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3 もしかしたら暴走してる?〈3〉
天気予報は半分当たり、半分外れた。午後からの雨が降ると言っていたのだが、実際は午前に食い込んできたのだ。
広い境内の中を通り抜けて、小道を歩きながら大きな木や花をバックに何か所か撮影し、次の目的地の間にあった池の淵で柳と撮っていたときに降り始めた。
ボートを楽しんでいた観光客は慌てて岸に戻って駐車場に逃げ、道を歩いていた人たちは早々に少なくなって近くの店に早めの昼食をとりに行ったのだろう。しかし徒歩で池の橋の真ん中まで来ていた自分たちは、すぐにどこかへというわけにはいかなかった。池の真ん中にある東屋のような堂に駆け込む。屋根の下に入ったとたん、雨の量が増えた。
風もなく、細かい雨が真っすぐに池の中へ吸い込まれていく。
分厚い鈍色の雲の下、遠くの山はもったりとした空気に掻き消えている。池の周りに植えられた柳は重そうに頭を垂れ、脳が痺れるような雨音が堂の周りを包んでいた。水面には小さな斑点が無数に浮かび、それを掻き分けるように緋色の鯉が悠々と泳いでいる。
池に閉じ込められたのはふたりだけだった。雨は吹き込んでおらず乾いている木のベンチに腰を下ろし、克博は残念そうに外を見た。
「すぐには出られませんね」
「うーん、この様子だと一時間くらいかなあ」
端末で雨雲の動きをチェックし、朔也はカバンにしまった。タオルを引っ張り出して、軽く克博の肩を拭いてやる。まださほど濡れていなくて、今度は自分の服を軽く押さえた。タオルを畳んでバッグにしまうと、カメラに電源を入れた。
「中でも撮るんですか?」
「もうちょっと外から撮りたかったんだけどな。欄干とか鯉とかと一緒に」
でもこれはこれで。
朔也は至近距離まで来ると、ほぼ三十センチの距離からシャッターを切った。
「……近すぎません?」
「ん、顔は写さねえよ」
布地の織り目が見えるほど接近し、克博の丸くなった指の爪先と一緒に撮る。少し荒れた手が男っぽく、布地のなめらかさと対照的だ。
それから帯と手首に接近する。帯は黒い正絹で艶やかさが段違いだ。このカメラでは拾いきれないが、骨ばった手首と浮いた血管に荒れた皮膚で触れただけで毛羽立ちそうな艶を収める。
柔らかい後ろ髪が後ろ衿にかかっているところにレンズを向ける。きりっと立ち上がった襦袢の半衿と、ふっくらと厚みのある長着の衿が重なって馴染み、そこに癖のある黒い髪が空気をはらんで柔らかさを見せ、後ろの首筋の白さが映えた。
どこを切り取っても悪くない。
「……すごくフェチっぽい撮り方じゃないですか……?」
克博がいくぶん胡乱そうな眼差しになっている。
「僕じゃなくて、着物を撮りたいんですよね」
「いやいやちゃんとモデルを撮ってるよ」
「でもぜんぜん僕は写ってないでしょう」
言いながら、気を悪くしている様子もない。ただ朔也のやってることを楽しそうに眺めているだけだ。そわっと首筋がくすぐったくなる。ここまでくるとポスターとか使いにくいかもしれない。自分の趣味だ。
「見てみる?」
まあまあ満足してから、再生画面に切り替えた。
「見たいです」
克博が身を乗り出してくるので、ずらっと並ぶ写真を見せてやりながら、一枚ずつスライドしてやった。
五重塔と一緒に後ろ姿は、モノクロの景色の中で着ているものが鮮やかに目を焼く。大木に手を添えているのは風で髪がなびいて顔を隠している。そういうポスターに使えそうなやつから、めくれた裾と足元、帯にひっかけられた指先、きっちりと重なった衿もとと細い顎、後ろ衿と髪に見え隠れする耳たぶ、艶やかな帯結びの光沢と背中と尻にできる皺、そういう接近してパーツしかないものもたくさんあった。
「……何かすごい、こだわりがあるんですね……」
呆れたような笑いだす寸前のような複雑な顔になって克博がつぶやいた。
「いや、これ撮ったやつ変態じゃね?」
わりと真面目に朔也が答える。
並べてみるとさすがに可笑しい。執拗に彼を視線で舐め回しすぎだろう。だけど着物の染めや織りへのこだわりと、モデルの骨ばって硬そうな身体の部位とが調和して、視線を逸らさせないような引きがあった。
「ごめん気持ち悪いよな」
とはいえ相手は素人なのだしこんなふうに見られたくないだろう。申し訳なくなって撮影モードに切り替えると、堂の中心ほどまで行ってからシャッターを切った。
雨とはいえ堂の外の方が明るいから顔は見えずシルエットになっている。足元には入り口から入る光があって、わずかに乱れた裾から白い足首が出ている。
「そんなことないですよ。そういうところ好きです」
「……だったらいいんだけど」
自分だったら引くなあ。もう少し近づいて胸から上を写す。俯きがちの輪郭と、リラックスした肩が無防備で、触れたい衝動に襲われた。
「くすぐったいです」
その心の動きが伝わったのか、彼は笑って言った。朔也はにんまりした。
「まだ触ってねえじゃん」
「触る気だったんですか?」
どうだろう。今は出会ってすぐに感じていたものは霧消し、もう彼は子犬のようには見えなかった。
彼は自分の印象が変わったといったが、自分もだいぶ彼の印象が変わった気がする。気が弱くて先輩に振り回されてるだけ、こちらの趣味に付き合わされているだけの青年のように思ってたが、実は彼はどの状況でも楽しんでいるように見えた。気持ちにゆとりがあるのかもしれない。柔軟性があるとでも言えばいいのか。
もし誰かここに来て、彼が好きなので勝手に会わないでくださいと言われたら、嫌な気分になるだろう。そうなるだけの執着はあった。
「触ってもいいですよ?」
ふんわりとした唇が甘く動く。朔也はカメラを近づけて彼の唇だけを画像に収めた。
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