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23:まどろみの時間
その日は、病院の見舞い以外に、もうひとつ予定があった。
仕事を定時で終わらせ、柴田に指定された場所まで連れて行ってもらう。今日は、龍崎と黒川、いつもの三人の定例の食事会だった。最近、寅山の騒動のせいもあり、ずいぶん間が空いていて、黒川とは久しぶりに顔を合わすことになる。
いつもは三人だが、朝比奈も一緒に来ている、と先にきている黒川に聞き、驚いた。
龍崎から指定された場所は、都心から少し離れたカジュアルフレンチの店だった。店全体が民家風の作りになっていて、二階が貸切個室になっている。龍崎の名前を告げると、二階へ案内された。木製のクラッシックな引き戸をあけると、そこにはダイニングテーブルが部屋の中心にぽつんと置いてあり、黒川と朝比奈がすでに座っていた。
「来たか」
黒川が寅山に向かって、手をあげる。いつものようにスリムな体型にオーダメードの濃紺のスーツがとても似合っている。目の前に座っている朝比奈も寅山に向かい、軽く頭をさげた。弁護士らしく、かっちりとした黒のスーツに、胸には正義の印である金バッジが輝き、目を引く。
「イチくん、久しぶりだね」
「ああ、元気していたか? 羊羹が買えなくなるのか、と研二が心配していた」
「ジュリーに謝っておいて。もう大丈夫だからって。常連さんにはお詫びの羊羹が届くはずだよ」
研二というのは、黒川の昔の恋人で、寅山羊羹をひいきにしてくれている英国在住のデザイナーで、寅山と龍崎は彼を往年のアイドルをもじって、ジュリーと呼んでいる。そして、今回の騒動のお詫びとして、寅山が作った新作羊羹が各地に発送されることになった。むしろそれがプレミアになっているという噂を聞く。
「朝比奈さんも、いろいろとお世話になりました」
「いえ、寅山羊羹さんも落ち着いたようでよかったです」
寅山は黒川の隣の席に座ったが、黒川と、その対面で座っている朝比奈が親しげな様子にみえた。
「二人は面識あるの?」
寅山の言葉に、黒川と朝比奈は顔を見合わせる。
「何を言ってるんだ。朝比奈と俺たちは同じ高校だぞ」
「えっ、ホントに?」
「高校では一度も同じクラスになったことないから、寅山と俺は面識はないかも。黒川とは委員会で顔合わせたりしてたし、龍崎とは中学から一緒だし。寅山、同級生のよしみで、呼び捨てでいいかな? 」
「もちろんだよ。ごめんね。朝比奈くん、僕、全然気づかなかった」
「まぁ、おまえは、俺と龍崎しか友達がいないからな」
「ちょっと、そんなこと……ああ、あるかも」
黒川に皮肉まじりに言われたが、確かに、自分は学生の頃、積極的に友達を作るタイプではなかったのは認める。
寅山が着席したタイミングにあわせてなのか、ボーイが乾杯用のワインを運んできた。テーブルにはランチョンマットと銀のテーブルセットが並べられており、深い球体を切り取ったような、ワイングラスに真紅のワインが注がれていくのを、寅山はうっとりと眺めていた。
「でも、本当に、龍崎は寅山のこととなると必死なんだね」
「そう、かな? 最近は会うと喧嘩ばかりだよ」
「寅山が逮捕されたときは、血相変えて、俺の事務所に押し入ってきて、アレコレ無茶言われたときは、困ったよ」
「無茶……?」
「ああ、朝比奈が言うには、あいつにしては珍しく冷静さを欠いていたそうだ」
「そう、なの?」
龍崎本人がここにいたら、イジり倒したいところだが、黒川も朝比奈もきっと本人がいないから教えてくれたのだろう。
「金ならいくらでも出すから釈放させろだの、警察の関係者はいないのかだの、もう無茶苦茶」
「それ、本当に僕の知ってる慎也?」
はっきり言って想像ができない。
「ああ、龍崎は寅山のことが本当に好きなんだなってわかったから、俺も協力することにしたんだ」
「す、好きかどうかは……」
