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4 自分が折れた方が早い〈1〉

 朔也が春鹿の鬼斬を頼むと、真一はハイボールをおかわりした。 「何か店が忙しいんだって?」  下世話なにまにま笑いをしながら尋ねてくる。 「それであいつ、最近会えないって嘆いてたけど、おまえら付き合ってたのかよ」 「まだそこまでは行ってねえけど……そう思ってるけど……」  口の中に奈良漬のクリームチーズ和えを放り込む。 「もしかして向こうからの愚痴も聞かされてんの? お疲れさんなこった」  こってりとした旨味が口の中に広がって、指が勝手におちょこを掴んだ。だけどまだ注文のものは来ていないから空だ。  仕事場からさほど離れていない、細い路地に入ったところにある居酒屋で、朔也は真一に誘われて飲んでいた。  緑の提灯が下がっているところは外れが少ない。入り口は狭く、中は迷路のように入り組んでいて、廊下のあちこちには行灯のような淡い明かりが灯っていた。  障子をからりと開き、畳地の長椅子が二脚ある個室に案内してもらって、ぐだぐだとつまらない話をする。今日は着付けする際、崩れやすい注意点がないか確認込みで、レンタル用の栗色のポリエステルの紬を着てみている。絹よりは着崩れしやすいが、汚れを気にしなくてもいいというのは大きい。 「愚痴ってほどでもないけどよ。どちらかというと俺が聞き出しただけ」 「忙しくなったのは嘘じゃねえよ。男の客が増えた、っていうかカップルで来るうち男が客になりつつあるっていうか」  今までは男女ふたりでやってきても、彼女だけが着物姿になるというパターンが多かった。  彼氏は彼女が楽しんで選んでいるのを見守り、洋装のまま連れ出して行くというのが普通だった。  しかし朔也がSNSで克博の写真をアップして、男性もぜひ着てください! こんなふうに変身できます! という感じのコメントをつけておいたら、カップルの男の方も着物を着る確率が高くなってきた。 「そんなに評判になってんのか。どんな写真だよ。どれどれ」  端末を取り出して、店の名前でさっと検索する。該当のアカウントを引き当てると、新しいものから、にやにやしながら流し見ている。  そしてぴたりと止まった。真一は無言で凝視した。 「なんじゃこりゃ」 「えへへ」 「可愛い子ぶるな。おまえ……おまえな……」  言いたいことはわかる。朔也は苦笑した。いくつもただのワンショット、ツーショットがアップされている中、ひとつだけ異様なものがある。  四枚組になっていて、一枚目はシルエットのみだ。  逆光になっていて、顔も着物がどんなものかもわからないけれど、モデルの男性が自然体に緩く立っている。  そして骨ばった大きな手のアップと光沢のある黒い帯の一部、柔らかく髪がかかるすっきりとした衿、深緑の色足袋でちょいとつっかけている雪駄の写真が並んでいた。  ただ着物、ただモデルを撮っているわけではない、その対象への甘い眼差しと欲望が顕著に表れていて、知っている人が見ると気恥しくなるのだろう。もしくは呆れかえるしか。 「やりすぎだろ……」 「いやあああはははは」  笑って誤魔化していると、店員がハイボールと、一升瓶と升にグラスの入ったものを持ってきた。  ラベルを確認し、注いでもらう。透明の液体がグラスの縁からぷうっと膨れ、つるつる流れ出るのを無言で見遣る。店員はこころもち多めに溢れさせてから一礼して個室から出て行った。 「……ごめん。大事な後輩なのに」  自分のために着物男子として消費してしまっている。真一は色悪な顔で端末の画面を眺めた。 「まあ、こんなに楽しそうにしてればなあ。いっちょ頼んでみるかって気にもなるか。それに自分も彼氏のこんな写真撮ってみたいって思うだろうし」  着ている本人というより、写真を撮ってる側のほうが、楽しんでいるのが見え見えという状態が、素人にも伝わるらしい。  他の投稿は客の立ち姿にスタンプを押して顔を隠しているようなものばかりだ。ここまでのあからさまに色気を出しているものはない。  だけど日付でわかるとおり、克博の写真がある前と後とは格段に客の多さが違う。  今では男の着付け師の手が足りなくて、本来休みにしてくれていたはずの日も駆り出されていた。  女性客を着付ける女性のスタッフは何人もいるのに、男性スタッフは自分だけなため、朝から何組も着付けをしては送り出し、予約しに来たの人に応対して一式その人に合いそうなものを勧め、興味本位で覗きに来た人にも丁寧に説明する。頼まれれば場を盛り上げながら写真を撮り、使ってもいいという許可をもらったものは、今日のお客様としてネットに上げた。  一度夕方ごろに克博が覗きにきてくれたことがあったが、そのときは別支店の店長が来ていて、どういうサービスをしているか説明しているところだったから、まともに相手ができなかった。  後で謝らないと、と思っていたのに、帰ったらそのままぱったりと眠ってしまってすっかり忘れてしまっていた。  商売繁盛は良いことだが、根本的なことがないがしろにされているような気がする。 「克博、何か言ってた……?」 「忙しそうだから遠慮したって」 「本当にそんだけ?」  何か言いたいことがあっても隠しそうなタイプだし、真一も別の相談内容は漏らさないようなやつだ。もどかしい。

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