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どんなに暗い夜だって… 6-22(雪夜)
扉を閉めようとしたけれど、夏樹にすぐ追い付かれてしまって閉める余裕がなかった。
仕方なく、夏樹の視線を感じながら吐き出した。
雪夜は胃の中が空っぽになって、胃液しか出なくなってもずっと吐き続けた。
緑川だけじゃなく、自分自身への嫌悪感から吐き気が止まらなかった。
「大丈夫?ごめん、さっき力入れ過ぎた?」
夏樹が雪夜の背中を擦りながら申し訳なさそうに謝ってくる。
さっき雪夜を強く抱きしめたせいで嘔吐していると思ったらしい。
違う……夏樹さんは悪くないのに……
吐きすぎてクラクラする頭を何とか持ち上げて腹筋に力を入れて立ち上がると洗面所で口を漱いだ。
「すみません……夏樹さんのせいじゃないから……」
最悪だ……
他の男にキスされているところを見られた挙句、今度は嘔吐してるところを見られるなんて……
情けなくて……恥ずかしくて……
口を拭くふりをしてタオルに顔を押し当てた。
あ~もぅ……俺最低だ……
「口直しに何か飲む?」
夏樹が雪夜の頭をポンポンと撫でた。
「……いえ……大丈夫です。少しだけ……ひとりにしてもらってもいいですか……?」
雪夜の頭を撫でていた夏樹の手が、一瞬強張ったのがわかった。
夏樹の手が離れて、足音が遠ざかっていく。
自分でひとりになりたいって言ったくせに、本当にひとりにされると急に淋しくなるのは何なんだろう……自分勝手ってこういうことを言うんだろうな……
遠ざかる足音を聞きながら、そのまま洗面所に座り込んだ。
というか、腰が抜けた。
膝がガクガクして手の震えも止まらない。
今になってようやく、今日の実感が湧いて来たみたいだ。
あれくらいで腰抜かすとか……ダサすぎる……
「っ……っ……」
泣かない……泣くなっ……っだって今回のは完全に俺の自業自得だもの……
自分でやらかしておいて泣くのはおかしいだろ……!!
そう思うのに、嘔吐した時に反射的に出て来た涙に誘発されて、また涙が込み上げてくる。
いやいや、落ち着けよ俺。よく考えてみたら本当に泣くようなことなんて何もないよね?
むしろ……もうなんていうか……ここ数週間の自分の悩みや行動が全て空回りだったとか……あまりに滑稽 すぎて笑うしかないし。
「ふ……ぁはは……はは……っ」
自分のマヌケさを考えると、泣き声のかわりに自嘲気味の乾いた笑い声が出た。
「……っ!?」
急にフワッと身体が浮いたので、びっくりして思わずタオルから顔をあげた。
「なぁに?その顔。俺が雪夜をひとりになんかするわけないでしょ?」
雪夜を抱き上げた夏樹が眉を少しあげて呆れたように笑うと額と額をくっつけてきた。
さっきはたしかに遠ざかっていく足音を耳にした……一体いつの間に戻って来たの?
「ひとりにしてって言うから、一応ちょっと離れたけど、ずっとそこにいたよ?」
夏樹が、1mくらい先を目で示した。
え、そんなところに!?だって、足音はもっと遠ざかっていっているように聞こえたのに!?
雪夜が混乱していると、夏樹がふっと笑った。
「で?な~にしてるの?俺がいるのになんでひとりで泣こうとしてるの?」
雪夜が泣きそうな時、いつも夏樹が傍にいてくれる。
夏樹は、泣くなとは言わない。どんな時でも、泣きたい時は泣けと言ってくれる。
だけど……
「っ泣きません……だって……泣くようなことなんて何もなかったし……」
「ふ~ん?じゃあ何で吐いたの?今のはただ俺の料理が吐くほどまずかっただけ?それとも、やっぱり俺が力入れ過ぎたせい?」
ソファーに座った夏樹が雪夜を膝の上に乗せて、ちょっと不機嫌そうな顔をする。
「え、まずくないです!!夏樹さんの料理は美味しかったですよ!?そうじゃなくて……」
どうしよう……せっかく作ってくれたのに……夏樹さんのごはん全部吐いちゃったから、怒ってる?
「さっきのは……あの……先生に……キスされた時のことを思い出して……気持ち悪くなって……だから……っ……あの、ごはんはまずくなんか……っ……ごめんなさぃ……ひっく……」
先生にキスされたくらいで夏樹さんのごはんを吐いちゃったことが悔しくて、夏樹さんに申し訳なくて……結局泣いてしまった。
「わかってるよ。ごめん、ちょっと意地悪した。別に怒ってるわけじゃないよ」
泣き出した雪夜を見て小さくため息を吐いた夏樹が、雪夜の額を軽く指で弾いてふわっと笑った。
「いつも言ってるでしょ?建前はいいから、雪夜の本音が聞きたいって。何でもない時に涙は出ないんだよ。泣きたい時はちゃんと理由があるの。雪夜は我慢しすぎなんだよ!我慢しなくていいから全部俺にぶつけてきてよ……ね?」
「ぅ~~~……っ……ッ」
夏樹さんには敵わない……結局いつだって雪夜の涙を優しい声と笑顔で包み込んでくれる。
だから……甘やかしすぎなんだってば……
もう自分でもなんの涙なのかわからない……
緑川に襲われたこと、ホテルでは何もされていなかったこと、夏樹が浮気をしていなかったこと、ここを出て行かなくてもいいと言ってくれたこと、子どもよりも雪夜を選んでくれたこと……助けに来てくれたこと……
いろんな感情が入り混じって、溢れ出す涙と一緒にタオルに吸い込まれていく。
夏樹は、雪夜のとりとめのない涙の理由を「うんうん」とただ静かに受け止めながらずっと抱きしめてくれていた――……
***
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