この二人にバレちゃいけないような気がするので、言葉を濁す。そもそも、篠原という男の恋人がいる黒川は別としても、男性同士のソレはあまり大きな声で言えることではない。
「で、その張本人はどうしたの?」
「あ、仕事で遅くなるから先に始めててくれって。デザートには間に合うそうだ」
黒川が説明している間に、今度は料理が運ばれてきた。店を選んだのは龍崎らしく、すでにオーダーもしてあるらしい。
「あと、突然、僕のところに来て、イギリスに行って来いとか言うんだぞ。あれには参った」
「イギリス!?」
「ああ、寅山泰時に会って来い、と」
伯父の息子である泰時は確かにイギリス留学していたが、まさかそんなことを黒川に依頼していたなんて、思わなかった。徹底的に情報収集して下調べをするタイプの龍崎らしいといえば、そうなのだが。
「ていうか、イチくん、イギリスこないだ行ったばかりだよね。本当にごめんね……」
「それは構わない。泰時はいまどき珍しく志のある気持ちいい青年だった。彼は本当は紅茶のマイスターになりたいらしい。でも父親に帰国しろと言われて、困っていたそうだ」
「そうだったんだ……」
「その意志を確認したから、龍崎はよけいに父親の言いなりになるなと、泰時に言ってたそうだ」
ということは、泰時にも龍崎は会っているということになる。もう、寅山が聞いてないことなんて山のようにあるのだから、詮索するのは野暮だ。
「じゃ、僕も覚えておく。彼が羊羹に興味を持ってくれさえすれば、社長の座を渡すのは構わらないと思ってた。でもそういうことなら、それぞれの道で、何か力を合わせられればいいよね」
「そうだな。そうしてやってくれ」
「寅山は、理解のある伯父さんだな。きっと彼も喜ぶよ」
朝比奈に言われて気づいた。泰時にとって寅山は伯父になるのだ。できることなら、自分は力になれる伯父になってあげたいと思った。
その後も、美味しい料理に舌鼓を打ち、穏やかな談笑は続いた。
朝比奈自身も中学時代には相当ヤンチャをしていたらしく、龍崎といつもつるんで悪いことをしてたらしい。「もう時効だけどね」と笑ってはいたが、なんとなく想像はつく。
自分も中学時代、龍崎の悪い噂はかなり聞いていた。そもそも、龍崎との出会いは、自分が不良に絡まれているところを助けてもらったのが縁だったが、そのあと顔を合わせれば世間話をする仲にはなった。素行は悪くても、彼の一本筋の通った性格は、好感が持てたのもある。結局、高校は龍崎が選んだ学校を自分も受験した。どうせ高校を卒業したら、羊羹職人になると決まっていたのだから、ぶっちゃけ、どの学校でもよかった。あまり深く考えずに選んだ学校だったが、その選択のおかげで、今、こうして黒川にも出会えたし、龍崎ともなんだかんだと関係が続いているし、今となっては良かったのだろう。
「俺の悪口で盛り上がってるか?」
聞きなれた声がして振り返ると、シェフと龍崎が扉から入ってきた。
「おつかれ。おかげでワインの味も、より一層美味しいよ」
「だろうな」
龍崎の後ろのシェフは、デザートをワゴンに載せて運んできていた。
「三十九歳、ジジイ一番乗りおめでとさん」
「へ?」
寅山の前におかれたデザートプレートには、果実のシャーベットと、小さなベイクドチーズケーキ、そしてチョコレートで『HappyBirthday』と描かれていた。
「おめでとう。誕生日は明日だけどな」
「ああ、そっか。そうだね、忘れてたよ」
「俺も誕生日は冬だから、確かに、この中で一番最初に三十九歳になるね」
「慎也もありがとうね。こんな歳になってサプライズってのも恥ずかしいけど、嬉しいよ」
龍崎の顔を見ると、最大級にドヤ顔をしていた。なんだか腹が立つけれど、二人もいるし、ここは大人の対応をすることにする。
「なぁ、恋人の誕生日を祝うってどんな気持ち?」
「うるせえよ」
さらりと朝比奈が龍崎に聞いて、寅山は目が点になる。
「僕たちって恋人なの?」
隣の黒川に耳打ちする。
「そうじゃないのか?」
「でも付き合ってとか、言われてないし」
「え? 龍崎、そうなのか?」
聞きつけた朝比奈が、聞き返す。
