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21:愛しい人の腕の中
寅山が目を開けると、視界の先には、スーツのズボンをめくり、腕まくりをした蛇原が、扉を開けて浴室を洗っているところだった。
寅山の体は精液で汚れたままではあったが、小さく畳まれたビニールシートの上に座らされていて、肌襦袢が肩から前にかけられている。拘束されていた縄はほどかれ、手足は自由に動かせるようになって、壁にもたれるように座っていた。
「これで、よし、と。おや、お目覚めでしたか」
立ち上がって後ろを振り返った蛇原とちょうど目が合った。
「……どれくらい意識落ちてた?」
「十五分ってとこですかね。痛いところはないですか」
「ん、なんともないよ。でも、もう若くはないね。これくらいで意識飛ばすなんて」
「八人の若者を相手にするとか、無茶ですよ。普通は」
蛇原の表情は呆れていた。
「僕には、これくらいしか思いつかなかったし、彼らはちゃんと僕を肉便器として扱ってくれた。だから須藤さんも許してくれたんじゃないかな」
「つくづくおめでたい人ですね、貴方は。バスタオル、あまり上等なものじゃないですが、ここに置いてありますから使ってください」
壁にかけられているオレンジのバスタオルを指差した。
「おめでたい、か……」
「で、このあとは、うちの社長と仲直りセックスでも決め込むんでしょ」
「仲直り、セックス?」
聞いたことのない単語に、寅山は首をかしげる。
「下で待ってる龍崎社長と、汚れた体を綺麗にしてもらう仲直りセックスするんでしょって話ですよ」
「え? 慎也が下にいるの? なんで?」
「はい、貴方と会う前に連絡有りましたから。場所を聞かれました」
「えー」
柴田には口止めしてあったが、まさか蛇原に直接聞いてくるとは予想していなかった。
ということは、自分が何をするか、龍崎にはお見通しだったらしい。はぁ、と深くため息をつく寅山を見て、蛇原は吹き出す。
「貴方も懲りない人ですね。しょせん、あの人の手の中にいることを自覚してくださいよ」
「ほんと、ムカつくよね……」
「まぁ、仕事してるときは頭のキレる男ですが、貴方のことになると本当に粘着体質の困った男ですよ、うちの社長は」
はい、どうぞ、と大人一人が入るのがやっとの浴室へ案内される。
渋々立ちあがり、寅山はその狭い浴室に入り、温かいお湯を体に浴びた。安そうなボディソープが置いてあり、手に出してみるが、きつい香料の匂いが、体から漂っている精液の臭いとまるで正反対で、思わず苦笑する。
――こんな香料でごまかされるほど、精液の臭いはそう簡単に消えない。
けれどもすでに龍崎は下で、寅山を待っている。今は、できれば会いたくなかったな、と心から思いつつ、何度も何度も体を洗った。
***
すれ違う黒服のバイトたちは、着物姿に戻った寅山に軽く会釈して通り過ぎる。割り切ってくれてもいいのに、なんだか気恥ずかしいのだろう。そういうところも若さ故だと思う。
「次にここに来るときは、テナント募集になってますよ」
下まで見送ってくれるという蛇原が寅山を出口まで案内しながら、そうつぶやいた。
「どこか違う場所に移るのか?」
「オーナーはしばらくこの地を離れて、新規開拓するそうです」
「そうか、それで片付けてるのか」
「言っておきますが、これはいい機会なので、そういう話になっただけで、貴方が気にすることはありません」
返事をする前に、蛇原が念を押してきたので、寅山は思わず吹き出した。
「ありがとう。君はそういうとこ、優しいよね」
