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3 もしかしたら暴走してる?〈1〉
それからひと月ほどして、店の入り口でいつもの野暮ったい格好の克博が呆然と立っていた。
土曜日だったがさっき女性二組を送ってから客が途切れている。男性の予約はなく、宣伝用の写真を撮るという名目で朔也は一日自由にさせてもらうことになっていた。
自動ドアから顔を出すと、彼はこちらの服装を見てむすっとした。
「どしたの」
「着物じゃない……」
「今日は克博が主役だから遠慮したんだよ」
「だからといってなんでアロハなんですか!」
人差し指でぐいぐいと胸を押される。痛い。
朔也が着ているのは橙と濃紺の観世水柄のアロハシャツだった。白地に大きく重なり合うように描かれ、同色の濃淡がグラデーションになっており、ときおり金が差してある。
女物の優美な訪問着だったのが、胸元に染みが取れなくなってしまったものを、知り合いの洋裁師に仕立て直してもらったのだ。こうなると男女関係ないし、何より絹が元なので抜群に着心地がいい。洗うのは大変だが。
「成り立ちを考えるとこれも立派な着物なんだぜー」
アロハはもともとハワイで作られた、着物をアレンジした開襟シャツなのだ。実質着物だと言ってもおかしくない、というのはこじつけに近いが、気軽に着物の布地が着れるのだから良くしたものだ。
ということをたぶん聞きたいわけじゃないんだろうな。朔也はにやっと笑った。
「綺麗だろ」
「そうはいっても、あなただけリゾート観光っぽいというか、休日を満喫している金持ち観光客みたいというか、すごくお気楽な感じがするんですけど」
胡散臭い、ではないだけマシか。
露店で安いアクセサリー売ってそう、サングラスだけはやめて、と言われてからデートでは着ないようにしていたが、今日は裏方だし、どちらかというと、カッコいい俺の連れを見て!というモードなのだ。
「えー……似合わねえ?」
やめてくださいと呆れさせるつもりで似合わない上目遣いで見上げてみると、克博は慌てたように両手を振った。
「いえ、そんなことは、ないです!」
力いっぱい否定されてしまった。そういう反応を期待したわけじゃないんだけど。冗談が不発に終わってしまって、照れ隠しにばしっと背中を叩いた。
「じゃあいいだろ。早く着替えよ!」
「うっ……」
言いくるめられた、詐欺だ、余計に目立つんだけど、とか何とかつぶやきながら克博が階段を上がってくるのを待つ。そして店の奥に引っ張り込んで着替えさせた。
本当は出歩くなら着崩れしにくい絹かウールがいいのだが、自分の写真の腕では正絹の光沢の美しさまでは写せない。
だから今日はポリエステルの鮮やかなデザインで勝負することにした。白地に黄緑と紅梅と濃紺のちょっと冒険した太い縞模様の単衣に、艶やかな黒い帯を用意している。
暑くならないよう薄くて軽い絽の襦袢に、半襟は深い緑、足袋も同じ色を揃えておいた。
「これどうよ」
「……素敵です……ね?」
よくわからないという顔で首を傾げる。まあ、そんなものか。畳んだ状態だとなおさら想像がつかないだろう。
案の定、姿勢を良くしてくれる?と言ったとたん彼の身体は着物用に変化した。顔つきもわずかに変わるような気がする。柔らかかった子犬じみた目が、強さを秘めた狼の色を見せる。
襦袢を肩に乗せて窮屈にならないよう首に沿わせる。そして長着は襟に沿わせて、前はすっきり、後ろはゆったり、帯だけは腰骨に合わせてきっちりと。
「朔也さんは……」
「ん?」
腰が細いせいで余り気味な帯の端を処理しながら、朔也は生返事をする。
「本当に着物が好きなんですね」
「んー……」
「いつからなんですか? お家が呉服屋さんだとか?」
「え? あ、いや、ふつーの家だよ」
最初はただここに配属されたからだった。人に勧めるなら覚えなければと勉強しているうちに、布の感触で区別がつくようになって、それから着物独特の色の合わせ方が面白くて……。
それより彼の着心地が気になった。いつも男の客に着せ付けているから、大丈夫だとは思うが。
「どう? 苦しくない?」
「ぜんぜん。大丈夫です」
きゅっと帯を締めて背中を軽く撫でて皺を整え、前に回り込んでから全身を確認する。裄がわずかに足りない気がするが、これはこれで活動的に見えるから良しとしよう。
野崎表の雪駄を置くと、克博の足がもぞもぞと鼻緒を掴もうと苦戦し始めた。そうこうしているとバランスを崩してふらつく。
「肩に手を置いてみて」
しゃがみ込んだ朔也の肩に、克博が手を置いてきた。大きな手のひらに体重がわずかに乗り、きゅっと草履に足が滑り込む。両足とも準備が整うと朔也も立ち上がった。ぎこちなさがあるが上出来だ。
長めの前髪を整えてきりっとした眉を露わにしてやると、穏やかさの中に強さが加わった。よしよし。
「じゃあちょっと散歩に行こうぜ。今日は昼から天気が崩れるらしいから、早いうちに写真撮っておきたいし」
小さめのボディバッグを肩にかけ、彼の手を引いてやる。足元がおぼつかないのかきゅっと指がすがってきたから、朔也は微笑して握り返してやった。
「慣れたらすぐに歩けるって。ビーチサンダルだと思ってみろよ」
「……それなら、なんとか行けそうです」
「どうすっかなー。じゃあ最初は近くの五重塔にしようか」
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