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16:龍はすべてを知る
「クビって……どういう……」
「慎也くん! それはあとから説明するって話で」
「柴田さんはさ、こいつに甘いんだよ。寅山、おまえは黙ってろ。説明しねえって言ってるわけじゃねぇんだ」
「慎也には関係ないだろ!」
「まぁまぁ、寅山さん。そう言わないでください。俺の手配も含めて、全部龍崎が動いてるんです」
「そんなの僕は頼んでない!」
「朝比奈、ほっとけよ。そいつは、世間知らずなガキのまま社長になってるから無理ねえよ」
「君に言われたくないよ!」
「社長! お願いですから、今は慎也くんの言うことを聞いてください。私にも社長にもできないことを慎也くんはやってくれてるんです」
「だーかーら、こいつは社長じゃないって、柴田さん」
「なんで社長じゃないのかを説明しろよ!」
「おい、龍崎! おまえが煽ってどうする」
無駄な言葉の応酬に、寅山は、ぐっと唇を噛みしめて黙った。自分が言葉を荒げれば荒げるほど、龍崎ではなく他の二人に迷惑をかけるのだと悟った。いろんな責務を負っていたのに、たった三日、世間から離れていただけで、自分の環境がガラリと変わっている。それをなんの説明もなしに、とりあえず落ち着いてなんて、できるはずがない。腹立たしい、気分が乱れる、今すぐ叫びたい。こんなに感情が揺れ動いたことなんて、あっただろうか。
隙を見て、会社に向かえばなにか、わかるだろうか。黙ったまま、そんなことを思案しているうちに、見慣れたマンションに着いた。
「ここは龍崎の……?」
「すみません、しばらくはここに龍崎といてください。自宅には事情があって帰れません」
「帰れないって、どういう……」
「降りるぞ」
龍崎が助手席の扉を開ける。
「寅山さん、いろいろ思うところあると思いますが、龍崎にも考えがあります。まずは、体を休めて、落ち着いたらまたお話しましょう」
「……いろいろお世話になりました」
隣の朝比奈に頭を下げる。朝比奈には何も非はない。そもそも、龍崎に雇われて、ここにいるだけなのだから。
「喜之助くん、また迎えに来るから」
泣きそうな顏の柴田を見たら、なんだか申し訳ない気分になった。柴田の目の下にクマができていて、疲れているようにもみえる。自分が、柴田に気苦労をかけたのは間違いない。
「早く降りろ」
外からは龍崎が冷たく言い放った。
寅山は渋々、後部座席の扉を開けて、外に出る。お昼を過ぎたくらいの住宅街は、しんと静まっている。さっさと歩く龍崎の後をついていく。なんで自宅に帰れないのか、そういえば龍崎は自分の会社にいかなくていいのか。聞きたいことは後から溢れてくるのに、その背中は何も教えてくれそうになかった。
龍崎のマンションへ来たのは、どれくらいぶりだろう。いつも、別宅に呼ぶか、龍崎が自分の実家に来るかの、どちらかだった。龍崎は、ポストボックスを空け、なにもないことを確認し、そのままエレベータへ向かう。たしか、高層階だった覚えがあるが、もう覚えていない。もとから、龍崎は家に人をいれたがらない。黒川は一度も行ったことがないと言っていたのを覚えている。
それにしても、自宅に帰してもらえない理由は、さきほどのように報道陣がいるせいか、もしかして、すでに家がないとか、たった三日で家がなくなるなんてこと、あるだろうか。
「おい、のれよ」
寅山が顔をあげるとエレベータの扉は開いていた。一瞬、このままついていくことに迷いを見せた瞬間、龍崎に腕を捕まれ、引っ張りこまれた。
「油断も隙もねぇな」
は、と鼻で笑われ、扉の閉まるボタンが押される。今さら、自分の考えてることなんて、龍崎にはお見通しだって、わかっている。それでも、自分がわからないのをいいことに、こうして誰かの思惑のまま、都合よく動かされるのは、もう嫌だった。龍崎だって、伯父と同じで、何か別の目的があるのかもしれないのに。
うつむいたまま、エレベータに乗っていたが、目的階に着いたらしく、扉が開く。そのまま龍崎は寅山の腕をつかんだまま歩き出す。もうさっきの機会を逃してしまったら、このあとは龍崎に従うしかない。龍崎はポケットに入っていたカードキーでドアを開ける。