「どうやら、私も貴方に甘いようです。まぁ、しょせん、私もオーナーも裏の世界の住人なので、元に戻っていくだけですよ」
二人でエレベーターに乗り込み、下へ降りる。
「須藤さんは、これからも変わらないんだね」
「そうですね。昔から『愛を知らないで生まれたやつに、快楽を教えてやる救いの天使になりたい』って言っていて、その信念は変わらないみたいですよ。まぁ、あの強面では、天使ってガラではないですけどね」
「いや、確かに僕にとっては、天使だったよ。須藤さんは」
「らしいですね。須藤さんに仕込まれた人間は、みんな口を揃えて、そう言います」
「愛を知らない、かぁ」
「まぁ、できる限り、私も協力するつもりですよ。私は、頭のキレる男が好きなので」
ふ、と微笑んだ蛇原の顔は優しかった。蛇原は、龍崎と須藤というどこか似ている二人に、心惹かれているのかもしれないと、思った。
「須藤さんと、そして君に会えてよかった」
「そんなおべっかつかっても、何も出ませんよ」
エレベータの扉が開き、蛇原が先に歩き出したが、その頬が少しだけ緩んでいるのを寅山は見逃さなかった。蛇原も龍崎と同じく、言葉を素直に受け取る対応ではないけれど、ひとまず気持ちは伝わっていることだろう。
マンションのエントランスを抜けるとそこには、龍崎が自分の車の前でタバコを吹かせていた。その顔は思いっきり不機嫌そうだった。
「おせえよ」
「遅いって、いつからここに」
いつ終わるかもわからないのに、ずっと待っていてくれただろうか。
「さっさと乘れ」
「ごめん、せっかく来てくれて悪いんだけど、今日は一人で帰るよ。ちょっと臭いも気になるし」
しつこいくらい体を洗ったが、大量の精液の臭いはそう簡単には消せない。
「アホか。今までだっておまえの体がイカ臭いのは慣れてるわ」
「ちょ……それ、ひどくない?」
確かに思い当たることはたくさんありすぎる。龍崎はそのままタバコを地面に捨て、足でねじ消して、運転席に向かう。
「社長、それでは」
「おう。悪かったな。うちのボンボンが世話かけて」
「ねぇ、ボンボンは余計だよ」
「うるせえな。いいから乘れ」
蛇原が首をすくめて笑う。寅山は助手席に乗り込み、すぐに窓を開けた。
「怒るなら迎えにこなきゃいいのに……」
「いえいえ、あなたの面倒は社長じゃないと無理ですよ」
「面倒なんてかけないよ」
「はいはい。またいつか遊びましょうね。ClassicSweet」
むー、と口を尖らせていたが、寅山にはおかまいなしに、車は緩やかに走り出した。蛇原が微笑んで手を振るので、寅山も窓の中から手を振った。
再会したときは、どうなることだろうかと思ったが、蛇原にも世話になった。プレイはお世辞にも、優しいとはいえないけれど、彼自身も、日常の正反対の性癖とバランスをとっているのかもしれないと思った。そして、なぜだろう。蛇原とは、もう二度と会えないような気がする。
車の中で二人はしばらく黙っていたが、沈黙を破ったのは、龍崎だった。
「おまえんとこの担当デザイナーは黒川に戻すから」
「え? なんで」
「蛇原は今日で会社を辞めた」
「辞めた? どうして」
そんなこと、さっきはひとことも言っていなかった。
「ついていくんだろ、須藤って男に」
「あ」
『しばらくこの地を離れて、新規開拓するそうです』という言葉をふと思い出す。
「慎也、寂しい?」
「さあな」
予想以上の返事で、驚く。いつもの龍崎なら、人の別れなんて気にもしなかった。来るものも拒まないし、去るものも追わない。それでも蛇原には思うところがあるようだ。
「あいつの引き継ぎも終わったとこだし、また黒川を馬車馬のように働かせるさ」
