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02:巻き込まれた息子

 それは、寅山が高校一年のときだった。 「寅山喜之助くんだよね」  車の助手席から、歩道を歩く寅山に若い男が声をかけてきた。その日はたまたま委員会で遅くなり、迎えの車もなく一人で帰宅している途中だった。 「そうですが」 「実は、お父様が倒れて」 「父が……?」 「君を迎えに来るように言われたんだ。早く車に乗って」  助手席の男はとても焦っているように思えた。焦っているというより、動揺しているといった方が正しいだろうか。声をかけてきた助手席の男にも、運転席に座る男も、寅山の知らない人間だったが、これは緊急事態のせいなのかもしれない。父の会社である寅山羊羹という組織はとてつもなく大きく、寅山自身が知らない従業員なんて山ほどいる。  寅山は開かれた車のスライド扉から部座席に乗り込んだ。白いハイエースの車内は薄汚れていて、後部にはなぜか荒縄が積んであったのが印象的だった。この時は、まさかその荒縄に自分が縛られ 一週間近く監禁されるなんて、思いもしなかった。    車に乗り込んだ後、「父が倒れたときはどんな様子でしたか?」「どこの病院に向かっているんですか?」という寅山の問いに対して、男二人は一切答えなかった。車内に会話はなく、聞こえているはずの寅山の質問は無視されている。不審に思った寅山は、質問をするのをやめ、冷静に思考を巡らせた。もし本当に彼らが言う通り、父親が危険な状態で父の元に向かっているのであれば詳しい説明があって然りなのにそれがない。  彼らは、 最初に『寅山喜之助』であることを確認してきたこと、寅山自身に彼らに見覚えがないこと、要するに初対面だ。彼らの目的は『寅山喜之助を車に載せること』すなわち、父親のことはその口実だった可能性が極めて高いということだ。  寅山の脳裏には『誘拐』という二文字が浮かぶ。このまま自宅に送り届けるつもりでないことは、さきほど高速道路に乗った時点で確定した。流れる景色も、都心から離れて郊外に向かっていた。明らかにおかしいとわかっても、ここで暴れるのは得策ではないと、寅山は黙っていた。怪しんでいることに気づかれないよう、走行中の後部座席のドアを確認するが内側からロックされている。隙を見て飛び出すのは難しい。助手席に座る若い二十代の男と運転席には少し年配の男、華奢な自分では二人には力で敵いそうにない。  このままどこに向かっているのか見当がつかないが、もし誘拐だとすれば彼らの行動には隙が多い。暴行の類であれば、頭から麻袋を被せたり、居所を覚えられないように目隠しをするのが定石だが、彼らはそれをしない。先程、高速道路を降りたインターチェンジも寅山は確認している。もし、自分が人を一人誘拐するなら、車に乗り込んだ時点で暴れないように手足を拘束するが、それもしない。  彼らの目的はなんなのだろう。金なのか、それとも――  あれから小一時間くらい走り続けただろうか。車は郊外のアパートが密集する住宅街で停まった。運転席の男が先に車を降りて、助手席の男が、車内から後部座席に移ってきた。 「僕をどうするつもりですか?」  助手席の若い男に尋ねる。すでに本来の目的ではないことはわかっていると言わんばかりに平静を装って聞いたつもりだ。その男は面食らったように驚いた表情を見せ、後ろのポケットから手錠を取り出した。 「巻き込んでごめんね。でも長くかからないはずだから」 「どういうことですか……?」 「社長が工場長の懲戒免職を取り消してくれさえすれば、君は釈放する」  申し訳なさそうな男の表情と、工場、というキーワードに、寅山は先月頃の父と母の会話を思い出した。 『豊橋工場は閉鎖が決まった』 『閉鎖って……従業員の方たちはどうなるのです?』 『ある程度は別の工場に移ってもらうが、問題を起こした工場長たちは解雇だ』 『御慈悲もないのですか……』 『あるはずがない。やつらは、人として許されないことをしたのだ』  豊橋工場の幹部解雇は寅山羊羹始まって以来の出来事だったが、従業員の不祥事によるものだと説明されていた。そのことに息子である寅山は父親のしたことに、何も疑いを持つこともなかったし、口を出すこともなかった。  若い男の言葉に、辻褄が合った。これは豊橋工場で不当な解雇を受けた従業員が、現社長の息子である寅山喜之助を誘拐し、解雇の撤回を求めるのが目的なのだ。  