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どんなに暗い夜だって… 6-15(雪夜)
「とりあえず、話は後でゆっくりと……ね。その前に……」
そっと口唇を離して雪夜から離れると、夏樹が表情を消して立ち上がった。
え?……あ、そういえば……先生は?
先ほどまで雪夜を押し倒していた緑川は、資料を入れた段ボール箱の山に吹っ飛ばされて呻いていた。
夏樹が首 を回 らせて緑川を視線に捉える。
その瞬間、部屋の中の空気がピリッと張りつめた気がした――
……夏樹さん?
夏樹が指の関節をポキポキ鳴らしながら、緑川に近寄った。
夏樹と緑川の体格はほとんど同じだ。夏樹は、その緑川の胸倉を掴んで軽々と持ち上げると、頬を一発殴った。
傍からは軽くペチンと当てただけのように見えたのに、緑川の鼻と口から血しぶきが飛び、そのまままた段ボール箱の方に吹っ飛んだ。
「俺の雪夜に手ぇ出してんじゃねぇよ」
夏樹が、吹っ飛んだ緑川に向かって冷たく言い放った。
「ぐっ……ゲホッ……」
「おい、お前――……?」
夏樹が、足元の緑川に何か話しかけている。
雪夜からは少し離れていたので、夏樹の声がはっきり聞こえなかった。
何?何の話してるの?
「ゲホッ……ゲホッ……ちょ……何?きみ……の……?」
緑川が血の混じった唾液を床に吐き出した。
夏樹が無言でもう一発、緑川の横腹に蹴りを入れる。
「俺の質問に答えろよ――……」
夏樹の目がすわっている。無表情で、只々穏やかな話し方なのが逆に怖い……
……夏樹さん……めちゃくちゃ怒ってる……?
付き合ってもうすぐ一年になるが、本気で怒る夏樹を見たのは初めてだ。
昔はちょっとやさぐれ気味でよくケンカもしていた……と以前話してくれたことがあるけれど……普段の夏樹は優しくて冷静で……とてもじゃないが、そんなケンカっ早いところなんて想像つかない。
それに語気が荒くてもさっき雪夜を抱きしめてくれた時はいつもの温かくて優しい夏樹だった。
でも、今の夏樹は……全然違う……
「うぐっ……カハッ!……ちょ……ちょっと待てっ!!だいたい、きみが浮気するのがいけないんだろ!?」
「……ぁ?浮気?何言ってんだ、お前……俺は浮気なんてしねぇよ。雪夜と付き合ってからは雪夜しか抱いてねぇし、雪夜しか欲しいと思わない。何も知らねぇくせに部外者が勝手なことほざくなっ!」
夏樹が浮気という言葉に眉を顰め、少しだけ声を荒げた。
「き……昨日女性といただろう?……子どもができたって……だから、僕は雪夜君を慰めてただけだよっ!!」
「昨日?……あぁ……あれか……」
緑川の言葉に、夏樹がちょっと首を傾げた。
雪夜は二人のやり取りを聞いているのが怖くて、思わず耳を塞いで俯いた。
昨日の女性について知りたい……けど、知りたくない気持ちもある……
「何でお前がそれを知ってる?」
耳を塞いでいても、微かに会話が聞こえて来る。
夏樹は、女性といたことはあっさり認めた。
でも、子どもについても、女性についても、何も言い訳をしようとはしない……
「雪夜君と……買い物してて……たまたま見かけたんだよ」
「おい待てこらっ!!なんでお前が雪夜と買い物してるんだよ、おかしいだろうがっ!」
夏樹が倒れこんでいる緑川のこめかみをガッと踏みつけて、踵 をグリグリと押し込んだ。
緑川が小さく唸って苦痛に顔を歪ませた。
ダメだ……これ以上は……っ!
「夏樹さんっ!!!……もうやめて下さいっ!!」
雪夜は思わず夏樹の背中に縋 り付いていた。
「雪夜?ちょっと離れてて」
夏樹の声の冷たさに一瞬ゾッとする。
怯 みそうになったが、奥歯を噛みしめ夏樹の服をギュっと握った。
「いやだっ!!!何で昨日先生と一緒にいたのかは俺が説明しますからっ!!!もうやめて……お願い……」
雪夜の泣きそうな声に、夏樹がハッとして動きを止めた。
***
「そうだよなっちゃん。それくらいで止めておこうか。だいたい、僕は2発までにしておけって言ったでしょ?相手は素人さんなんだから手加減しなきゃダメだよ」
突然雪夜の背後から、場違いな程に明るい声がした。
なっちゃん……?それって、もしかして、夏樹さんのこと?
後ろを振り向くと、雪夜と同じくらいの身長で童顔の男の人が立っていた。
え、誰っ!?
男は、雪夜と目が合うとニコッと人懐 っこく笑った。
その笑顔は10代でも通用しそうな可愛さだった。
「裕也 さん……拳と脚で2発ですよ。最初のは雪夜の上から払いのけただけだし、コレはちょっと踏んだだけでしょ?それにちゃんと手加減してますよ。まだ意識あるし、喋れてますから」
夏樹が、その人をチラッと見ると、ちょっと気まずそうに言い訳をした。
「こらこらっ!そんな屁理屈だれに教えてもらったの!?」
「裕也さんです」
「あちゃ~……じゃあ、仕方ないね。さてと、それじゃ後は僕に任せて。なっちゃんたちは帰っていいよ」
夏樹さんが敬語を使っているということは、夏樹さんよりも年上なんだろうけど……この人一体何者なんだろう……
「はい、それじゃ後は頼みます。雪夜、帰ろうか」
夏樹の背中に抱きついたままだった雪夜は、夏樹に腕をトントンと軽く叩かれてようやく我に返った。
夏樹は先ほどまでの殺気立った背中は何だったのかと思うくらい、すっかりいつもの夏樹に戻っていた。
「あっ!は、はい。あ、ごめんなさいっ!」
慌てて腕を離したらその勢いで後ろにふらついた。
「おっと、気をつけて」
後ろにいた裕也と呼ばれた男の人が、ふわっと片手で雪夜を受け止めた。
「あああのすみませんっ!!!ありがとうございます!!」
背も同じくらいだし、見た目も華奢なのに……
以外に力強い腕に抱きとめられて、ドギマギしてしまう。
「いえいえ。あいつのことは心配しなくていいからね。今日はなっちゃんと帰ってゆっくりするといいよ」
「あ……はい……」
自分よりも可愛い年上?によしよしと頭を撫でられ、雪夜が戸惑っていると、
「裕也さん、もういいですか?」
夏樹が雪夜の頭に乗っていた裕也の手を掴んだ。
「あらあら、やきもちですか~?随分可愛くなっちゃって~……昔は――」
「はいはい、無駄話はそこまで!!それじゃ俺はもう帰りますからね!!終わったら連絡下さい。よろしくお願いします」
夏樹が照れ隠しに少し不貞腐れた顔をして、それでもちゃんと裕也に頭を下げたのを見て、雪夜もつられてピョコンと頭を下げた――……
***
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