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第9話

「実はさ、この近くに、ゆっくりと静かに飲めるお店があるらしいんだけど」 そう言いながら、マッチョは朔ちゃんの広い背中を意味深な手つきで撫でる。 「《ミラージュ》って店、知ってる?」 ぴくりと身体が反応する。俺も朔ちゃんもよく知っている。なぜならその店で朔ちゃんに何度も口説かれたし、それ以前にも俺は別の男性と利用したことがあった。 巷では意中の相手を落とすのに最適なバー、なんて言われている。洒脱でゆったりとした時間が流れる店内には、高級家具店で仕入れたソファーの席とカウンター席があり、そこに並んで座って、酒を飲みながらの駆け引きを愉しんだのち、近くのラブホテルへと向かうのが定番となっていた。 もっとも口説くのに失敗し、相手に立ち去られることもあるが……。俺たちが、まさにそうだった。当時、朔ちゃんの好意に応えることができなかった俺は、ひとりで《ミラージュ》を出ていき、勤め先だったママの店でぐったりとしていた。あの時はまさか、朔ちゃんとここまで深い関係になるとは、つゆも想像しなかった。すごく、懐かしい思い出だ。 ……与太話を挟んでしまった。つまり、朔ちゃんは今、《ミラージュ》を経由し、ラブホテルにしけこまれそうになっているのだ。 「やだぁ。おにいさん、変なこと考えてるでしょ?」 朔ちゃんもそれを察してか、背中に這うマッチョの腕を「おいたが過ぎるわ」と言わんばかりにツンツンと突きながらも、くすくすと笑う。 「ありゃ、バレた?」 「バレバレですぅ」 「でも、変なことは考えてないよ。考えてるのは、イイことばかり」 ソフトモヒカンはニヤニヤと卑しく笑いながら言い、泡の消えたビールを飲んだ。……口説き文句にセンスがない、寒気がする。そう一刀両断したくなるのを堪えていると、カウンターからふと視線を感じた。見れば新人くんが「大丈夫ですか?」と心配するような目を向けていた。俺はわずかに口角を上げて、「心配しなくていいわ」と目で答える。 とは言ってもいい加減、限界だった。ナンパ野郎にも苛つくし、何よりも朔ちゃんの思わせぶりな態度が腹立たしい。となりに伴侶がいるというのに、まったく何を考えているのか。 「もう、下心が見え見え」 朔ちゃんは肩を揺らして笑う。「でもアタシ、おにいさん達みたいな肉食系男子、好きよ?」 ぷつん、ぷつん、ぷつん。 頭の血管が何本も切れて大量出血を起こしそうになっている。あぁ、ダメだ。そう思った瞬間、ソフトモヒカンが追い討ちをかけるように朔ちゃんの肩を抱き、耳元でこう囁いた。 「じゃあさ、これから3人で美味しい時間を過ごそうよ」

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