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21:組織の頂きに立つ者
「何を言うんだ。冗談はよせ」
「社長は僕です。この会社では、僕が最高権威です。役員人事の決定権は僕にあります。その僕に常務である貴方が逆らうことは許しません」
「ふざけるな!」
「今までの僕は、周囲の顔色を見て行動していました。他の役員も、父の弟である貴方の顔色を伺っている。けれど、僕が社長を務められるのは、社長の息子だからという理由だけではない。寅山羊羮の味と伝統を守るためです。羊羮の作れない、貴方や貴方の息子がどうやって守るのですか?」
「そんなのはどうにでもなる!」
「寅山羊羮というブランドを一番軽んじているのは貴方だ。羊羮を作り、その味を守っている社員たちを守ることが、あなたにはできますか?」
「喜之助、いい加減にしないか!」
「わかりました。終わりにしましょう。この人事は決定事項です。社員や、他の役員はこれまでの貴方の悪事に目をつぶってきましたが、今の僕は、それをしない。言っている意味はご自身が一番理解していますね?」
喜郎は、ぎり、と歯を食いしばった。
「伯父さん。最初から、貴方の悪事を告発することだってできたんです。でも、僕はしない。今まで、社長でありながら、貴方の言いなりに従ってきた僕にも責任はありからです。けれど、もうこれからは自分の意志で、自分の考えをみなさんに伝えていきます」
「おまえのような世間知らずの青二才なんかに何ができるのだ……!」
「貴方のしてきたことは会社のためになりましたか? 融資のために会社の売り上げがあるのではない。設備費や人件費、投資する場所は会社の中にある。貴方にこの会社の行く末を委ねることは出来ない。まだ社長の座は譲るわけにはいかない」
「喜之助……おまえ……」
「今日、僕は株主総会で、自分の所信表明をするつもりです。世間を騒がせた僕を許すのも、裁くのも、貴方ではない。もし僕が認められなければ、残った役員と僕で新しい社長を擁立します。けれど、貴方はたった今、社長である僕から常務を解任された。その場にいる権利はない」
寅山は、会社の規約を確認していた。社長は、役員人事を決定する権利がある。今までも、気に入らない人間を排除することも、役職を解くこともやろうと思えばできたのに、しなかったのだ。
「面白い……それならこっちにも考えがあるぞ」
不適な笑みを漏らす喜郎に、それでも寅山は怯むことはなかった。
「また、須藤正親に金を積んで、僕を拉致して預けますか?」
「な……」
その慌てた表情は、どうやら図星だったようだ。
「伯父さんは、僕を拉致した須藤が僕に何をしたか、知ってますか? 僕のこともずっと監視していたようですが、僕がどんな生活をしていたか、本当に知っていますか? 知らないから買春なんて、筋違いの罪を僕に被せたんだ」
「筋違い……だと?」
寅山は、喜郎に近寄っていく。
「伯父さん、僕はね、『肉便器』なんですよ」
「肉……便器!?」
「そうです。僕はたくさんの男たちにね、犯されるのが大好きなんです。おかしいと思ってました。なぜあの青年が僕の家に来たのか。あなた、須藤の組織から、あの青年を騙して利用したんじゃないですか?」
「言っている意味がわからんな……」
「須藤は高校生の僕が大人に巻き込まれた不憫な子供だと知っていた。あの人は、誰かを救う側の人間だ。須藤が主催しているオークションも、身寄りのない子供を救済するものだとしたら、あんな風に、僕の罪のために子供を利用するなんて、許すはずがない」
「知らん! わしは何も知らん!」
「僕の別宅に来た子はね、オークションで高値で売られた子なんです。さしずめ、僕を尾行して、あのオークションに行った事実を突き止めて、買春の罪を思い付いたんでしょうけど、僕は、もともと買うほうじゃないんですよ。金を払って男に突っ込まれたい人間なんです」
喜郎の胸をシャツの上から、指で撫でていく。
「よ、よせ」
「伯父さんも僕に突っ込んでみますか? 僕、誰とでもセックスできるんですよ。こんな体にしたのは、あの誘拐を計画した伯父さんなんです。でもね、肉便器もそれなりに気に入ってますよ。伯父さんには感謝してるくらいだ。それに柴田も僕も、あの拉致事件に伯父さんが関わってることを警察に言ってもいいんですよ。当時、須藤と思われる男に報酬を渡していた裏帳簿、僕、持ってるんですよねぇ」
