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4 自分が折れた方が早い〈4〉

 メニューを取り上げると真一が上から押さえてきた。 「重い」 「最後釜めし頼んでいい? おまえも食ってけよ」  最後の方のページを見て、首を傾げる。彼はどちらかというと〆はスイーツ派で、お茶漬けも頼まないタイプなのに。 「えええ注文から少々お時間かかりますって書いてあるからいいよ」 「この後は用事ないんだろ。せっかくなんだから観光地が推してる料理をゆっくり味わっていけ」 「ったく……」  ここを早く出て、ひとりで繁華街へ乗り込みたいと思っているのがバレているのかもしれない。時間を見ればまだ十時にもなっていないし、釜めしくらいは付き合ってやるか。  と思ったのが運の尽きだった。 「……間に合いました?」  四十分後、弾んだ息で店にやってきたのは克博だった。  釜めしがようやく炊き上がり、蓋を開けて湯気を楽しんだ後、先に真一が、後で朔也が茶碗によそったくらいのタイミングだ。障子を開いて半身を滑り込ませてきた彼を振り返った瞬間、朔也は掴んでいた山菜をぽたりと落とした。 「へ、今日、残業だって、言ってなかったっけ」 「早々に切り上げました。明日続きします」  なんでここが、とか間に合ったってどういうこと、と思ったが原因はひとりしかいない。 「どういうつもりだよ」  真一を睨むと彼はにやにやとしながら釜めしをのおかわりをしている。普段ご飯ものを頼まない彼がしたこの注文も、克博が到着するまでの時間稼ぎだったというわけか。 「おまえが不穏なことを言いだしたから呼び出した」  途中でトイレに行ったのはこのためか。気づいていれば逃げ出せたかもしれないのに油断した。  朔也は茶碗の中に落ちた山菜を摘まんで口に入れ、これまでのいきさつを思い出して、どうにかして穏便に撒くことができないかルートを片端からチェックした。ダメだ。このままひとりで帰してくれそうもない。  二人掛けの椅子の、朔也側の端のほうに克博はちょこんと座った。仕事帰りのため、安物のスーツ姿だ。紺の無地の上下に格子柄のシャツ、焦げ茶のストライプ柄のネクタイを締めて大人しそうな見た目だった。 「それにしても早くね?」 「言ってませんでしたっけ? 僕の職場、ここから二〇分のところにあるんです」 「……はあ」  前に公務員だと言っていた。ここから遠くないとするなら、思い当たるのは県庁くらいだった。真面目っぽい印象そのままか。  だけど、それにしても。 「あのなあ、先輩の言うことをいつでもほいほい聞くもんじゃねえよ」 「すみません」  退路を断たれた不満を山もり乗せながら文句を言うと、克博は謝ったが不機嫌そうに朔也を睨んでくる。この様子だとわりと細かいところまで聞いていそうだ。  やばい。  もそもそと釜めしを口に運ぶがあまり味がしなかった。横で不穏な空気をまとわりつかせながらただ座っているだけの彼のせいだ。小さな茶碗を空けてしまうと、カバンから財布を出した。真一は目ざとく見つけて手のひらを見せてきた。 「あーいいよいいよ。この前払ってくれたんだろ。ここは俺が」 「くっそ。余裕かましやがって」  これからの修羅場を作り出した本人に小さく悪態をつくと、彼は意地悪い笑みを浮かべた。 「黙って送られるんだな」 「覚えとけ」 「あっはっは」  捨て台詞を吐いてから楽しそうな笑い声を背後に着物にボディバッグを引っかけて、先に立って出る。克博が真一に短く挨拶をしてから後から追ってきた。  この前は車を近くの道路の端にハザードをつけて止めていた。今日はそこにはない。商店街で借りている駐車場が近くにあったような。記憶をたどると、克博は反対側へ向かった。 「そっちの駐車場?」 「いえ、電車通勤です。タクシーで帰りましょう。あなたの家にお邪魔していいですか」 「は、」  家にまで乗り込んでくる気か。唇を片方歪めながら朔也は駅前のロータリーの方へ歩く。あそこなら色とりどりのタクシーが並んでいるはずだ。全部料金持たせてやる。といっても三千円程度だが。 「うちにおまえに合いそうなスーツの替えはねえぞ。お仕事途中で投げ出してまで来て、ご苦労様なこった」 「スピード勝負だと思ったので」  早足になって並びながら、低くささやくように克博が言った。 「取り返しのつかないことになるまえに捕まえられて良かった」 「この手のことなら、俺はおまえより経験値あると思うけどなあ」  付き合ってもないのに干渉されるいわれはない、とはもう言えないだろうな。朔也は抗議というよりはただじゃれつくつもりでグチグチ言う。 「そういう問題じゃないと思うんですけど。とりあえずあなたの家でゆっくり聞かせてください。一種の浮気ですよね?」 「はあああめんどくせえ……」 「それが本心なら怒りますよ」 「わかってるよ。本心じゃねえよ」  友人に相談したということは本当は止めて欲しかったってことだ。  仕方がない。いつだって惚れた方が弱いのだ。

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