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22:廃業

 家に帰り、シャワーを浴びて、普段用の着物に着替えて家を出る。手には、自社製品である羊羹を入れた手提げを持っていた。柴田が送ってくれるというので、その言葉に甘えることにする。  車の中で、二人はずっと無言だった。寅山は、車に揺られながら、後部座席から流れていく景色をぼんやりと眺めていた。午後八時を過ぎた街は、仕事が終わって家路を急ぐ人やこれから出かける人たちの波が、ところどころで交差している。 自分はこれから、須藤のところに行く。蛇原に連絡を取って、合わせてもらえるように間に入ってもらった。会社のことが落ち着いた今、けじめをつけなくてはいけないことがある。 「悪いけど、今日の総会のこと、慎也に伝えておいて?」 「……ご自身で、おっしゃらないのですか?」  本来なら、龍崎に、無事に株主総会が終わったことや、社長続投となったことをすぐにでも報告をするべきだと思う。いろいろと世話になったことは間違いないし、きっと心配もしてくれているだろう。けれど、今、龍崎と会ってしまったら、声を聞いてしまったら、きっと決心が揺らいでしまう。 「明日、連絡するよ。まぁ、僕が無事に帰って来たら、の話だけど」  不穏な空気が一気に車内を包む。 「あ、大丈夫。殺されたりするようなことはないと思うよ。全裸で林に捨てられるくらいは覚悟してるけど」 「社長……」 「あ、その、プレイの一環として、ね?」  フォローがあまり、フォローにはなっていなかったようだ。 「もうそういうことからは、卒業してください……。私の心臓が持ちません」 「ごめんごめん。うん、もうこれからはそういうことはしなくていいかなって思うよ。別宅も解約しようかと思ってるし」 「慎也くんも……あまり良くは思わないかと」 「あいつは、いたってノーマルな性癖の持ち主だから、理解できないのは仕方ないよ」  龍崎は、仕方なく自分を抱いてきた。それでも自分は満足できず、他の男に抱かれた。そもそも肉便器として扱われることに悦びを感じる自分が、一人の男だけを愛すことなんてできるのだろうか。そもそも、今まで汚されたこの体は、気持ちを改めたとしても、綺麗になるわけではないのに。  それから柴田とは、目的地に着くまで、会話はなかった。  繁華街の外れの、蛇原に指定された場所に着く。待ち合わせの時間の5分前のせいか、まだ蛇原は来ていなかった。 「今日は迎えに来なくていい」 「……でも」 「ここに来たこと、慎也には言わないでね。会社のことも、自分の体のことも、ちゃんとけじめをつけたいんだ」 「危ないことは本当にやめてください。ここまで送ってきた私が慎也くんに怒られてしまいます」 「あいつがおまえを怒ることなんてないよ。だって僕の言うことを断れないことも知ってるしね」 「社長……」 「またちゃんと話をしよう。僕は、君が望むなら運転手を辞めてもらってもいいと思ってる」 「なんで、ですか?」  運転席の柴田が慌てて、後部座席を振り返る。 「なんなら、寅よし羊羹にも僕から話をつけてもいい」 「え……」 「本当は、羊羹作りたいんだろ?」  その言葉に、柴田は驚いた顔をしていた。 「本当は伯父さんに君のお父さんを巻き込んだ罪を償ってほしい気持ちはあった。でもそんなことをしても君のお父さんが戻ってくるわけじゃないし、君のお父さんが命を絶ったのは、君のお父さんの意志だった」  柴田は、ぐっと唇を噛み締める。 「今日、伯父さんを解任した時点で、僕にできることは終わった。これからは僕が柴田にできることをしてあげたい。もう、君は僕の顔色を伺うことも、無理に従うこともない。自分のしたいことを優先してくれていいんだ」 「社長、私は……」  柴田が何かを言いかけたタイミングで、寅山の手元の携帯が震える。画面を見ると、蛇原から「着きました」と短いメッセージが届いていた。 「じゃあ、行くね」  何かを言いたげな柴田をそのままに、寅山は車を降りた。少し歩くと、以前来た高級タワーマンションが見えてきた。そのエントランスの前に、スーツ姿の蛇原がいた。きっと会社帰りなのだろう。 「あいかわらず、お着物姿が麗しいですね。寅山"社長"」  蛇原が、にたりと不敵な笑いを頬にうかべた。 「いろいろと君にも迷惑をかけてしまってすまない」 「それはお気になさらず。オーナーは上でお待ちですよ」  そして、そのまま蛇原の後ろについていった。