「言ってねぇ」
「ほらね」
「ガキじゃあるまいし、いい年のおっさんが、そんなこと言うわけねーだろ」
黒川と朝比奈は二人は顔を見合わせて、肩をすくめる。
「言葉で知りたいっていうのは女性的発想だというから、寅山は、ややそちら寄りなのかな」
「それを、女々しいっつーんだよ」
「あー、いいよ、朝比奈くん。そういうの、慎也に期待しても無理だから」
「こいつの、どこがいいんだか、わからん」
「ははは。イチくん……ったら」
「うっせぇな。むしろこいつの面倒みれるやつのほうが少ねぇわ。グダグダ言うと、篠原の担当増やすぞ」
「慎也。君は、私利私欲に社長権限を使いすぎだよ」
それとなく、二人にも伝わっているなら話が早い。言葉に出さずとも、二人はこの空気の中で、自分と龍崎のことを見守ってくれているのも伝わる。
「三人とも、ありがとうね」
改めて三人に頭を下げる。いろいろと騒がせたことは事実だが、自分のために、できることをしてくれた人たちだ。
「寅山、僕は君にはこれまでも世話になってる。もうちょっと貪欲になってくれていいくらいだ」
「そうだよ。何かあったら協力するから、いつでも言ってね。まずは、龍崎の浮気調査から始めてみる?」
「そんな暇ねぇわ、アホ」
友達というのは、かけがえのない財産だという人がいる。寅山は、この輪の中に、いつまでもいつまでもいたいと思った。
龍崎もデザートだけは一緒に食べ、四人でひとしきり盛り上がる。気付けば23時を過ぎていたので、いよいよお開きになった。 今回の会計当番は、龍崎だったので、三人は店の外に出る。駅まで歩くという黒川と朝比奈に着いていこうとすると、くい、と着物の襟足を引っ張られる。
「てめぇはこっちだ」
「え、僕、今日は柴田を帰しちゃったよ?」
「いいから来い」
「え、ああ、うん。イチくん、朝比奈くん、またね!」
そのまま龍崎に引っ張られながら、二人の背中に声をかけると、先を歩いていた黒川と朝比奈が振り返る。
「今日はありがとうな! おやすみ」
「おやすみ。誕生日の夜に素敵な空中散歩を」
黒川が手を振る。
――空中散歩とはなんのことだろうか。
「ねぇ、空中散歩ってなに?」
「知らねぇな」
そう言われるだろうとわかっているのに聞いてしまう自分に呆れる。龍崎のことだから、また何か、企んでいるのだろう。
そのまま手をあげてタクシーを捕まえた龍崎に寅山は押し込まれる。
「クレセントホテルまで」
「え?」
「かしこまりました」
龍崎がタクシーの運転手に告げた、クレセントホテルと言えば、駅前にある最近できた高級ホテルだ。この近辺にあるホテルの中では、サービスも良く、高層階からの眺めも素晴らしいらしく、今、日本で一番予約がとれないホテルだと噂には聞いてる。
「ホテルのラウンジで飲み直すの?」
「ホテルなんだから泊まるに決まってるだろ」
「え、でもそこって、予約とれないホテルだって聞いたことあるよ」
「おまえ俺の仕事知ってるか?」
「悪徳広告業者」
「まぁそういうことだ」
冗談で言ったつもりなのに、否定しないということは、正攻法で予約したわけではないらしい。追及するのを諦めた寅山はそのまま後部座席のシートにもたれ、おとなしくすることにした。こういうサプライズに関して、龍崎は事前に教えてくれることは、まずない。
タクシーがホテルに着き、龍崎のあとをついていく。外装は駅前に馴染んだオフィスビルだが、ホテル部分は50階から上だと聞いている。そのまま高階層用のエレベータに乗り、あっという間に50階フロアへ到着した。
ずらりと並んだベルボーイが、龍崎と寅山に向かって頭を下げる。エントランスは、豪華なペルシャ絨毯が敷き詰められ、高い天井に備え付けられたシャンデリアは、派手すぎず、かといって控えめでもなく、存在を主張している。そのまま奥のフロントへ進んでいく龍崎の後ろを、寅山は着いていった。
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