昔から、何度も見ている光景だというのに、この瞬間の龍崎慎也は世界で一番かっこいい。それを本人に伝えたら、「当然だ」などと調子に乗るので、この先、絶対に言わないと決めている。 「それにしてもイチくん、幸せそうだったね」  寅山は、龍崎が最初の煙を吐いたのを見届けてから、話しかける。   「ったく、手間かけさせやがって」  吐き出された煙はウィンドウの外へ流れ、その煙を目で追っている龍崎の表情は、隣の寅山からは見えないが、きっと、呆れ半分、嬉しさ半分の顔をしているのだろうと思う。  今日は自分と龍崎の高校の同級生である黒川一狼の慰労会という名の、冷やかし会だった。  黒川は、昔、別れた男のいるイギリスに行き、曖昧だった関係にけじめをつけて、想い人のいる日本に帰ってきた。それを聞いた龍崎は、わざわざイギリスに行く必要があるのか、と黒川の行動が気に入らなかったようだが、自分にとってはそんなところが黒川らしいと感じる。昔から、ドライなように見えて、実は情が深く、最後まで責任を持つ、こだわりがある。  龍崎のように、異常に決断の早い人間のほうが世の中には少ない。有名大学を卒業して大手広告代理店に就職し、一年後には退職して一人で会社を立ち上げるなんて常人の為せる技ではない。  そして黒川は現在、龍崎の会社である『龍崎コーポレート』でデザイナーとして働いている。龍崎コーポレートといえば、大企業に物怖じすることなく、コンペ形式のプレゼンでは常勝確定と評価を受けるほど、向かうところ敵無しと言われる少数精鋭の広告代理店でもある。もちろん、会社が世間に認められるようになるまでには紆余曲折あっただろう。普通なら判断が難しい事柄も、誰にも相談せずに即決する、この男には迷いや躊躇という言葉は無縁のようにも感じる。  黒川と龍崎、そんな二人のちょうど真ん中が自分の定位置であったと思う。それは高校の頃から今でも変わっていない。  寅山が家業の寅山羊羹を継いで三代目の社長になってからは、龍崎の会社に広報を一任している。高校の卒業式のあと、龍崎が『俺が会社を立ち上げ、黒川をデザイナーに採用して、寅山羊羹の企業広告を作る。そして、今より儲けさせてやる』と声高に宣言した。  そのときは、寅山も黒川も、真に受けていなかったのだが、あれから20年近くたって、龍崎はそれを本当に実現した。龍崎は言ったことは必ず守る。そういう男なのだ。 「そうだ。お前のところの営業担当だが、今日来てた篠原にする」 「え? 篠原さんってイチくんの恋人だよね?」 「ああ。近々、デザイナーの蛇原と挨拶に行かせる」 「わかったよ。篠原くんとは仲良くやれそうな気がする」 「おい、篠原に、黒川のこと根掘り葉掘り聞くなよ。あいつ黒川のこととなると調子に乗ってなんでも話しちまう。営業として全くなってない。鍛え直さないと」 「ははは。惚気話なんて、微笑ましいじゃない」  ふん、と鼻で笑い、龍崎は内ポケットにあった携帯灰皿に煙草をねじこんだ。  寅山が何も言わなくとも、車はすでに目的地に向かって走り出していた。時計を見れば、二十三時を過ぎたくらいだ。 「ねぇ、このあとどうする?」 「どうって」 「慎也を家に、まっすぐ送り届けるのかってこと」  龍崎はため息をついた。自分が何を言いたいのか、察しがついているからだろう。そして、寅山は最初から龍崎を送り届けるだけのつもりでは、なかったということも。 「いつも言ってるじゃない。僕はいつだってそういう気持ちだって、さ」  隣の龍崎の太ももから膝にかけてを、寅山はじれったく撫でた。そんな悪戯な手に構うことなく、龍崎は窓の方に顔を向けたまま、小さく呟いた。 「……夜が明ける前には帰る」  その言葉に、寅山の目元は優しく緩んだ。 「ねぇ、このまま別宅に向かって」  寅山が柴田に告げると、無言のまま車は広い道路の中央で大きくUターンした。 ***  一軒家の多い閑静な高級住宅街は夜も深い時間のせいか、対向車もなく、街灯だけが灯る道を車は走った。  その中で、周囲よりもひときわ高くそびえたマンションの地下に車は進んでいく。地下の駐車場へ向かう道中、ヘッドライトに照らされた内壁は温かそうな赤レンガを模しており、重厚な雰囲気と揺るぐことのない円満な家庭を彷彿とさせる。