「無理させないでね。イチくんまで辞めたらどうすんの……」
「篠原が苦しむだけだ」
容赦ない悪魔のような発言に背筋が凍る。
そうだった。黒川の恋人である篠原も、龍崎の会社にいるのだ。これは、どちらも龍崎に人質に取られているのと同じだ。
「で、おまえは落ち着いたのか」
「あ、ごめん。ちゃんと報告できてなかったけど、社長は今まで通り続けられることになったし、株主からも応援してもらって……」
「そうか。よかったな」
――違う。全部、慎也のおかげなんだよ。
結局のところ、須藤のとこにも龍崎の手は及んでいて、須藤は龍崎に助けられたと言っていた。頼んでないのに、そこまでやってくれて、そしてすべて結果は良い方向に進んだ。それぞれが新たな方向へ歩みだそうとしている。
「……慎也は、ずるいよね」
「んだよ、急に」
「だって僕の考え付かないようなことをたくさん考えてて、僕が気づいたときには全部片付いてる」
「面倒がなくていいじゃねーか」
「お礼を言う暇もないよ!」
「なんで、それで怒るんだよ」
龍崎の声音は呆れていた。わかっている、自分が、理不尽な八つ当たりをしているということも。
「僕の問題に首をつっこんだところで、慎也には何もメリットもないでしょ? 僕が世間知らずなばかりに、面倒なことばかり増やしてる。わかってるんだよ、僕だって! でも、君だって会社の社長で忙しいのに、なんで僕なんかに構うんだよ!」
「何、おまえ、精液飲み過ぎておかしくなった?」
龍崎は、からからと笑う。
「茶化すなよ!」
「ごちゃごちゃうるせぇな。女か、おまえは」
「どっからどうみても男でしょ! さっきだって数えきれないくらい射精してきたよ!」
「どうでもいいわ、アホが」
頭に血が昇ったせいか、龍崎にどうしてほしいのかわからなくなり、寅山は、ふん、とシートに沈みこんだ。
「要するに、まだセックスし足りねえってことかよ」
「どうしてそうなるんだよ。もういらないよ。それに、僕、もう肉便器やめるし」
「へー。それ、そんなに簡単に、勝手にやめれんの?」
「もう廃業だって言われた」
「そら、お疲れさんでしたな」
「ねぇ、バカにしてるでしょ」
「してねぇよ。次は何を言い出すんだろうな、このアホは、って思ってるくらいで」
「あー、もうさぁ! 君は、僕を怒らす天才だよね! せっかく今までありがとうって話をしたかったのに、なんなの!」
「最初から、そう言えよ。バーカ」
龍崎が運転してなければ、間違いなく脇腹に正拳突きをしていたと思う。それに、寅山がこんなにもピリピリしているのに、龍崎はまったく動じずに、さっきから笑ってばかりいる。
「ほんと、おもしれーやつだな。おまえは」
「はぁ? 僕はちっとも面白くないですけど」
「おまえくらいだよ、俺の予想つかねぇことばっかりするのは。ホントに飽きないな、おまえといると」
1ミリも褒められている気がしないし、これ以上は何を言っても、かえって腹が立つだけだと、だんまりを決め込む。ふい、と窓の外を見ると、見慣れた場所に着くところだった。
「え、ここ……」
「柴田さんがだいぶ片付けてくれたけど、一応、最後に見ておけば?」
「最後って」
「もう解約するって柴田さんに言ったんだろ」
あいかわらず情報が早いな、と再び、イラッとする。
着いた場所は別宅だった。確かに、逮捕された以来、ここには来ていなかった。エレベータに乗り、部屋の中に入ると、あいかわらず生活感のない部屋ではあったが、今までの雰囲気は感じなかった。奥のリビングに行くと、そこに玩具やローションが置いてあるクローゼットやパイプのベッド、拘束椅子など、はすべてなくなっていて、床のフローリングと窓しかない部屋になっていた。