「脅迫、するのか……」
「いいえ。それはしません。なぜなら僕は、これから寅山羊羮を背負っていかなくてはいけなくて、あなたに構ってる時間はありません。これまでのことはすべて忘れてあげます。悪いようにはしません。だから、僕の命令に従って、どうぞ天下りしてください」
「く、そっ」
「ついでにあなたの出した赤字や、不正融資も、僕のほうで片付けておきます。これなら悪い話じゃないでしょう」
「喜之助……!」
「もう僕を甘くみないほうがいい。さあ、総会があるのでこれで、お開きにしましょう」
怒りに震えた喜郎は、そのまま寅山に背を向けて社長室の扉に向かっていった。
「ああ、泰時くんの入社は認めますよ。そのかわり幹部候補ではなく、羊羮を作るところから育てて、ちゃんと誰からも認められる社員になったら、社長になってもらいましょう」
「もういい!」
怒りが頂点に達したのか、顔を真っ赤にさせた喜郎はそのまま社長室を出ていって、勢いよくドアがバタンとしまった。
誰もいなくなった社長室で、寅山はいつもの自分の椅子に、あらためて座りなおした。
「はー、怖かった……」
途中から心臓がバクバクと音をたてていた。自分の今までの人生の中で啖呵なんて切ったことがない。そもそもこんな風に、何かを守るために戦ったことなんて今までなかった。それに、正直、うまくいくかどうかも、あやしかった。須藤のことは、あくまで推測だったし、自分が肉便器であることも、言うつもりはなかった。
もちろん、喜郎を排除したところで、株主総会で信任されなければ社長は継続できない。けれど、自分がまだ社長のうちに、ひとつできることが叶って、安心した。
気付けば、背中にびっしょりと汗をかいていた。ハンカチを取り出そうと持ってきていた鞄を開ける。そこに、龍崎から預かった封筒が入っているのが見えた。
――結局、使うことはなかったな。
龍崎に一人で頑張ってみると言った手前、この封筒に頼りたくなくて、中身を見ることもしなかった。けど、ひとつ片付いた今なら、この中身を確認しても許されるだろう。寅山は、糊づけされた封を開けてみると、中には、手紙と写真が三枚入っていた。それは、古い写真で学生服姿の、やや太めな男と細い男が写っていて、一緒に並んで写っている場面、一人の男が体をよせている場面、いずれも太い男が細い男に体を密着させていた。そして、最後の1枚は、太い男が後ろからもう一人の男を抱き締めていた。抱きしめている男の顔は、うっとりと恍惚に満ちていた。
セピア色の写真だったが、二人の顔をまじまじと見て、寅山はこの二人が誰なのか、わかった。そして同封されていた手紙は、「前略、兄さん」で始まる愛の言葉が綴られていた。
「伯父さんはもしかして父のこと……」
しかし、なぜこれを龍崎が持っているのかは、わからなかった。
***
総会が始まる十五分ほど前に、寅山は役員控室へ向かった。寅山が部屋へ入ると、十人ほどの役員が一斉にこちらを見る。
「社長!」
品質管理部長の増田が駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか?」
「え、大丈夫って……」
「寅山常務がものすごい剣幕で怒鳴りこんできて、何もかも白紙だ、と……」
ああ、なるほど、と察した。おそらくここにいる役員たちに、事前に今日の解任案のことを話してあって、解任への賛成票を確保しようとしていたのかもしれない。きっと増田は、それに加担していないのだろう。自分と増田が繋がっていることは、常務だけでなく役員の誰もが予想できる。
「みなさん、総会の前にお話ししたいことがあります」
そう声をかけると、戸惑いの表情を見せる役員たちが、寅山のほうを向く。
「まずは、皆様にご迷惑をおかけしてすみませんでした」
深く頭を下げ、顏を上げても、役員の面々の表情はまだこわばったままだった。
「あと、常務を僕の一存で解任しました。本来なら皆さんに相談をするべきだったんだと思いますが、お察し頂けると助かります」
彼らを信頼していないわけではないが、自分の社長としての立場を誇示する必要はあった。本当はこんなことをしたくはなかった。
「社長、わしらも悪かった」
「え……」
言葉を続けたのは、営業部長だった。
「長年、常務と会長の不仲が続いていて、わしらもうんざりしていたんだが、何も出来ずにいた」
