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3 もしかしたら暴走してる?〈4〉
「いいのか?」
「でも、僕は、朔也さんのことが……朔也さんを、すごく……」
ぷらぷらと足先を動かして声が途切れ途切れになった。
「僕、初めてなんです……」
消え入りそうな声で言う。おやまあ。朔也はカメラを下ろした。こんな良さげな物件が手つかずとは珍しい。
「初めてなのは、前と後ろのどっち?」
「……すみません、どちらもです……」
消え入りそうにつぶやいて、克博はもじもじと手を組んだ。
「自覚したのが遅かったし、それまでも女の子が怖かったからぜんぜん付き合ったことがなくて……」
「あー、まあ、そうなるよな」
「かといってするためだけにそういうところに行けなかったから……」
「そっか、それはそれでいいと思う。自分を大事にするのも大切だし」
思わず相談受付モードになって頷いてしまう。しかしそうやって守ってて、この状況だ。
「じゃあ余計に、俺に任せた方がいいんじゃね? 初めてはいろいろ混乱するかもだけど、慣れたらみんな結構気持ちよさそうにしてるし、安心して委ねてくれたら」
今までの相手を思い出して説得を試みる。痛がったり違和感に戸惑ったりするけれど、回数を重ねてやり方がわかってきたら何度もしたくなるみたいだ。だから。
「すっごーく丁寧にするから、な」
「……あなたの技量については心配はしてないんですけど、でも、」
にっこり笑ってみせると、彼は軽く首を傾げた。そういう仕草がもうすでに可愛いっていうのに。
「すみません、参考に、朔也さんの後ろの経験の有無、聞いてもいいですか?」
しかし尋ねる内容は遠慮がちではあったが単刀直入だった。朔也は視線を泳がせた。言いたい話じゃないが、言わないわけにはいかないか。
「あーそれな。昔、数回だけ。でも向いてないってわかったから」
ほんの十代のときだ。ちらっと嫌な思い出がよみがえりそうになって慌ててかき消す。
「それからはずっとタチばっかだし、だからおまえと一緒でほとんど経験なしってわけ」
「……なるほど……」
「だから初めてのやつにさせるにはちょっと……」
言いつつも、だんだん答える声も強さがなくなっていく。そんなにこだわるところだろうか。
せっかくの初めてなら、彼の好きな方をさせてやってもいいんじゃないか。どこからかささやく声がする。おまえがちょっと我慢するだけで丸く収まるじゃないか。相手に譲歩しないせいで失ったりしたら、目も当てられないだろう。
「朔也さん」
そしてそういう迷いは伝わってしまう。克博の目がふいごで風を吹き込んだようにふうっと熱っぽくなった。
するりと指先が腰に回ってくる。シャツと皮膚の間に這い込むと、固いベルトを過ぎ、背骨をたどるように素肌を指先で撫でた。かすかな痺れを感じて首筋に体温が上がってくる。
「おい、ここ外――」
片手でカメラを持ったままもう片方で侵入を防ごうと彼の手首を掴んだが、克博は空いている手で指をアロハの裾から忍び込ませてくる。堂の外は雨が降り続いていて、遊歩道もこんもりした丘も人気が無かった。閉じ込まれていて、出ることもできない。
「こんな悪戯、着物じゃできないですね」
「待てよ。くそ、着るものの選択を誤ったかな」
引き寄せられ、抱え込まれた。朔也は慌ててカメラの電源を切っていくぶん乱暴にベンチに置くと、引きはがせるように彼の肩に手を置いた。リードを許すとヤバイ気がする。
「そこまでだって」
「ずっとあなたの可愛いところ見てたので、ちょっとくらいいいでしょう」
「えー、お仕事する朔也さんかっこいーじゃなくて?」
「カッコいいですよ」
じっと視線が絡む。
「あなたがてきぱき動くのも、じっと考えているのも、ぼんやりしているのも、すごくカッコいい。ひとつひとつ全部腕の中に閉じ込めたいくらい」
首の後ろを捕らえられて身動きが取れなくなった。
「……ちょっと」
長いまつ毛をうっとりと伏せながら、しかし彼は強い光を目に宿している。
「食事に誘ってくれて嬉しかったです。こうして着物デートも本当に楽しくて、写真も撮ってくれて、少しは、僕のこと」
そうだな。
朔也は見下ろしながら苦笑した。彼が気の抜けたいつもの格好しているときも、スイッチひとつで美しく変わるのも、困ったり、はにかんだり、恥ずかしがったりするのも、一歩離れたところで見守って楽しんで付き合ってくれるところも、全部抱きしめたい。
「とりあえずここはやめろ。誰が来てもおかしくないし」
強めに手首を持つと動こうとしていたのが止まる。力の抜けた腕を放すとするっと抜けて行った。
たぶん、彼が好きだ。
彼の言うことを聞いてあげてもいいかと思えるくらいには、心を許している。まだ口説けば考え直してくれるかも、と思わないこともない。
だけどそこまでボトムを嫌がる理由を聞かれてしまったら答えにくかった。それならもう、ここで折れたほうがまだ傷は浅いかも。
「あなたがいいと言うまでは何もしませんよ」
物わかりの良いようなそぶりを見せてはいるが、ちらちらと目の中に欲望がちらついている。覚悟を迫られている気がした。
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