「なんで?」
「おまえが逮捕されたあと、この部屋のものを全部移動させた」
車をコインパーキングに入れてくると言って、後から来た龍崎がすぐ後ろにいた。
「柴田さんがすぐに動いてくれたんだけどな」
「そうだったんだ」
「あんなアヤシイ物が置いてある部屋、家宅捜索されたら大変なことになるだろうが」
確かにそれはそうだ。それに、きっとこの部屋だけじゃない。龍崎や柴田は、他にも根回ししたり、いろいろと動いてくれたのだろう。それを自分は知らずに、釈放された直後、二人に当たり散らしていたかと思うと、自分の幼稚さが恥ずかしい。
「寝室は手付かずのまま、残ってると思うぜ」
「ねぇ、慎也」
龍崎の背に声をかけると、寅山の方へ振り返った。
「どうして二人は、ここまでしてくれるの?」
「何を今さら」
はぁ、と龍崎はため息をついた。
「まぁ、柴田さんはさ、やっぱりおまえに感謝してるんじゃねーの? あと、恩を忘れない人なんだよ。下心なしでおまえに尽くしてる」
「僕は柴田にこれから何をしていけばいい?」
「今まで通りでいいんじゃねーか? あの人がおまえに甘いのは直らねぇと思うし」
「じゃあ、慎也はなんで僕にここまでしてくれるの?」
二人の間に沈黙が流れる。龍崎は、ばつが悪そうな顔をして、頭を掻きながらつぶやいた。
「俺は……おまえが望むように、酷く抱いたりできねぇからな」
「何、それ」
「いつもセックスのとき、物足りないって言ってただろ? 俺とした後で、他の男を買ってるのも知ってた」
自分が風俗に手を出していることは、柴田が言ったのだと思っていて、まさか、龍崎が気づいていたとは思わない。それなら多少なりとも男のプライドを傷つけてしまったことになる。
「それは、でも」
「だから他のことで、俺がおまえのためにしてやれることって、せいぜい頭使うことくらいしかないから」
「何言ってんの、そんなこと……」
「蛇原は、セックスでおまえを満足してやれる」
「ちょっと待って」
もしかしてそれだから、自分が蛇原とセックスしてたときも乱入してこなかったのだろうか。
「俺は大事なものを乱暴に扱うことはできないし、したくない。だからおまえとは」
「待ってったら! もう僕が無理なんだよ!」
気づけば声を荒げていた。
「無理、って?」
「さっき肉便器やめるって言ったじゃん。もう、嫌になっちゃったんだんだ……。体は感じるのに、気持ちがついていかないんだよ」
龍崎は驚いた顔をしている
「全部、慎也のせいだから」
「俺?」
「そうだよ! あんな風に優しいセックスなんて今まで知らなかった。労るような、まるで愛しい人にするようなセックスをなんで僕なんかにするんだよ! あんなセックスされたら、僕は……」
ぐっ、と言葉を飲み込む。
「もう他の人に抱かれたくない」
それだけ言うと、寅山は俯いた。龍崎がゆっくりと近づいてくる気配を感じた。寅山の視界に龍崎の足もとが見える。
「あのときは、嫌なこと忘れさせてやりたかった、それだけだった」
「うん」
「今までは、おまえが他の男に抱かれてようが気にしなかった。でも今日は、許せなかった」
「え」
驚いて、顔をあげると、静かに怒りを抑えている男がいた。
「なんで、俺のおまえが他の男に抱かれてんだってな」
「俺の、って何」
「俺は柴田さんとは違う。おまえを俺だけのものにしたい。俺じゃなきゃダメにしたい。下心だらけだ」
「え? え?」
あまりの急展開に戸惑う。俺だけのものって何? 俺じゃなきゃダメって何?