そして総務部長も続ける。
「今回の事件も、常務の仕業だとわかっていたが、助けてやれずにすまなかった」
「みなさん……」
「わしらも解任されても仕方ないと思っている」
「喜之助、わしらの処遇もおまえに任せる」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
予想外の展開に驚く。彼らが、今度は自分になびく可能性も危惧していたが、まったく違った。むしろ彼らも、また今の状況を良く思ってはいなかったが、何もできなかったのだ。そうとわかれば、彼らは敵ではない。
「今日の総会次第ですが、僕は自分の意志で社長を続けたいと思っています」
役員の面々は優しく頷く。
「皆さんは、寅山羊羹を古くから知る大先輩です。どうか僕に力を貸してください。むしろ僕がお願いしたいと思っているのは、そういうことです」
「いいのか、わしらは見て見ぬふりをしていたんだぞ」
寅山は首を横に振った。
「ですから、今度からはきちんとご指摘ください。僕に悪いところがあったら叱ってください。会社のため、羊羹のため、僕はまだやりたいことがあるんです。でも一人では出来ないことなので」
「社長、そろそろ総会が始まります」
増田が、声をかける。
「みなさんを守るのも、社長である僕の仕事です。これからもご指導ください」
寅山が深々と頭を下げると、役員は静かに拍手をしてくれた。失った信頼は、どちらが片方が信じるのではなく、お互いが歩み寄って、手を取り合っていかなくては、取り戻せない。そして社長として、組織の頂点に立つものとして、背中を見せ続けていかなければいけないのだ。
役員を連れて、寅山は先頭に立って歩いていた。株主の待つ、ホールの前に立ち、ひと息つく。今日のために会場設営など準備してくれた総務の面々や、株主の土産用に羊羹を用意してくれた品質管理の面々が、寅山たちに一礼する。
ふー、ともう一度息をつく。この扉の向こうには、百人弱の株主が勢ぞろいしている。伏魔殿のようなものだ。
「行きます」
扉を開け、寅山は一歩を踏み出した。
「お疲れ様でした」
「柴田……」
総会が終わって、会社を出るとそこには、いつもの黒塗りの車の前に、柴田が待っていて、寅山は足早に近づく。
「もう、向こうに行かなくていいのか?」
「はい。またこうして、社長の送り迎えができて幸せです」
「世間知らずなボンボンなのに?」
「それもまた、社長のチャームポイントですよ」
「また、おまえはさぁ……」
柴田は笑いながら、後部座席の扉を開けた。
「今の貴方は寅山羊羹を背負って立つのに、ふさわしい御方ですよ」
「否定してくれないし……なんか、ごまかされてる気がする」
口を尖らせると、まぁまぁと柴田は寅山をなだめながら扉をしめた。
結果、株主総会は驚くほど、あっさりと終わった。まず最初に、役員を代表して社長挨拶をしたのだが、深々と頭を下げたところ、予想外の出来事が起きた。
「頑張れよ!」
「しっかり頼むぞ」
客席から、口々に激励の言葉を頂いて拍手をされたのだ。
「あ、あの……これからも、頑張って参りますので、何卒今回の件はお許しいただけ……」
「早く羊羹、買えるようにしてくれ!」
「え、あ……はい……」
「しっかりがんばんなさいよ!」
ふと、周囲の役員の顏を見渡すと、彼らもまた拍手をして、寅山の顏を見て頷いていた。そして気付けばステージ上に常務である喜郎の席は、椅子すら置いていなかった。他に、総会では、来月から羊羹を希望する店頭に戻す旨が発表された。
――頑張らなくてはいけない。
これで、後ろには引けなくなった。より一層、気持ちを引き締めないといけないと、寅山は背筋を伸ばした。
柴田の運転する車に乗り、ああ、戻ってきたんだと実感する。後部座席から眺める景色も、視界に入る柴田の横顔も、すべて元に戻った。
「このままご自宅まで戻りますか」
「ああ、そうしてくれ。着替えたらすぐ出かける」
「出かける? どちらまで」
「うん。あともうひとつ、けじめをつけないといけない相手がいるんだ」
「それって……」
バックミラー越しに柴田が頬を緩めたが、寅山は首を横に振った。
「僕を肉便器にしてくれたあの人に、会いに行ってくる」
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