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第8話

「アタシもここには、数えるくらいしか来たことがないんですぅ」 新人くんからできたての黒霧のロックを受け取りながら、朔ちゃんは二人組に秋波を向け、にっこりと笑う。 「ここのカクテル、とっても美味しいんですよぉ。ついつい飲み過ぎて、呑まれちゃいそう」 「って言いながら、焼酎飲んでるじゃん」マッチョは笑う。 「オネエさん、見かけによらず結構イケるクチ?」とソフトモヒカン。 「えー、そんなことないと思うんだけどなぁ」 朔ちゃんは人差し指をピンク色の頬にあて、小首を傾げてみせた。しばたく度に、アーモンド型の垂れ目から艶やかな空気が綻び出ていた。彼の魔性の双眸に、二人組は蜜を求める蝶のごとく吸い寄せられている。それがはっきりと分かってしまい、俺は内心もやもやとする。 俺と付き合う前の朔ちゃんは、ろくでもないほどの女たらしだった。ナンパする男の心理など、手に取るように分かるはずだ。 口説かれる側は、如何にすればこちらもその気だと匂わすことができるのか。口説く方は、狙った獲物をどのようにして落とすか。彼はどちらも熟知しているだろう。だからこそ、かわす方法も知っているはずなのに……。 「オネエさん、メイクも服も似合ってるね」 「いつもそんな格好で、この辺りに飲みに来てるの?」 「実はぁ、オンナの格好をするのはこれが初めてなんですぅ」 朔ちゃんは焼酎をひと口嘗めてから答えた。「いつもはどこにでもいるサラリーマンでぇす」 「うっそぉ、信じられない!」 「でしょう?」 にこりと艶やかに微笑み、頬杖をつく。その手には結婚指輪がはまっていて、仄暗い照明のもとで澄んだ輝きを放っているのだが、二人組は気にも留めていないようだった。浮ついた様子で愛想を振りまいているオンナを、アバズレとでも思っているのだろう。彼らのアプローチはさらに加速する。 「てっきり話題の、二丁目イチの美人オネエさんだと思ったんだけどなぁ」 「そうそう、ローズなんちゃらって店の店長。顔が見てみたいと思ってさっき行ってきたんだけど、非番だって言うんで会えなかったんだ」 「でもきっと、オネエさんの方が綺麗だと思うよ」 ……ひょっとして俺のことだろうか。いや、まさかなと思っていると、朔ちゃんがちらりと視線を向けてくる。その眼差しが何を意味するのか、分かるようで分からなかったが、グロスで艶めく唇の端は、左右に広がっていた。 「それって馨ちゃんのことかしら? アタシなんて足元にも及ばないくらいの美人さんですよぉ」 喜んでいいのかどうか判然としない。けれども二人組は「馨ちゃん」にはまるで関心がないようで、うっとりとした目を朔ちゃんに向けたままだった。 「謙遜しちゃダメだよ。俺たち本当にオネエさんをひと目見て、今日は最高の夜になりそうだって確信したんだ」 「ふふふ。おにいさん達、これまで何人のオンナにそんなこと言ってきたの」 「オネエさんが初めてだよ」 「嘘はいけないわ。でも、すごく嬉しい」 目になだらかな弧を描き、口元に微笑を湛える。朔ちゃんは男だ。女顔ではないし、背丈があって頑健だ。いくらメイクし、ワンピースを着ていても決して女性には見えない。この街によくいるオカマのひとりだ。 なのに、その表情の女っぽさや艶美さといったら。二人組だけではなく、俺までもうっとりと魅入りそうだった。 だからこそ、もやもやするだけではなく、ハラハラもしていた。加えて、心底イライラしている。 朔ちゃんはいったい何を思って、意味ありげな言動と仕草を男どもに向けているのだろう。声をかけられたことによって自分の女装が似合っていると確信し、愉しくなっているのだろうか。モヒートを一気に飲んだせいで、早くも酔いが回っている感じだから、尚更そうなのかも知れない……。 嘴を入れようか入れまいか、迷っていた。朔ちゃんは魔性のオンナごっこをしているだけだろうし、最後には二人組を振るに決まっている。とんだ性悪オンナだ。 ほとんど空になったハイボールのグラスを握る左手におのずと力が入り、指輪が薬指に食い込んでいた。 俺は彼を信じている。だからこそここは、姐さん女房の余裕を見せないと……。

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