目的がわかればひとまずは様子を見よう。寅山は男に身を委ねた。両腕を後ろにまわされ手錠をかけられた。若い男の手は震えていた。どんな理由であれ不当な解雇をしたのは自分の父親であるという事実に、息子である自分の立場では強く抗議できないと理解した。物分りがいいのも考えものだと思う。抵抗することで大きな問題にならなければそれで済むと寅山は割り切った。 「おい、部屋に連れてけ」  運転席の男が戻ってきて若い男に命じ、部屋の鍵のようなものを渡していた。寅山が持っていた学生鞄を脇にかかえ、若い男は寅山の手錠の部分を隠すようにして、その体を車からおろす。  そのまま古びたアパートの一階の角部屋に連れていかれるが、当然、来たことがない場所だ。男が木製の扉を、さきほど預かったと思われる鍵を使って開ける。中は暗く、真っ先にスンと男くさい臭いが漂い、例えるなら運動部の部室のような臭いがした。  若い男に背中を押され、革靴を脱ぎ、中に入る。目が慣れてくると、何も置いていない殺風景な台所を横切り、奥には和室が二部屋あった。襖の開いている方へ進めば、蛍光灯の中に小さい灯りがついていて、そこにはテレビと折りたたみの四角テーブルに、布団が乱雑にたたまれていた。どうやら誰かが住んでいる部屋らしい。 「トイレは大丈夫? おなかすいてる?」  寅山は首を横に振ると、若い男は寅山を畳の上に座らせた。 「俺は柴田敦也。豊橋の工場長は俺の父親なんだ」 「豊橋の工場って……閉鎖の決まった……?」 「そう。親父を助けるために、いろんな人が動いてくれて、これが最終手段だ」 「なぜ父は、あなたのお父さんを?」  おそるおそる尋ねてみると、柴田は悔しそうな表情を浮かべた。 「親父は嵌められんだ。ありもしないことをでっちあげられて……俺は羊羹のために一生懸命に働いていた父親を助けたい」  柴田の悲痛な声音には真実味があって、嘘をついているようには思えない。それに彼の『巻き込んでごめん』という言葉には罪の意識が感じられた。彼はこれが許されないことだと意識している。仕方なく、誘拐に加担したという自覚がある。 「僕は大丈夫です」 「喜之助くん……」 「柴田さんが嘘をついているように思えない。僕は貴方の言葉を信じます」 「ごめん。関係ない君を巻き込んで……」 「柴田さんのお父さんはうちの羊羹のために働いてくれたのでしょう? そんな人を理由なく解雇することは許されないことです。謝らなければいけないのは、社長である父親の、息子である僕でしょう」 「おい、何話してやがる!」  先程の運転席の男と、もう一人威勢のいい男が部屋に入り込んできた。 「あのっ、父はどこにいるんですか!」 「おまえには関係ないだろ! もう帰っていいぞ。朝、こいつの食料持ってここに来い」 「喜之助くんはどうなるんですか?」 「あとは俺達がかわいがってやるから、安心しろ」  男の手が座っている寅山の頭を乱暴に撫で付けた。 「お願いです。喜之助くんに乱暴はしないでください!」 「うるせえな、くそガキ!」 「うわっ!」  男は勢い良く、柴田を蹴飛ばすと、一人前の大人の体が飛ばされ、壁に打ち付けられた。 「柴田さん!」 「さっさと行けよ」  運転していた男が、車のキーを倒れ込んでいる柴田に投げてよこし、持参してきていた荒縄を肩に担いだまま、寅山の前にしゃがみ、じろじろと舐め回すかのように顔を品定めし始めた。 「へえ、噂に聞いてたけど、本当に綺麗な顔してんだな。坊っちゃん」 「逃げ出すと面倒だ。裸で縛っておけ」 「やめろ! やめてく……ぐはっ!」  呻いていた柴田が起き上がり叫んだところに、さらにみぞおちを蹴られていた。 「早く帰れって言ってんだよ。おまえにはもう用はねえんだよ!」 「ぐあっ……あっ…」 「やめろ! 僕が脱げばいいんだろ! 脱ぐから!」  気づけば寅山は叫んでいた。自分をかばい、蹴られている柴田を見ていられなかった。 「物分りのいいお坊ちゃんだな。おい、手錠の鍵はずしてやれ」  男は柴田のポケットから手錠の鍵を取り出すと、寅山の手錠を外した。男二人がニヤニヤと見守る中、寅山は横たわっている柴田を見て、自ら学生服を脱いだ。 ブレザー、シャツ、ネクタイ、Tシャツ、ズボン……そして下着と靴下だけの姿になって、身がすくんだ。 「パンツも脱ぐに決まってんだろ、坊っちゃん」 ***  はっきりいって屈辱以外の何ものでもなかった。  