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第10話
響き渡るは、ハイボールのグラスをテーブルに叩きつける大きな音。ナンパ野郎はもちろん、朔ちゃんや新人くん、それから周囲で歓談していたお客さんのすべてが、飛び跳ねるほどに驚き、俺に注目した。
店内にはアップテンポな洋楽が流れているが、それさえも消し飛ぶのではないかと思うほどに、しんと静かになる。俺は奇跡的にも無傷だったグラスから手を離すと、今すぐにでもぶっ飛ばしてやりたい衝動を抑え、あくまで貞淑に、それでも目にありったけの殺気を込めて、二人組ににっこりと微笑みかけた。
「……ウチの主人に、触らないでもらえます?」
「ひっ」
マッチョが見た目に似合わないか細い悲鳴をあげ、ソフトモヒカンは気圧されたかのように仰け反った。その様子を見て、少しだけ気分が良くなったのもつかの間、相手は俺の形貌をじろりと見た上で、はっと鼻で嗤ってくる。
「おいおい、何だよ。自分に声かけられないから怒ってんのか?」
「は?」
口元が盛大にひくつき、地に響かんばかりの低い声が出た。堪忍袋の緒が切れるとは、まさにこのことだろう。俺は椅子をくるりと回し、彼らと面と向かった。
「まったく以って見当違いで笑えるんだけど。わたし言ったわよね? この子、ウチの主人なの。無駄に顔がいいし、ナンパされるのも仕方ないと思って、アンタ達のやり取りを静観してたけど、もう限界。どこから湧いてきたのか知らないけど、これ以上ウチの主人にまとわりつくようなら、二度とこの街を歩けないようにしてあげるわ」
息巻く俺に、朔ちゃんは目を点にしていた。それもそうだろう、俺がここまで怒りに身を任せて物を言うのは、数年に一度あるかないかくらいだ。珍しいものを見たと言わんばかりの彼に、いったい誰のせいだと牙を剥いてやりたかったが、ナンパ野郎の退治が優先だ。
彼らは明らかにカチンときていた。椅子から立ち上がり、俺に食ってかかろうとしてきたが、そこで空気を読んだかのように、周りのお客さんが「あれ? あの人って《ローズ・ブルーム》の店長さんじゃない?」「あ、ほんとだ。二丁目で人気の女装バーの美人店長じゃん」「なになに? そんな人を怒らせたの? あの男の子たち、ちょっとマズいんじゃなぁい?」などとささめきだす。
二人組は、途端に顔を青くした。……権力の濫用、権力を笠に着るとはまさにこのことだ。加えてこの店のお客さんは、バンビさんの人柄に共感できる人たちばかり――つまり、物事を面白おかしくさせるのに長けている上、少々サドの気がある。だから組織的愉快犯となって新参者を脅かし、怯えた反応を肴に、にやにやと酒を呷ろうとしているのだ。
顔見知りではあるものの、ほとんどお喋りをしたことがないオネエさん達ばかりだ。まったくいい性格をしている。絶対に敵には回したくないので、今度、一緒に飲んで親睦を深めようと思いながら、俺は竦みあがっている二人組に視線を戻す。
「それでも、この子を口説き続ける?」
口元の笑みは絶やさず、目元に露わにした威圧感はそのままに素の声でそう訊ねる。二人組は湯引きした鱧のようにさらに身をきゅっと縮こめると、震える手でカウンターに五千円札を置き、尻に帆をかけて店を出て行った。
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