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どんなに暗い夜だって… 6-7(雪夜)

 自分でもどこをどう走ったのかわからない。  とにかく人のいないところに行きたかった。  裏路地に入って、しゃがみ込むと涙が溢れてきた。 「いたっ!……はぁ……はぁ……あ~僕運動不足かなぁ……雪夜君大丈夫かい?」  後から追って来た緑川が、息を切らせながら雪夜の肩に手を置いた。 「……っく……っ……ひんっ……」  追ってきて欲しいのは、先生じゃないんだよっ!!!  夏樹が追いかけてくるはずはない。  だって、夏樹は雪夜があそこにいたことを知らないんだもの……  それはわかってるけどっ……でも…… 「あぁ、ほら……だから言ったのに……ノンケはさ、いつだって安全牌(あんぜんぱい)をキープしてるわけ。で、頃合いを見計らってある日突然『結婚するからお前とは別れる』『お前とは遊びだった』って言い出すんだよ……結局は平凡な幸せを選ぶんだ……僕らみたいなのは、ノンケにしてみれば一時の火遊びでしかないんだよ……」  緑川が深呼吸をしながらため息を吐くと、自虐的に呟いた。 「違うっ!!!あの人は……先生が言うような人じゃないっ!!!俺はあの人のこと……信じてるっ!!!……っ」  そう、信じてる……夏樹さんはそんな風に俺を裏切るようなことは……しない……!  でも……じゃあ、なんで嘘ついたの?今日は吉田さんと会うって……あれはどう見ても吉田さんじゃなかった……なんで……なんでっ!?あの人と会うのは俺に言えないこと!?子どもって何!?子ども……?―― 「っぅ……ヒュッ……っっ!!」  何がなんだかわからない……頭の中がぐちゃぐちゃで……心臓の音がやけに耳に響いて……息が……苦しい……っ 「雪夜君?……どうした?……あ~……もしかして過呼吸……かな?何か袋は持ってるかい?」 「……っ」  雪夜が頭を横に振ると、緑川が軽くため息を吐いた。 「僕も今使えそうなものは持ってないしなぁ……よしよし、大丈夫だから、落ち着きなさい。ゆっくり深呼吸してごらん?」  緑川が雪夜を抱き寄せて意外に優しく背中を撫でた。  でも……  違う……俺が欲しいのは……この手じゃないっ!!  いくら同じように優しく抱きしめてくれても……温かく包んでくれても……雪夜が求めているのは……安心できるのは……この手じゃ……  振り払いたいのに、苦しくて指先が震えて身体がいう事をきかない。 「や……めっ……放って……おいてっ」  やっとの思いで、声を振り絞った。 「放っておけるわけないだろう?そんな状態で……放っておいて欲しかったら自分で落ち着いてごらんよ。できないんだろ?」 「やめ……ろっ!!」  渾身の力を振り絞って突き飛ばすと、緑川はバランスを崩して尻もちをついた。 「はぁ……まったく。その状態で強がってどうするんだい?一途なのも困りものだな……」  緑川が地面についた手をパンパンと叩いて、雪夜を見た。    雪夜は緑川を突き飛ばした勢いで前向きによろけ、地面に両手をついて座り込んでいた。  力が入らなくてその体勢から動けなくなっていたのだ。  もぅお願いだから一人にしてよ……っ!!    落ち着かなきゃと思うけど、緑川がいるせいで気が昂って余計に呼吸が狂う。  ダメだ、早く落ち着かなきゃ!……でも息が苦しい……俺今……吸ってるの?吐いてるの?……夏樹さんっ……助けてっ……  夏樹さん……  先ほど見た光景が脳裏に浮かんだ。  気になる……夏樹さんのことは信じてるけど……でもわからないことだらけで……  それに、夏樹さんが俺以外の人間にあんなに笑いかけているところなんて初めて見た……  何だかモヤッとする。  ふと……発作が起きた途端、当たり前のように夏樹に助けを求めている自分がなんだか情けなくなった。    俺、結局頼ってばっかり……これじゃあ、夏樹さんも嫌になっちゃうよね……  キュッと胸が締め付けられて、俯く雪夜の目から涙が一粒零れた。  地面につく手が小刻みに震える。  その手を他人事(ひとごと)のように眺める雪夜の頭の中は「苦しい」「夏樹さん」「助けて」という言葉で埋め尽くされていた…… ***   「ん~……わかった。じゃあこれは僕が勝手にすることだ。きみは何も悪くない。いいね?」  緑川は突然そう言うと、俯く雪夜の顔を両手で挟んで上に向け口唇を重ねてきた。   「んぅ~!?」  何!?何でっ……  緑川の舌が口唇をこじ開けようとしてくるのを感じて、思わず口唇をギュっと固く閉じた。 「ふっ……きみ案外しぶといねぇ。そういうところも嫌いじゃないけど。でもそれじゃ苦しいだけでしょ?今は流されておきなさい」  緑川が舌なめずりをすると、雪夜の鼻をギュっとつまんでグイッと顎を上に持ち上げた。  反射的に開いた雪夜の口に舌を押し込んでくる。  ぬるっとした舌の感触に、背筋がぞっとした……  いやだ……気持ち悪い……夏樹さんのキスと全然違う……夏樹さんがしてくれたらあんなに気持ちいいのに……っ!!  緑川は顔を背けようとする雪夜の顎を掴んで固定すると、暴れる雪夜の手を壁に押さえつけて荒々しくキスをした。  苦しくて、気持ち悪くて……だんだんと頭の中が真っ白になった――……  薄れゆく意識の中で、優しく頭を撫でながら 「これはきみのせいじゃないよ。俺が無理やりしただけだ。だから、起きたら忘れてしまいなさい」  と呟く声が聞こえた気がした――…… ***

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