家が厳しいせいもあり、女性経験はもちろんのこと、性的な行為は何ひとつ知らない無垢な心と体が、今は男たちの好奇の目に晒されている。こんな風に言いなりになって裸になるなんて、気高い父が知ったら激怒するだろうと思う。でも自分は何も悪いことはしていない。堂々としていればいいだけだ。勢いをつけて、下着を一気に引き下ろした。 「ひゅー。男にしておくにはもったいねえ、いい体だな」 「ちょっと痩せすぎじゃねえか?」  談笑しながら、男は寅山の腕を後ろにまわし手首を留め、そのまま腕ごと胴体をぐるぐると荒縄で縛った。上と下で二重になった縄の間に、空気に触れたせいか、両の乳首がつんと立っている。 「お坊ちゃん、ちょっと勃ってねえか?」  耳元で囁かれ、顔を背ける。 「見られて感じてんのか。イマドキのガキはエロいな」  どん、と押されて、そのまま床に倒れ込む。柴田が心配そうにこちらを見つめている視線を感じる。けれど全裸で縄で縛られていて、こんな恥ずかしい姿を見られたくなくて、目が合わないように顔を背けるのに必死だ。 「何、じろじろ見てんだ。おまえにはまだ早いんだよ! いいから明日の朝来い。わかったな」  男は柴田を無理やり起こし、玄関まで引っ張っていった。扉が乱暴に閉まる音がして、柴田が出ていったとわかる。  もうここには自分を守ってくれる味方はいない。柴田の言うとおり、彼の父親の懲戒が取り消されれば終わるというのなら、もしかするとすぐ解放されるかもしれないし、逆に永遠にここに監禁されるかもしれない。しかし、自分の父親の命じた解雇のせいで、誰かの人生が狂ってしまうのなら、その罪は息子である自分が受けるべきかもしれない。寅山の心は決まりつつあった。 「あーあ、男じゃなくて女だったらよかったのにな」 「おまえバカだな。女じゃないからいいんだろ?」 「え、そういうもん?」 「どんだけ出しても妊娠しないし、人間のケツは丈夫なんだぜ。言うことなしだろ」 「おまえロクな死に方しねえな!」  二人の男が寅山のことを言っているのはわかる。このあと、自分はもしかして女のように犯されるのだろうか。見えない恐怖が支配する。 「ローション使えば、女のアレみたいに滑りもよくなるぜ」 「マジかよ、最高だな」 「坊っちゃん、癖になっちまったりしてな」 「人生狂っちゃうだろ。寅山羊羹の御曹司が肉便器にされるなんてよ」  二人の男が高笑いを浮かべながら談笑している。冷蔵庫に飲み物があるらしく、二人はそこからビールを持ってきて、煙草を吸い、全裸で横たわる寅山を前にたわいもない会話を続けている。どうせヤるなら、ひと思いにやってくれればいいのに、男二人は寅山になかなか手を出してこない。何を待っているのだろう。自分が襲われるのはいつなのだろう。  それから2時間ほどが経過しただろうか。 「おーい」  ガチャ、と玄関から音がして、もう一人の男が現れた。黒いサングラスに、柄のシャツ、黒革のパンツを履いた細身の男がジュラルミンケースのようなものを持参して部屋に入ってきた。 「遅いっすよ。待ちくたびれましたぜ」 「悪い悪い。渋滞してたんだ」  男は窓側に向かい、カーテンを閉め、去り際に横たわっている寅山と目が合った。 「へぇ、こいつは上玉だな。裏で高く売れそうだ」 「兄貴がそういうなら間違いないっすね」 「羊羹屋の息子だっけか。まぁ、俺らを恨んでも無駄だからな。そこんとこよろしく」  サングラスの男は寅山の頭をぽんと撫でた。 「いろいろ持ってきたから、朝までたっぷりかわいがろうぜ」 「うわ、なんすか、コレ」 「アナルビーズ。これ、引っ張ると卵産んでるみてーで超興奮するぜ」  男のジュラルミンケースを囲み、三人が賑やかに話している。そして男はケースから三脚とビデオカメラを取り出した。 「見た目のきれいな高校生は人気なんだぜ」  寅山は男が不敵な笑いを浮かべるのを見て、背筋がぞくりとした。この三人の男に、今から自分が何をされるのか、予想もつかなかった。 「で、おまえら風呂くらい入ってきたんだろうな」 「え?」 「いや、それは……」 「おいおい、こんなきれいな体をいただくんだから綺麗にしてこい」 「今からっすか?」 「おまえらが来たらすぐに突っ込めるように馴らしておいてやる」 「兄貴、そりゃずるいっすよ」 「この先の駅前にサウナがある。二人で行け」  男二人は渋々、重い腰を持ち上げて、部屋を出ていった。

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