「おまえ、俺のことが好きか?」
「な、何を急に」
「言えよ」
「まぁ、……その……悔しいけど」
「ちゃんと言え」
「だからさ! なんで君は上から目線なの! 好きだよ、あー、好きだよ! だから君以外に抱かれたくなくて困って」
言葉を荒げている途中で、龍崎にいきなり抱き締められた。
「慎……也?」
「おまえは本当にアホだな。だいたい、好きじゃなきゃこんなに必死になるはずねぇだろ」
「ねぇ、なんで僕が怒られないといけないの」
「俺に女がいても、平気な顔してたくせに」
「そりゃ前は平気だったよ! ていうか、いつから、僕のこと」
「知るか。聞くな、アホ」
抱きしめられているのに、口論は続く。
「ねぇ、それが好きな人への態度なの? 君の愛は歪んでるよ」
「おまえが俺の愛を語るな」
「ああ、もう、本当になんで君なんか好きなんだろうね! 僕は!」
「俺だってなんでおまえなんかに惚れたのか、わかんねーわ。一生の不覚だ」
「なんなの、もう! そもそも……」
言いかけた言葉は、塞がれた唇に吸い込まれていった。
「うるせぇ。黙れ」
「な、何それ」
「他の男の精液の臭いさせやがって、俺の気持ちも少しは考えろ」
「今、知ったのに、それはないよ!」
違う、こんな風に龍崎と言い争いたいわけではない。寅山は、はぁ、とひと息ついた。
「わかった。今日は僕が折れるよ。慎也、仲直りセックス、しよう」
「は?」
龍崎は、思い切り見下した顔をした。
「いやいや、僕が言い出したんじゃないから。汚れた体を綺麗にしてあげるセックスだって、蛇原くんが言ってたよ」
「あいつろくなこと言わねぇな」
「で、するの? しないの?」
「待て、おまえ何人相手してきたんだよ」
「え? 八人かな」
「おまえのケツ、おかしくなるだろーが」
「もう30分くらい経ってるでしょ、ヘーキ」
「は?」
「肉便器、なめないでよね」
「自慢すんな、アホ」
「体だけは丈夫で、うわっ!」
龍崎に思い切り担がれ、体が浮き上がる。
「二度と他の男のセックスの話、すんな」
その声音は明らかに怒っていた。自分が怒らせたのだと思うが、なぜだろう、嬉しくなってしまう。
龍崎は、こんなにかっこよかっただろうか。いや、龍崎がかっこいいのは知っていた。前からかっこよかったけれど、それを認めたくなかった。
――好きになってしまいそうだったから。
「わかった。もう言わない。だからこれからは、君のセックスで上書きして」
「それ一生かかっても無理じゃねーか? 回数的に」
「だから頑張って」
「なんだ、それ……」
呆れるように笑った龍崎は寅山を担いだまま、寝室に向かった。
寅山は、まるで荷物のように寝室まで運ばれた。暗がりの中、寝室だけは以前と変わらない様子だとわかる。そのまま龍崎は、寅山をゆっくりやさしくベッドに下ろす。
龍崎はスーツのズボンを脱ぎ、ベッドに足をかけるとスプリングがぎしりと鳴った。廊下の明かりを背に浴びた龍崎のその表情を捉えることはできないが、寅山はそれでも龍崎を見つめていた。寅山に跨がった龍崎はネクタイを引き抜き、自分のシャツのボタンをひとつひとつを外していく。あらわになっていく鍛えられた肉体を目にして、寅山は自分の胸が高鳴っていくのを感じる。
――セックスってこんなにもドキドキするものだったっけ。
これから押し寄せてくるであろう快楽に、体が湧き踊るということはあっても、セックスの前に、心が締め付けられるような想いを感じたことはなかった。セックスとは快楽を与えてくれる行為であって、相手と体を繋げる行為であると認識していなかったかもしれない。
そして、これから龍崎とひとつになろうとしている。
龍崎の手が伸びて、寅山の着物を優しく脱がせていく。されるがまま体を預けていると、龍崎の手がふと、止まった。
そっと指でなぞられたのは、締め付けられた縄の跡だった。廊下から漏れる明かりに照らされて、ごまかすことも隠すこともできない。
