夏樹のことは信じているが、万が一ということがないわけではない。 　雪夜と付き合う前の夏樹は女に不自由はしていなかったらしいし、その頃に関係を持っていた人だという可能性もある。 　だから、一応そうなった時のことも考えた。 　本当は……捨てないでと、奥さんや子どもがいてもいいから、身体だけの関係でもいいから傍にいさせて欲しいと泣いて喚(わめ)いて縋(すが)り付きたい。 　でも……そんなことをしても、夏樹を困らせるだけだ。 　散々面倒見てもらっておいて、いっぱい大事にしてもらったのに最後の最後でまたそんな迷惑をかけるなんてことできない。 　それに……今回のことではもはや問題は夏樹さんじゃない…… 　昨日見た光景の真実がどうであろうと、雪夜に残されている答えは一つしかない…… 「静かに身を引く、ねぇ……別れる前はみんなそう言うんだよ。キレイに終わらせたいって。でも、実際別れを告げられると、そんなに簡単に吹っ切ることは難しいよ？」 「だから、吹っ切ったりしません。俺にはあの人しかいないから。あの人以外いらない……」 　夏樹さんのことを吹っ切れるだなんて、最初から思っていない。 　吹っ切る必要はないのだ。 　ずっと心の中で夏樹さんを愛し続ければいいだけの話だもの。 　遠くから……想うだけなら迷惑にはならないでしょ？ 「やれやれ……雪夜君、きみはまだ若いんだよ。まぁ、若さゆえの盲目さっていうのもあるけど、あまり思いつめちゃいけない。これから社会に出たらもっとたくさんの人と出会うんだよ、恋も失恋もまだまだいっぱい経験していけるんだ。みんな、いろんな恋をして、大人になっていくんだから」 　緑川が雪夜の両肩を掴むと珍しく真面目な顔で諭して来た。 　 「それは普通の人の場合でしょ？俺みたいなのは、そもそもまともに恋愛できるわけがないんだもの」 「そうでもないさ。僕らみたいな人達も結構いっぱいいるよ？ただ、ほとんどの人は隠して生きてるから日常の中じゃなかなか出会えない。でも、そういう人が集まるところに行けば出会いはたくさんあるよ？」 「俺は……そういうところに行く気はないです……」 　雪夜も、そういう場所があることは知っている。 　でも……雪夜が欲しいのは一夜限りの関係なんかじゃない…… 　もちろん、そういう場所でちゃんとしたパートナーを見つけることもできるかもしれないけど…… 「だったら、なおさら僕にしておきなさい。僕はバイだけど基本的に男の方が好きだし、こう見えて恋人になったらかなり甘やかすし大事にするよ？」 　緑川は、それなりに背もあるし、顔も良いし、講義も面白いらしくて学生にも人気がある。 　夏樹さん程じゃなくてもスペックは高い方だから、彼氏としては優良物件だと思う。 　それに、緑川もモテるから経験豊富だし、ゲイよりのバイだから男同士のことにも詳しいのだろう……でも…… 「でも、俺、先生のこと全然そういう対象として見ることができないです。そもそも、俺がこんなに思い詰める原因になったのは先生のせいなんですけど！？」 　あの時、緑川がホテルなんかに連れて行かなきゃ…… 「え～？そういうこと言っちゃう？じゃあ、試してみる？」 「はい？」 　緑川がズイッと距離を詰めてきた。 「昨日は意識がなかったから最後まではしなかったけど……」 「昨日……俺に何をしたんですか？」 「ん？」 「最後まではしてなくても、何かしましたよね？」 　そう、俺はそれを聞くために、今日はわざわざ会いに来たんだ。 　随分と無駄話が長くなったけど、絶対に聞きださなきゃ！！ 「ん～……まぁ、ちょっと味見くらい？」 「あああ味見っ！？え……どういうことですか！？」 「気になるなら、昨日したこと再現しようか？それとも最後までしてみる？彼氏だけが全てじゃないってわからせてあげるよ？」 　緑川がニヤッと笑うと雪夜に顔を近づけてきた。 「何言って……ちょっ！！先生っ！？」 　床に座って作業をしていた雪夜は、あっという間に押し倒されて、緑川に組み敷かれた。 「先生っ！！冗談も程々にしてください！！」 　腕で押しのけようとするが、びくともしない。 　緑川は見た目は細くて頼りなさげなのに、意外と筋肉質で力が強かった…… 　そういえば、昨日俺を運んでくれたんだっけ……割と筋力はあるってことかっ！！ 　じゃあ、段ボール箱運ぶ時に一人で運べないっていうのは……演技だったの！？ 「冗談じゃないよ？きみが昨日のことが知りたいって言ったんじゃないか」 「口！！口で言って下さい！！」 「口がいいの？そこから行く？まぁ、順序的にはそうだね」 「は？そこからって……ぅむっ！？……ぅ～～！！！」 　気がついたら緑川に口を塞がれていた。 　必死に口唇を閉じて顔を背ける。 「きみやっぱりキス下手だよねぇ……彼氏に教えてもらってないの？」 　口を離した緑川が、呆れたように言う。 「うるさいっ！！！俺は下手ですけど、あの人はめちゃくちゃ上手いですよっ！！！先生のキスなんかよりもずっと！！」 　そんなことを言っている場合ではないのだが、自分のキスが下手なせいで夏樹まで下手だと思われるのはイヤだから、思わず反論していた。 「へぇ～？じゃあ、本気出していい？」 　緑川の目がスッと細くなって、薄く笑った―― ＊＊＊