「入れ」
先に入るように促され、部屋に入る。草履を脱ぎ、中に進むと、きつすぎないルームフレグランスの香りがする。奥のリビングにはダイニングテーブルと、隣接した部屋には二人がけのソファと一人がけのソファが置かれた応接セットがあった。
「奥、行って」
ソファに座れという意味なのだと思う。そのまま、龍崎は手前の寝室に行ってしまう。残された寅山は奥へ進んで、ソファに座る。壁一面には難しそうな本がびっしりと本棚に並べてある以外は、何もなく、床もなんの代わり映えのしないフローリングに、ソファの置いてある場所だけは、足の長いラグマットが敷いてある程度だ。典型的な男の一人暮らしの部屋で、まったく生活感を感じない。
「これに着替えろ」
ぽんと寅山のとなりに、投げられたのは白い綿のTシャツとラフなハーフパンツだった。部屋着のつもりなのだろう。もうこのあと家を出るつもりもないらしい。龍崎はミネラルウォーターのペットボトルを持ってきて、寅山の隣に座った。そういえば龍崎はスーツ姿ではなく、黒のロンTに紺のジャケット、デニムをはいていて、いわゆる私服姿だった。
「慎也、会社は?」
「休みもらってる」
あのワーカホリックの龍崎が休みだなんて、耳を疑う。もともと休んでいるよりも、仕事が楽しい人間だ。
「僕のために休んだなら、もう大丈夫だから」
「よくねぇだろ」
「いいか、悪いかは、僕が決める。いい加減話してよ!」
ここなら、誰かに聞かれる心配もないのだから話してくれてもいいはずだ。寅山が声をあらげても、龍崎は平然と、持参したミネラルウォーターを飲みながら、寅山の言葉を無視するかのように、スマホの画面を見ている。
「もういい。僕は出ていく」
寅山は立ち上がり、ばたばたと部屋を出ていこうとしたが、玄関の前あたりで、追いかけてきた龍崎に肩をつかまれ、捕まってしまう。
「離して!」
「おまえはここにいろ」
「何も話してくれないなら、一緒にいる意味がない!」
捕まれた手を振り払うと、今度は後ろから体を羽交い締めにされた。
「な、なに!」
そのまま、引きずられるようにして、すぐ近くの部屋に連れ込まれ、勢いよく突き飛ばされた。倒れこんだ先は、ベッドのようだった。軋んだスプリングが、大きな音を立てる。体を起こす前に、龍崎が覆い被さる。荒々しく、唇を塞がれ舌がねじこまれそうになり、寅山は頭ごと拒否する。
「こんな、こと……! してる場合じゃない!……んんっ!」
両腕を強い力で縫い止められ、足も、膝を踏まれていて身動き出来ない。そして乱暴なキスは続く。拒みたい一心で、勢い余って龍崎の唇を噛む。
「つっ……!」
怯んだ龍崎の口からは、赤い鮮血が滲んだ。その目は鋭く寅山を睨み付けているが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「何、考えてんの……こんなの……おかしいでしょ」
龍崎の手が寅山の髪を鷲塚んで、勢いよく体を引き起こす。髪を引っ張られ頭部に激痛が走る。
「痛っ……!」
「おまえは黙って俺に、抱かれてろ」
「なっ……」
そして噛みつくような乱暴なキスを再び、浴びる。それは、されるがままだった。龍崎の両手を引き剥がそうと、爪を立てるがびくともしなかった。やめてほしいという一心で、性行為を拒んだのは生まれて初めてのことかもしれない。今まではなんでも、受け入れてきた。犯されるように抱いてほしいと願っても、それはあくまで、安全が保証された中での行為であって、こんな風に乱暴に自分が望まないセックスをしたことなんて、なかった。
「やだ……いや、だ……やっ………」
首を振り、拒んでも龍崎は容赦なかった。乱暴に着物を剥いで、逃げようとする寅山を羽交い締めにして、全裸にした。あらわになった寅山の下半身は、こんな状況でも、緩く勃起していた。それを見て、情けなくて涙が滲んだ。再び、唇を塞がれた、龍崎の手がそれを握り、きつく上下にしごくとあんなに拒んでいたはずなのに、にわかに快楽が体を支配し始める。拒絶していた体が、もう貪欲にその先を求めている。
嫌なはずなのに、絶対にしたくないはずだったのに、いつしか、寅山の腕は龍崎の頭をかき抱いていて、舌を絡ませ、キスをねだっていた。
