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2 これは思った以上に…〈2〉

 横からパーテーションを出してきて座敷に仕切りを作る。こうすると女性が向こうで着替えていてもお互い見られなくてすむのだ。  克博は荷物を端の方に置くと恐る恐る真ん中に立った。 「猫背、直してくれる?」 「すみません」  言われて背筋を正した瞬間、全身に気が張りつめたかのように、すらっと身体のバランスが良くなった。肩から力が抜けて落ち、胸が広がり、腰が入り、ただ立っただけではないようだった。 「へ?」  思わず声が出る。そして思い出した。彼は武道をやっていたのだ。  姿勢は美しくないといけない。そういえば真一もそんなことを言っていた。腰に上半身を乗せるんだよ。そうしないと足が動かない。 「へええ……」  姿勢を正しく、というのが彼の武道をする者としてのスイッチを入れたのかもしれない。  これは思った以上に面白いな。朔也はうきうきしながらメジャーを持ってくると、首の根元から足首までの長さを計った。 「腕、伸ばして」  真っすぐ肩の高さまで上げさせると、首の根元から手首の長さを計る。男性用の着物は対丈で女性用ほど融通がきかないから、何となくで合わせるしかない。彼の着丈で似合うものがあればいいが。  着丈を基準にした出来合いのLサイズのうちから、ウール地の濃紫の細かな千鳥格子柄を引っ張り出した。そこに鮮やかな水色とピンクの帯を持ってくる。襦袢の襟は臙脂だ。 「これ着てみような」  克博に見せると、戸惑ったようなあまり興味のなさそうな顔になる。まあ、最初はだいたいそうだ。  さっさと服を脱がせて下着姿に襦袢を羽織らせると、襟を合わせて腰ひもを結ぶ。ひと通り皺を確認してから長着を着せ、袖を軽く振って襦袢と揃えてから身体に巻き付けて腰ひもで結ぶ。  それから帯を巻いて貝の口でぎゅっと締めた。あちこち緩めたり締めたりして調節してから、朔也は一歩下がった。 「うん」  武道をしているせいか、着物は着慣れていないのに、体が馴染んでいる。すごいな。パーテーションを取り払ってスタンドミラーを持ってくると、彼はぱちぱちと瞬きした。 「……結構、」 「派手だろ」  着物は基本的に同じ色で上下を占めるから、大人しい色、渋い色でも案外パンチがある。そこに鮮やかな帯が区切ってくるから、布として置いているときと、衣服として着てみるときとは印象がまるで違うものだ。  ウールの張りのある布地に、千鳥と格子との現代的な組み合わせが古い印象を捨てさせ、帯の淡いまだらな染め方が、彼の優しい雰囲気を引き立てている。そして半襟の臙脂色が彼の肌の白さを鮮やかにした。  ヘアセット一式の入っているケースからワックスを失敬して、ちょいちょいと前髪を上げてみたら、丸みを帯びた黒目とくっきりとした眉が露わになった。さっきまでいたひっそりとした大人しめの青年は鳴りを潜め、ブレイク寸前の舞台俳優みたいになった。うん、なかなかいい見立てだ。 「なあ、写真撮らせてくんない? 顔は写さないからSNSに上げさせてよ。男の写真が少なくて、イマイチみんな着物着たらどんなふうなのか、想像がつかないんだと思うんだよねー」 「参考資料ですね。かまいませんよ」  くるっと回りながら全身を見て、まだ着物の自分が見慣れない様子だ。 「大丈夫ちゃんと可愛いよ」  声をかけるとむっとしたようだった。 「心にもないことを言わないでください」 「えー、本気なのに……」  大袈裟に嘆きながら、店の中央壁際にあるバックスクリーンを引き下ろした。淡いボカシの背景を指さす。撮影用に、写真館とかで使っているようなやつを設置してあるのだ。 「ここに立って」 「うわ、何か本格的じゃないですか」 「カメラはこれだから大したことないって」  携帯端末を見せると彼はぎこちなく頷き、靴下のままスクリーンの裾に上がった。指定した場所で直立不動になる。 「ん、まあ、これでもいいかな」  ポーズとかつけられないだろうし、自分も指示できない。全身を正面から、背後から一枚ずつ撮る。後でスタンプを乗せて顔を消しておけば使えるだろう。 「よし、お腹すいてきたな。メシ行こうぜ」 「はい。これもう脱いでいいですか」  軽く袖を引っ張る。ここには全部一式あるから足袋に替えて草履履いたら出かけられるのに。  もったいない。見せびらかしたい。だけどこれ以上遊ぶとディナーの予約の時間が……。  背後に回って帯をほどくために引っ張る。いや、やっぱりもう一回見たい。 「今度土日に時間空いたらまた着てよ」 「……いいですけど」  ためらっていたが、頷いてくれた。よしよし。朔也はほくそ笑んだ。 「でもって外で写真撮ろうぜ!」 「え」 「いいのが撮れたらポスターにしてもいい? ちゃんとバイト代は出すから」 「……いいですけど……」  ため息をついて、それから克博は軽く肩を震わせて笑った。 「どした」 「何か、朔也さん結構可愛いですね」 「は?」 「えっと、バイト代はいりません。僕は公務員なんで」  不穏なことを言いながら、彼は話題を逸らせた。

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