「痛いか……?」
寅山は黙って首を振る。
こんなときどう返事をしていいのか、わからなくて躊躇していると、龍崎はその縄の痕に顔を近づけ、キスを落とす。そして唇がその痕をなぞっていく。赤く刻まれた麻縄の痕が熱を持つ。龍崎の唇と舌が触れ、ちゅ、と音がするたび、寅山の体は小さく揺れる。他の人間に拘束された痕跡を、好きな男に慰められるなんて、恥ずかしさと情けなさで頭が煮えそうになる。
そんな寅山の気持ちは置き去りのまま、龍崎は寅山の体を優しく撫でながら、全身を丹念にキスしていく。数え切れないくらい吐き出した寅山の屹立は徐々に形を帯びて、下着が隆起していた。ボクサーパンツの布地に先端の液が滲んでいくのも時間の問題だろう。
時折、寅山に触れる龍崎自身も硬く主張している。これが自分の中に収められるのかと思うと、心は逸る。でも龍崎は、寅山の触れてほしい肝心な場所にはまだ触れてこない。
ひととおり、足の爪先までキスをして、龍崎は寅山の唇にようやく自分の唇を重ねた。そっと侵入してくる舌を、寅山は躊躇なく受け入れる。あんなに男たちがいたのに、キスをしてくる人間はいなかった。自分は精液を吐き出すための肉便器としての役割を果たしただけなのだから、当然だと言える。
龍崎の熱い舌が寅山の口の中を蹂躙していく。唾液が混じり合い、とても甘く感じる。微かに煙草のフレイバーがして、龍崎のキスは香ばしい味がして、好きだ。
頭を髪を優しく撫でられながら、キスが深くなり、触れた唇から溶かされてしまいそうになる。龍崎のキスは、心をピンク色に染めていく気がする。龍崎はこんなキスを今までどれほどの相手としてきたのだろう。
何度も何度もキスを繰り返しても、龍崎は抱き合った体勢を変える気配はない。下半身に手が伸ばして、膨れた屹立を握り込んで欲しいのに、それをしない。ふいに、背中を強く抱き寄せられ、龍崎の胸に顔を埋める。
「よく頑張ったな、今日は」
寅山の耳元で囁いた龍崎の声は、少し低めで優しかった。
常務の解任から始まり、役員たちとの関係が緩和し、株主総会があってからの、須藤とのけじめ。確かに今日一日だけで、いろんなことがあったけれど、寅山には確信していることがあった。
「まだ考えなきゃいけないことはたくさんあるけど、いい方向に向かっていく気がするよ」
――慎也のおかげで。
「そうか。よかったな」
「うん」
「じゃ、このままこうしててやるから、ゆっくり休め」
その言葉で確信した。
途中から気づいていたが、今日の龍崎は自分を抱かない。
普通、たくさんの男に汚された相手を抱く気になれないだろうが、龍崎はそうではない。何より、龍崎の雄は反応していたし、抱くだけならそれほど難しいことではないだろう。それでも、龍崎は確固たる意志を持って、自分を、抱けるけど抱かない
もう今の自分は、体を酷使するようなセックスをして、何もかも忘れたい気持ちではない。それを龍崎はわかっているから、まずは寅山の体をいたわることを優先して、あえて抱かない選択をしてくれたのだと思う。
きっと寅山が眠りにつくまで龍崎は、眠らずに腕に抱いていてくれるだろう。
「ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
額に優しいキスが降ってきて、寅山は頬を緩ませる。
龍崎は、寅山のことを何もかも知っている。自分はもうそれに抗わず、従えばいい。そうすることが龍崎にとって嬉しいことだと、今、ようやく気づいた。
好きだから甘やかしたいという、龍崎の愛のかたちを知る。
――僕は幸せだ。
――俺もだ。
それは心の声だったのか、会話だったのか。誘われるように、寅山は眠りにおちていった。
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