エントランスの大理石の床など、初めてここに来たときと変わらない高級感を漂わせているが、エレベータで着いた最上階の50階だけが違っていた。以前は、オレンジの間接照明に照らされた金色の扉が鎮座していたが、そこには扉はなく開け放された白い扉があった。当然、あのとき合言葉を求められた、扉の両サイドに立ったスーツ姿の門番もいない。 「実は、ここ閉めたんです」 「閉めた?」 「あの買春騒動の際に、この場所も報道されてしまいまして」 「そうなのか……」  少なからず影響があっただろうとは思っていたが、その余波は思っていたよりもずっと大きかったようだ。身元を隠して、仮面をつけた大人たちが、ここに集い、若い男を買う。決して表に出ることはなかった大人の社交場を、自分のせいで潰してしまった罪は大きい。  どうぞ、と奥へ案内され、歩いていると、荷物らしきものを運び出したりしている、白シャツに黒ズボンの男性によくすれ違う。 「今日は、黒服のスタッフと須藤さんしかいないんです」 「スタッフは何人くらいいるのかな?」 「えっと、十人はいないくらいですかね」 「それなら大丈夫だ」  寅山の返事は、蛇原は理解できていなかったようだが、そのまま歩き続け、二人は、ホールらしき場所についた。 「須藤さんは?」 「奥にいます」 「呼んできて。俺が来たって言えばわかるから」  掃除道具を持ったスタッフの一人が、奥へ向かう。  ステージが、かろうじて残っているくらいで、内装も、華美なものはすべて取り払われていた。あのとき、ステージの上で嬌声をあげていた若き少年は、今はどうしているだろう。そして、利用されてしまったあの青年は、元気にやっているだろうか。  殺風景なステージを見つめていると、蛇原が隣に並んだ。 「心配しなくても、あの子はちゃんと元のおうちに、その日のうちに戻れました」 「そうか。それならよかった」 「もともと、暴力で虐待を受けていて施設にいた子だったんです。あのオークションに出ていた子は、ここで出会った新しい家族の家で養子として迎えられてます」 「あの人は、僕のことも救ってくれたよ」  蛇原が驚いた顔をして、寅山を見つめる。 「やっぱりあの人が、あなたのはじめての男だったんですね」  かつて、蛇原は『貴方と最初に体を重ねたであろう人物、貴方をそんな体に仕上げた人間に興味があるのです』と言っていた。その人間は須藤正親ではないかと確信していたようだった。体の仕上がり具合で、そんなことがわかってしまうのかと、この道の奥深さを知る。 「Sneak」  バリトンボイスの深みのある声で、かつての蛇原の名前が呼ばれる。  寅山も蛇原も、振り返ると、そこにはサングラスをかけ、仕立てのいい高級スーツに身を包んだ須藤正親がそこにいた。今も、決して明るい照明ではないが、あのオークションの日よりは、須藤の姿を確認することができた。20年前に出会ったときよりも、顔には皺が刻まれ、どこか危なげだった雰囲気もだいぶ薄くなり、落ち着いた大人の男性がそこにいた。 「須藤さん、こちらが寅山羊羹社長の寅山喜之助さんです」 「寅山と申します。今日はお時間を作っていただいて、ありがとうございます」  寅山は深々と頭を下げた。今日は、寅山羊羹の社長として、須藤に会わせて欲しいと蛇原にお願いしたのだ。 「かたっ苦しい挨拶はナシにしましょうや、坊っちゃん」  須藤の口元が釣り上がる。目がサングラスで隠れていて、表情はわからないが、怒りに満ちているというわけではないようだった。  けれどこれで間違いなく、自分を二十年前に肉便器にした男は、自分のことを確実に覚えているということがわかった。そして、高校生だった男は、大人になり、寅山羊羹の社長になったということも認識しているということだ。 「このたびは、うちの常務が大変ご迷惑をおかけしました」 「ああ、あの古狸、常務だったんだ? どうりで金回りがいいと思った」 「くわしいことはわかりませんが、かなり以前から、須藤さんにお仕事を依頼していたようですね」 「坊っちゃんを監禁したあたりから、ずっと金だけは振り込まれてたよ。俺を飼ってるつもりでいたんだろ」  くっくっ、とほくそ笑んだ。  確かに須藤の組織と思われる口座へ定期的に金を支払っていた帳簿は見つかっていた。しかし、この口ぶりから、それは喜郎が勝手に送りつけていたのは間違いなさそうだ。何かあったときに、力を借りるための保険。上納金のようなものだ。 「依頼される仕事も楽だったしな。