「あっ……あ、や、出ちゃ……」
久しぶりに与えられた快楽は、あっというまに欲望を吐かせてしまう。我慢する間もなく、龍崎の手の中に寅山は射精し、そのまま崩れるように倒れこんだ。自分に跨がったままの龍崎は、自らの衣服を捨てるように脱ぐ。遮光カーテンに引かれた薄暗い部屋でも、差し込む太陽の明るさが龍崎の引き締まった肉体をはっきりと見せてくれる。
再び覆い被さった龍崎は、寅山の体に舌を這わせて、時には、歯を立てる。刺すような痛みを感じながら、だんだんと体は溶かされていく。胸の尖りをねじるように摘ままれば、いつものように悦びの矯声をあげてしまう。
ベッドの脇に龍崎が手を伸ばしたかと思えば、手にしていたのはチューブ型の何かで、それはローションだと分かる。表面を覆ってあるビニールを歯で引きちぎり、絞るように、寅山の股間に注ぐ。冷たい粘液が、腹から、脇から、隠された秘部に向かって、ゆっくりと流れていくと、龍崎の手が、寅山の体に撫で付けるようにしていて、龍崎の指が、太ももの奥の蕾に塗りつけていく。
自然に開いていく股は、まるでそれを待ちわびていたかのように受け入れる。知り尽くした指が、寅山の中にひんやりとした粘液をまとって侵入してくる。
「ふああ……あっ、はぁっん……」
ゆっくりと指を抜き差ししながらも、舌は徐々に降りていき、さきほど吐き出したばかりの中心を、下から上に向かって舐めあげれば、寅山は背筋をのけぞらせ、体を震わせる。龍崎にこうして口で愛撫されたことなんて、今まであっただろうか。
たっぷりの唾液を含んだ口の中で、じゅぶじゅぶとしゃぶられ、ゆるゆると指を抜き差しされ、あられもない声をあげる。さっきまで拒んでいたはずの体は、もっともっと、とねだるように、龍崎の体に足を絡ませる。
――僕も舐めたい。しゃぶりたい。
龍崎の中心に手を伸ばすと、やんわり避けられ、その手に口づけを落とされる。慈しむように、いとおしむように、指と指が握られ、舌が這っていく。今まで、龍崎を焚き付けて、煽って、めちゃくちゃに抱いてもらっていたセックスとは違う。最初はあんなにも乱暴だったのに、今は、まるで寅山を求めるように、甘く優しく抱いている。ぐじゅぐじゅに解れた蕾から、龍崎の指が引き抜かれそうになると、無意識で締め付けて引き留めようとしてしまう。
そんな寅山の額に、龍崎はキスを落とし、再び伸ばした手の先にはコンドームが握られていた。歯で、ぴり、と包装紙を噛み切って、手早く、龍崎の中心に被せられる。今までなら、貫くように穿ってほしかったそれが、今は、ただ、ひとつになるために挿れてほしいと願っている自分がいる。息を荒くしながら、龍崎の目をまっすぐ見つめていると、寅山の視線に気づいたのか、困ったような、照れたような顔をして、寅山の唇に触れるだけの優しいキスをした。
指がいなくなり、ひくひくと動くそこに、龍崎の硬い切っ先があてがわれ、じわじわと押し入ってきた。しばらくぶりの、引き裂かれるような痛みも、懐かしい。息を吐いて、すべてを受け入れようと、力を抜く。腰を沈めていくたびに、龍崎が顔をしかめるが、その顔すら愛しい。
――もっと奥まで来て、もっと深く、もっともっと。
痛みも和らぎ、自由に動けるようになると、龍崎は激しく腰を動かしてくる。体を揺さぶられながらも、気持ちのいいところを的確に突いてきて、龍崎の動きに寅山は頭が真っ白になっていく。
――何もかも、どうでもよくなる。
ただ快楽だけに溺れていれば、そのまま沈んでいってしまえば、何もかも忘れられる。いつも、自分が求めていた、あとからあとから追いかけてくる、激しい快楽ではないけれど、今の龍崎に与えられた快楽は自分を柔らかいもので、優しくくるんで、ぎゅっと抱き締められるような満ち足りた気分にさせる。汗ばんだ龍崎の体が密着しても、それを汚いとも不快だとも思わなかった。ぎゅっと抱き締められながら、中を満たしていくことが、こんなにも気持ちがいいなんて知らなかった。
