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第3話
なぜ神宮寺慈恩という快速特急電車が「エリート人生」のレールから脱線してしまったのか。
脱線事故というものは往々にして、制限速度を大幅に超えたスピードでカーブ地点に進入したことが原因で発生する。カーブを曲がり切れず、車輪が線路から外れてしまうのだ。
もっとも慈恩の場合は、スピード超過というよりも途中で燃料切れになってしまった、と言った方が適切だけれど。
そう、慈恩の人生は「安全運転」そのものだった。だとしたら何故脱線したのか。
……きっと通過駅で誰かが身を投げたのだろう。停車せざるを得ない状況に陥ったのだ。しかし彼は電車ではなく人間だから「心」がある。彼の「心」には人体がバラバラになって吹っ飛んでいく光景が強烈に焼き付いてしまった。だからもう快速特急電車としての役目を果たせなくなった、のだと僕は推測する。
史実に基づいて話せば、彼は大学受験に失敗した。それが彼の心やプライドをぽっきりとへし折ってしまったのだ。
神宮寺慈恩は、霊能者である父と占い師である母が愛し合った結果産まれた。
……何を言っているか解らないかと察するが、本当に「そう」なのである。両親は二人で「占いの館・サジタリウス」を経営しており、これが巷では「世界一当たる」と噂が絶えず、他県からわざわざ足を運ぶ者もいるほど人気なのである。二人の実力もハッタリなどでは当然なく、家系として代々霊能者の、あるいは占い師の遺伝子を継承しているというのだからその説得力も大アリだ。
つまりはそんな二人の血統が流れる慈恩も同様に、二人の「能力」を継承しているというわけだ。
慈恩自身にもその自覚はあるようで。幼少の頃から目を細めて遠くを眺めると、現実にはないモノが見えていたらしい。それがいわゆる「霊」というやつであり、結果として十分に霊能者の素質を受け継ぐことに成功している。
そこまでは良かったのだが。
慈恩にだってもちろん「自我」がある。彼は自分の霊が見える体質を良く思っておらず、むしろ嫌悪していた。そりゃ日常に霊なんざ潜んでたらそうなるだろうなあと同情はできるが、しかし両親はそんな慈恩の気持ちを顧みなかった。慈恩が不満を吐露するたびに、いつか人を助けることになる特別な力なのだと言って聞かせた。
僕から見て、両親の言っていることは一切間違ってはいなかったのだけれど。
理屈は通っていても、気持ちが追いつかなければ受け入れられない現実だってある。
慈恩は結局のところ反抗を続け、医学部を目指すのだと意気込み県内有数の進学校へ駒を進めた。中三の春のことだ。
両親は……特に父親は「今から霊能力を使いこなす修行をしなければ通用しない」と慈恩を説得したが、慈恩はそれを頑なに拒否した。両親にはきっと、ただの反抗期だと軽んじていた部分もあったのだろう。猪突猛進に勉学に励む一人息子の姿に手も足も出ない様子だった。
しかし第一志望校は、結果的に不合格だった。
滑り止めで受けた大学には合格していたのだが、慈恩はそれを蹴り浪人生という道を選択した。だが、恐らくその期間に上手くモチベーションを保つことができなかったのだ。再チャレンジも虚しく惨敗してしまった。
……という経路を辿り、現在のニート生活へ繋がっているというわけだ。
実家暮らし。引きこもり。ゲーマー。ニート。将来に希望なし。お先真っ暗。きっとこれは一種の「燃え尽き症候群」でもあると僕は考える。三年もの長期間を走り抜けてきたのだ。三年間ってことは二万六千二百八十時間ということだ。相当疲労が蓄積していたことだろう。それを思うと、彼を偏に責め立てることなんでできやしない。
そしてたぶん、彼の両親も同じことを感じている。だからこそ今この状態で放置して、なにもできずにいるのだろうな。
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