坊っちゃんの監視は、ずっと若いモンにやらせてたよ」 「そうでしたか」 「まさか、Sneakと繋がっていたとは思わなかったがな、世間は狭いね」 「きっと、頭おかしい人間は同じ性癖同志、どこかで出会ってしまうんですよ」  蛇原が須藤の言葉に答えるように続ける。 「まぁ、しかし、ちょっと今回の件は、筋が通ってねぇな」  寅山はぴくりと体を震わせた。 「やはり、あの青年を勝手に連れ出したのですね」 「まぁ、そういうこった。オークションの参加者を調べて金で吐かせたらしい。あのガキも父親になったばかりの人間に嫌われたくなくて、断れなかったらしいからな」  寅山が一番危惧していたのは、これだった。あの青年は、寅山の家に来たとき事情を知っていて、それに従うことを躊躇していた。けれど、新しくできた家族を失いたくない一心で、従うしかなかった。片棒を担ぐしかなかった。こんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思う。 「あの日、坊っちゃんの家にDVDを届けさせたのは俺だ」 「あなたが?」 「ビデオはまわしていたが、あの映像は世には出してない。俺のコレクションのひとつだ。よく撮れてただろ?」 「それは……なんと言っていいのか」  よく撮れていたかどうかなんて確認する余裕はなかった。しかも、寅山の他にもコレクションにしているものがありそうな口ぶりだ。 「おまえのそばに、頭のキレる男がいるだろ。アイツが危険を察知してくれればと思ってな」 「龍崎を……知ってるんですか?」 「ああ。しかもアイツは坊っちゃんの逮捕がわかってすぐに、Sneakに連絡をくれた。すぐに逃げろってな。まぁオークションはいくら慈善事業とはいえ、表に出せるもんでもねぇし。俺たちはその龍崎のおかげで命拾いしたってことだ」 「そうだったんですね」 「こいつから、うるせーくらいに聞いてたのもあったけど、アイツは敵にまわしたくないねぇな」  確かに、それはわかる。しかし、須藤もそれなりにキレ者である予感がするが、同族嫌悪というのはこういうことかもしれない。  それにしても龍崎が、蛇原からオークションの話を聞いて、寅山の逮捕を持って予想できる危険をあらかじめ察知したというなら、一体どこまで頭のキレる男なのだろう。そして、柴田だけではなく、須藤もまた、寅山の身に良くないことが降りかかりそうなことを予見していて、それを気づかせようとしていた。自分は本当に、いろんな人から守られていたのだと実感する。 「で、まさか、御社の役員の詫びが、手に持ってる羊羹だけ、なわけないよな?」  寅山が手に下げているものに、須藤は視線をうつす。 「それは、もちろんです」 「言っておくが、俺にもメンツってもんがあってな。あの古狸のせいで、大事な客を失っちまった。これはかなり大きな損失だ」 「はい。わかっています」 「おたくらの会社の中でどんだけ揉めようがかまわねぇ。だが、こっちに火の粉が降ってくんのはお門違いだ」 「ごもっともです」 「話がわかる社長で助かるよ」  寅山は手に持っていた手提げを、蛇原に受け取るように差し出した。そして、着物の襟を緩め帯を解き始めた。 「お金が必要なら小切手を用意させます。ただ、僕には僕のけじめのつけ方があります」 「へぇ」 「僕の体で支払わせていただきます」  そして、着物が肩からするりと滑り落ち、寅山は赤襦袢姿になった。 「寅山社長……」 「なるほど、坊っちゃんらしいけじめのつけ方だな。でもそれは、坊っちゃんが悦ぶだけじゃねーのか?」 「僕が悦ぶことはしなくていいです。もう準備してここに来ていますので、いつでもどうぞ。ここにいる男性のスタッフ、全員でお好きに」 「社長、ここには8人くらいいますよ」 「構いません」  まったく動じない寅山に、ははっ、と須藤が吹き出す。 「Sneak、どうだ? 俺の育てた肉便器は」 「ええ、素晴らしいと思います……が、八人も相手にしたら」 「人数が多いのは問題ではありません。僕は、ただの肉便器です。あなたもご存知でしょう?」 「それはそうですが、ここのスタッフは普通の男性で、作法も知りませんよ?」 「まあ、いいじゃねーか。おい、中にいるスタッフ全員呼んでこい。ステージに集まれ」  須藤が、パンッと手を叩いた。 「さあ、ショータイムだ。おまえらのザーメン全部こいつにブチまけろ」 *** 「んんっ……!」 「おいおい、口が仕事してねぇんじゃねぇか?」  