ここを借りるとき、に不動産屋がここは四人家族で住むのを想定して作られていると穏やかに説明していたのを寅山は思い出していた。だが、寅山が別宅を作った目的は決して明るい理由ではなかった。  車は、地下のエレベータの前で停車した。運転手の柴田は無言のまま外へ出て、後部座席の扉を開ける。龍崎につづいて、自分も降りる。 「二時間後にきて」 「かしこまりました」  寅山がそう告げると、柴田は表情ひとつ変えずに頷いてそのまま運転席に向かう。その姿を追うことなく、寅山はエレベータの方へ歩きだす。龍崎もその後ろを歩いた。   二つあるエレベータの高階層と表示された方に乗り込む。流れるように、25と書かれた数字のボタンを押す。その間、二人はエレベータの階数表示を無言で見上げていた。いつもそうだ。普段は饒舌な龍崎がここに来ると、途端に寡黙になる。  それはそうだろうと思う。龍崎は、寅山のために仕方なく、ここに来ているのだから。  エレベータの扉が開き、寅山は先に降りる。同じ二十五階フロアには4つの部屋しかなく、寅山の借りている部屋はエレベータから一番遠い。この部屋の間取りは特別に広く、なおかつ防音設備が完備されている。同じフロアには円満な家族が何も知らずに暮らしているので、寅山の部屋から音が漏れないように気を遣っている。    寅山は着物の袂からカードキーを取り出し、部屋の扉を開ける。閉まりかけた扉に滑り込むように龍崎も部屋に入る。広めの玄関には靴が一足も置いておらず、備え付けのシューズボックスの中にも何もない。部屋を入ってすぐに台所があるが、キッチン用品は何ひとつ置いていない。ランドリースペースに洗濯機と掃除機が置いてある。唯一、浴室だけはアメニティが充実している。生活感のない部屋なのは当たり前だ。ここは生活をするための部屋ではないのだから。  寅山は草履を脱いで、部屋に上がる。龍崎も黙ったまま、靴を脱ぐ。いつものようにスリーピースのスーツを着こなし、今日はベルトに合わせて、茶色の上品なウィングチップのシューズを履いている。龍崎の両足が部屋に上がったのを見計らって、寅山は振り返り、龍崎の胸倉を片手でつかみ、壁に背中を打ち付けた。 「いってぇ……んんっ」  寅山に比べて、頭ひとつぶんくらい高い龍崎の唇を掬うように、自分の唇を押し付け、舌をねじこんだ。勢いで龍崎の後頭部が壁にごつんと音を立てるが構わない。龍崎の口の中はアルコールのせいか、熱く、唾液は煙草独特の香ばしい味がする。ねじこまれた寅山の舌に龍崎の舌も遅れて応じる。じゅる、と音を立てて強く舌を吸うと、薄く開いている寅山の視界に、龍崎の眉間に皺が寄るのが見えた。  龍崎の口内を寅山の舌が上顎、歯茎、下顎、と順を追って蹂躙する。胸倉を引き寄せられて、背中は壁に奪われているので、龍崎自身は身動きがとれず、寅山を受け入れるしかない。これはキスという甘い行為とは程遠い。寅山の右足は、いつしか龍崎の両足の間にいて、その太ももはその上の股間を押し上げるようにして、その硬さを確かめている。 「あいかわらず、すぐには反応してくれないね」  ようやく離れた唇と唇の至近距離で、寅山がつぶやく。 「これで興奮するほど悪趣味じゃねーんだよ」  息苦しさから開放されたせいか、はぁ、と息を荒くしながらも、龍崎の瞳にはまだ余裕が残っている。 「ま。お互い、すぐ反応する若さでもないけど」  龍崎の胸倉を掴んでいた寅山の手が緩められ、そのまま龍崎のベルトに触れ、カチャカチャとバックルを外し始める。寅山は龍崎を見つめたまま、龍崎を見つめて、反応を楽しんでいる。龍崎は、寅山をまるで汚いものでも見るように蔑んだ視線を投げる。 「いいね。僕、そういう慎也の顔、大好き。興奮しちゃうな」  龍崎の返事を待つことなく、寅山はゆっくり膝を折って、龍崎の足元に跪く。ちょうど目の前には、外れたベルトに、スーツのズボンの前がくつろがせてあり、中には黒いボクサーパンツが見えている。にわかに隆起した下半身を手のひらで包むように下着の上から、そのカタチに沿ってなぞると、龍崎の身体は小さく揺れた。手の中の熱は、徐々に逆流する血液を感じる。ボクサーパンツの縁を手前に引きながら下ろせば、ゆらりと上を向いた龍崎の雄が尖端に透明な液を溢れさせていた。  そのまま反対の手で大事そうに下着から取り出し、かたちにそってその生身の雄を両手で包む。もう何度も見ているからわかる。