龍崎の腰がいっそう激しくなり、まもなく達するのだとわかる。余裕のない龍崎の顔が愛しくて、自分からキスをねだる。舌を絡ませ合って、触れたところから、二人一緒に溶かされていくような、甘い甘いセックスを初めて味わった。薄いコンドーム越しに叩きつけるような龍崎の精液を内壁に感じながら、寅山もまた一緒に達していた。狂ったようなメスイキではない、充足感に満ちたエクスタシーを感じた。
龍崎は、はぁはぁと肩で息をしていたが、体を起こして、引き抜いたそれのゴムを勢いよくはずし、ベッドの外に捨てた。そして再び、寅山の唇を塞いでくる。今まで、龍崎がそのまま二回目を求めてくるなんてことはなかった。でも、ここで終わりたくないのは、寅山も同じだった。背中に手をまわし、再びキスを深くする。お互いの体に触れていれば、どちらかが勃ちあがり、手で舌で、時にはひとつになって貪欲にお互いを求めた。
寅山が、落ちるように意識を手放して、再び目を開けるとさっきよりも薄暗くなっていた。ゆっくり頭を起こすと、自分を抱き締めている龍崎が、また寅山にキスで応じて、舌を絡ませ、求める。また愛し合ったあとで眠りに落ち、また目を覚ませば、必ず龍崎はそばにいて、寅山にキスをしてくれる。何度もそれを繰り返して、数えきれないくらいにセックスをした。
今度は、長く眠った気がした。目を開けると、龍崎の腕枕で、その胸板に抱かれていた。龍崎を起こさないように、と、そっと体を動かしたつもりなのに、龍崎に頭を優しく撫でられた。観念して、そのまま再び胸に顔を埋める。
もとからショートスリーパーだと聞いていたけれど、いったい、いつ眠っているのだろう。起きてなにかを考える間もなく、キスをされ、抱きしめられセックスに及ぶ。覚えている最後は、挿入はせずに、寅山を気持ちよくさせてイカせてくれた。
優しくなでてくれる手は、こちらの様子を伺ってくれているのがわかる。
――したいなら、しようか?
そう囁かれているような、温かい手だ。寅山はその手に委ねながら、まどろむ。
視界は真っ暗なので、きっと夜なのだろう。朝でも、夜でも、どうでもいい。今は、再び眠りたい。そう思っている自分に気づき、はっとした。
龍崎がここに自分をつれてきた理由がわかった気がした。かつての自分は、嫌なこと、つらいことを忘れるためにセックスに溺れた。そして、今、余計なことを考えさせないように、ずっと快楽の中にいられるように、龍崎は自分をここに閉じ込めたのかもしれない。
寅山は、ぎゅ、っと龍崎の体を抱きしめると、じわりと涙が浮かんできて、龍崎の胸を濡らした。
「……落ち着いたか」
降り注ぐような優しい声が耳に届く。
「うん……ありがとう」
その返事なのか、ぽんぽんと頭を叩かれる。
「僕は、もう社長じゃないんだよね」
「……ああ」
「全部、失っちゃった」
「僕が……買春なんて……するはず、ない」
「そうだな」
「何も、してない……のに」
「してないな」
「どうし、て……?」
涙があとからあとから溢れて、ついに声をあげて泣いた。龍崎にしがみついて、嗚咽を漏らして泣いた。そのあいだも、やさしい手はずっと頭をなでていた。その優しい手はまるで、もっと泣いてもいいと言われているようで、促されるように、わあわあと勢いで泣いてしまう。ずっといい子でいたせいか、誰かの前でこんな風に感情をあらわにしたことはなかった。ましてや、人前で大声で泣いたことも初めてだ。
頭を撫でながら、龍崎が耳元で囁く。
「でも、おまえは全部なくしたわけじゃない」
「そう、かな……」
「俺がいる」
龍崎のその言葉に、思わず我に返り、一体どんな顔して言ってるんだろう、と吹き出しそうになる。けれど、そんな聞き慣れないキザな台詞も、今は純粋に嬉しい。他人を慰めることなどしない、あの龍崎が自分を腕に抱きしめてこうして甘い言葉を囁いてくれるなんて、特例の中の特例だ。
「そうだね。僕には慎也しか、いなくなっちゃった」
「俺がいるなら、いいだろーが」
「うん……」
「俺が、おまえを守ってやる」
龍崎は『俺を好きなうちは』と言わなかった。確かめようとしたが、閉じていくまぶたには勝てず、寅山は眠りに誘われていった。
――お前のことをほっておけないんだ。
その言葉は夢だったのか、空耳だったのか、寅山にはわからなかった。
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