ステージには黒いビニール製のシートが敷かれ、半裸姿の五人くらいの男が寅山を囲んでいる。  寅山は捲りあげられた赤い肌襦袢の上から、後ろ側に手を組まされ麻縄で縛られ、足は四つん這い状態になるよう太ももが固定されていて、後ろの穴には一人、口元には二人の男が、屹立を突き出していて、それを寅山は体を揺さぶられながら交互に舐め上げている。すでに全員、一巡はしただろうか。寅山の太ももには穴から溢れ出た精液が伝っていた。  最初は、躊躇していた男たちだったが、蛇原が寅山のツンと立ち上がった乳首を乳首バサミで摘み上げたあたりから、空気がおかしくなった。さらに、須藤は「一番多く射精したやつに、金をやる」と言い出し、ステージ上は酒池肉林の地獄絵図と化した。  寅山もまた、美味しそうに男のモノを咥え、巧みな舌使いで若い男たちを翻弄させ、どの男たちもその口内に射精していった。中には童貞の男も何人かいたらしく、すでに溢れる精液で白く粟立つその穴に、乱暴に腰を打ち付けるが、寅山はそれでも嫌な顔ひとつせず、すべてを受け入れていた。  今までの寅山なら願っても叶うことが難しい、最高のシチュエーションだろう。詫びを体で支払っているとはいえ、同時に寅山の体も歓喜に震えるはずだ。でも、実際は、そうではなかった。 ――「肉体と心が離れてる気がする」  確かに肉体は気持ちがいいし、何度も射精を繰り返しているのだが、どこかむなしさが残る。男たちから飲まされた精液は、今までのように美味しく、ありがたく、そして尊いものに思えない。口の中につっこまれた、膨れ上がった屹立を、イカせるために必死に愛撫してはいるのだが、どうしても、雑念がチラついてしまう。 ――なぜ、こんなことをしているのだろう。  今まで考えることのなかった行為の意味が、頭で考えても答えが出せなくなっていた。そもそも、行為の最中に考えたことすらなかった。快楽の海におぼれていればそれでよかった。何もかも忘れられた。それなのに、今は、まるで理性を持った動物のように、今は、考えることをやめられないでいる。目の前の男たちは、容赦なく自分に精を吐いていくけれど、自分はちっとも満たされない。  こんなことを、なぜ今まで幸せだと感じていたのだろうか。 「おい、坊っちゃん」  須藤に呼ばれて、顔中に精液をぶちまけられ、目も開けられない状態の寅山が、薄く目を開くとステージの前で椅子に座って眺めていたはずの須藤がこっちへ歩いてきていた。寅山を取り囲んでいた若い男は、須藤の声に、その体から離れていく。  寅山は、はぁはぁ、と肩で息をしながら、ビニールシートの上にどさりと体を預ける。近づいてきた須藤はシートの上で、中腰に屈む。 「もう、おしまい……ですか?」  あれからどれくらい時間が経過しただろう。最初にかけられた精液が乾いて、パリパリになっている。もう数えちゃいないが、ここにいる男たちで射精していない男はいないと思われるくらいの精液は浴びたはずだ。  すでにゆるゆるに解された蕾からは、時折、コプッ、と音を立てて空気と一緒に精液が流れ出ていく。でも、まだ続けられることはわかっていた。自分はこんなもんじゃないと。 「肉便器は廃業だな。坊ちゃん」 「……え?」 「俺はさ、突っ込まれたくてたまんねぇ体が好きなんだ」  それなら、と言いかけたが須藤は言葉を続ける。 「おまえはたった一人しか受け入れられねぇ体になっちまった」 「たった……一人」 「俺は、こう見えて嫌がる相手を無理やりすんのは趣味じゃねぇ」 「嫌がってなん、か……!」 「強がんな。おまえ、アイツに惚れてんだろ」 ――あ。 「おい、Sneak。客人がお帰りだ」 「は、はい」 「裏にあるシャワー室につれてってやんな。おまえらは、片付けの続きしろ」 「須藤さん……!」  立ち去ろうとする須藤に、声をかける。 「龍崎のことは関係ありません! だって僕は……」 「もういいっつってんだろ。あの古狸とも、おまえとも、これっきりだ」 「……」 「ちゃんと幸せになれ」  それだけを告げて、須藤は行ってしまった。  寅山は小さくなっていく須藤の背中に、かつて見た、天使の羽を模した入れ墨を思い出していた。須藤にはきっと二度と会えない。でも、それは仕方のないことだと理解していた。  縄が緩められる感覚と一緒に、寅山は意識を手放していった。 ――ありがとうございました。

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