十分膨らんでいるようにみえるが、龍崎の限界はこの程度ではない。今はただ、眠っていた龍が目を覚ましただけに過ぎない。まだ限界半ばの硬さが、こんなことでは興奮するものか、という龍崎の残された理性のようで愛らしい。  両手で握り込むようにして、雄の裏側を唾液をたっぷり含ませた舌で下から上に舐めあげる。指先で尖端から溢れた液を鈴口に塗り込むように弄れば、龍崎の身体はびくびくと反応する。鼻先に蒸れた雄の匂いを感じ、寅山の脳から身体全体に徐々に性欲が支配していく。  どんなに頭の中でセックスがしたいと思ってても、寅山には表の顔がある。老舗羊羹屋の社長という淑女のような肩書が、正直な身体の欲望を封印している。こうして、龍崎の雄の匂いを嗅ぎ、軽蔑するかのような蔑む視線が加われば、背徳感は消し飛び、卑しい劣等感で身体が満ちて、欲望に素直になれるのだ。    たっぷりと龍崎を唾液でべたべたに湿らせた上で、口に含む。じゅぶ、とわざと大きく水音を立ててしゃぶれば、龍崎の両手は壁についたまま、震えはじめる。どこまでその頑なな理性が、快感に逆らえるのかを、楽しみながら、この男の眠った龍をあぶり出していくこの瞬間が好きだ。 「うっ……あ、…」  喉元で締め上げ、舌先で尖端を舐め転がし、手の愛撫も忘れない。この龍を叩き起こすことなど、寅山には造作もない。龍崎が抗おうとする姿を、口に雄を咥えながら上目づかいで見るのがたまらく好きだ。そして時々みせる、拒絶と哀願が入り乱れた龍崎の表情に最高の快感をおぼえる。龍崎コーポレートの社員は社長のこんな顔を知らないのだという優越感が寅山の興奮を加速させる。龍崎の呻き声と、寅山が激しく上下に顔を揺り動かしながら響く水音が混ざり合う。      「引け……っ」  限界に近いのか、伸ばされた龍崎の手は寅山の後頭部の長い髪をつかもうと指先が動く。引き離したい理性の片鱗が残る指先と、快楽に従いたい本能が、寅山の後頭部でもがいている様が目に浮かぶ。 「やめっ……」  龍崎がドンと壁を拳で叩く。もう、龍はすぐそこまで来ている。猛々しく暴れる龍が、もうすぐ龍崎を支配する。構わずに、じゅ、っと深く吸い上げれば、口の中の雄はびくびくっと震え、喉の奥壁に生温かい液を叩きつけた。 「っあ……!」  天井に向かって短く叫ぶ声を聞き、龍崎が達したのだとわかる。はぁはぁ、と息を吐く声が玄関に響く。その間も寅山は口の中で、まだ硬さを保っている雄を丁寧に舐め取る。残滓も残らず飲み込みたくて、尖端を吸うように舐める。 「濃いなぁ。また、溜めてたの?」  ゆらりと立ち上がり、龍崎の目の前で見せつけるようにして、自分の人差し指を口に含む。わずかに残る白濁を見せるように、舌をべろりと出しながら上目遣いで龍崎を見ると、その瞳はさきほどよりも熱を帯びて、こちらを睨みつけている。 「毎回、僕に口でイカされるの、そんなに悔しい?」 「……うるせぇ」 「ねぇ、今夜もいっぱい汚してね。激しくして。罵って」  人差し指で、つい、と龍崎のネクタイを引き出してみる。スーツなんて脱いでしまえばいい。お互いに本能のままに従えばいい。肩書なんて玄関に置いていってしまえばいい。  はぁ、と溜息をつきながら、龍崎はぐしゃぐしゃと自分の前髪を掻き混ぜる。セットしてあった髪がぱらぱらと額に落ちて、龍崎慎也の素の姿があらわになる。こんなことをねだってくる同級生に嫌悪感に近い諦めの表情を見せながらも、少しずつ理性を取り戻しつつあるのがわかる。けれど、再び眠ろうとする龍の封印を解く言葉を寅山は知っている。 「別に慎也じゃなくたっていいんだけどね」  龍崎の目の色が急に変わる刹那、今、まさに龍を起こしたとわかる。一度目覚めさせてしまったら誰も止められない暴れる龍を、目の前の男は飼っている。この男は、自分ではない誰かと比べられ、優劣をつけられることが一番嫌いだということを、寅山は知っている。 「テメェ、朝まで啼かしてやるから覚悟しろ」  睨みつけるその瞳は、冷ややかにみえて、奥に青く燃える炎が見える。その簡単に消せない炎に、寅山はぞくぞくと期待に胸が躍る。寅山は着物の内側で、太ももに冷たいものが、つい、と流れるのを感じた。

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