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夜明けの星 1.5-8(夏樹)

「そういえば、雪夜の初恋はいつだったの?」  夏樹にしてみれば、素朴な疑問だった。   「え?」 「俺に初めて会った時、初恋の人に似てたから拾ってくれたんでしょ?」  確か出会った頃に、どうして見ず知らずの俺を拾ったのかと聞いた時、そう言っていた。  その時は何とも思わなかったけれど、雪夜を意識するようになってからは、ひそかにその初恋の相手に嫉妬していた。  俺に似てたって奴とはどういう関係だったんだろう……  名前は知らないって言ってたけど、恋をしたって思ったからには、そう思うような何かがそいつとあったってことだろうし……  ずっと気にはなっていたが、なかなか聞く機会がなくて……というか、初恋の相手に嫉妬しているなんて知られるのが恥ずかしくて、そのままになっていたのだ。  今回、雪夜の方から昔の話をすると言ってくれたので、夏樹はこの話も聞けるものだと思っていた。  だけど、雪夜の口からは一向に初恋の相手の話が出てこない。  友達と親しくなるのが怖くて距離を置いていたというような話はしてくれたのに、ゲイだと自覚するきっかけになったのであろうその初恋の相手のことは…… *** 「うわ~……そういえば俺、夏樹さんにそのこと話したんでしたっけ?そうなんですよ。夏樹さんが初恋の人に似てて……」 「その初恋の人とはどういう関係だったの?」 「……え?」 「あ~……えっと、その人を好きだって思った理由っていうか、何かがあったのかな~って」 「あぁ、それは……」  照れくさそうに笑っていた雪夜の表情が一瞬固まった後、ゆっくりと笑みが消えていった。  口元に手を当てて困惑した顔で夏樹を見つめて来る。 「それは……あれ……?初恋……いつ会ったんだろう……?」 「雪夜?」 「え、待って下さいね!?確かに俺、夏樹さんを見た時に、初恋の人に似てるって……思って……だけど、初恋の人……いつどこで……会ったんだろう……」  雪夜が眉間に皺を寄せて必死に思い出そうとする。  初恋の相手は特別なんだと誰かが言っていた気がする。  何人と付き合おうと、初恋の相手のことだけは忘れないと。  きっと雪夜もそうだ。  現に、俺を見た瞬間、初恋の人に似ていると思ったくらいなのだから。  それなのに、初恋の人についての詳しいことは全然覚えていない……?  待てよ……もしかして……っ!?  裕也の情報によれば、雪夜の記憶は何回か上書きされているらしい。  部分的にでも本当の記憶を思い出したり、その兆候が見られるようなことがある度に上書きして塗り替えられているということだった。  ということは、初恋の相手と出会った後にも何かトラブルが起きて記憶が上書きされて、そのせいで初恋の相手の記憶が消えている可能性もある。  だって雪夜は初恋が何歳の頃だったかもわからないのだから……  だとしたら、これはマズイっ!! 「雪夜、思い出せないなら無理に思い出すことないよ!」  夏樹は慌てて雪夜の思考を遮った。 「え?でも……あの、俺嘘じゃないんですよ!?本当に……夏樹さんに会った時――」 「うん、わかってるよ。そんなのわざわざ嘘吐くようなことじゃないでしょ?大丈夫。嘘だなんて思ってないよ」 「あの……俺……似てるって……なん……っ……ひゅっ……っぁ!?」  夏樹の顔を見ているのに、目の前にいる夏樹など見えていないかのように、雪夜の瞳が遠くを見ていた。  夏樹がいくら呼びかけても声が届かない。  雪夜の呼吸がどんどん乱れていくのがわかる。 「雪夜!!お願いだからこっち見て!!俺を見て!!」  今発作が起きるのはダメだっ!  雪夜が記憶に疑問を持っている状態で発作が起きれば、思い出してしまうかもしれない――    まだ早いっ!  夏樹は、雪夜の記憶について、それがどんなものでも、いつかは雪夜自身が受け止めて乗り越えるべきものだと思っている。  もちろん、雪夜にとっては酷な内容なので、雪夜ひとりでどうにか出来るとは思っていないし、させるつもりもない。  だけど、そのためには……まだ情報が足りない。夏樹には雪夜をフォローするだけの態勢がまだ整っていない。  中途半端な状態では、雪夜を守りきれない……!  こんな状態で雪夜が思い出せば、雪夜の家族に引き渡さざるを得なくなる……  そうなればきっとまた――…… 「雪夜っ!」  夏樹は起き上がって雪夜を抱きしめた。  いつも発作が起きそうになった時にしているように落ち着かせる。 「大丈夫だから……俺がついてるよ」 「――ぅっ……っ……」 「落ち着いて、ゆっくり呼吸しようか、ね?怖くないよ、俺がいるでしょ?」 「なつ……さ……ん?」 「うん、大丈夫だよ。ここにいる……何も思い出さなくていいからね」 「……っん……ケホッ……っ――」 ***  ――呼吸が落ち着いて、夏樹にしがみついていた手から力が抜けても、抱きしめたまま背中を軽くトントンと撫で続けた。  夏樹にもたれかかってきた雪夜から寝息が聞こえてきて、ようやく少し肩の力を抜いた。  力を抜いた途端に自分の心臓の音がうるさいくらいに頭に響いて、雪夜を抱きしめる手が震えた。  正直焦った……  今までも何回も発作は見て来たけれど、こんなに雪夜の発作が怖いと思ったことはない。  夏樹が初恋の人に似ているということは雪夜が言っていたことだ。  雪夜が普通に口にしていたので、まさかそれが上書きされる前の記憶だとは思わなかった。  詳しいことを忘れているということは、記憶が戻るきっかけになった出来事に初恋の相手が何らかの形で関わっているのかもしれない。  上書きされてもその人のということだけは覚えていたということは、その人のことがよほど強く記憶に残っているということだ……  だが裕也の情報には『初恋の相手』についてのものはなかった。  何が記憶のトリガーになっているのかわからない。  数回上書きしているということは、他にもトリガーになり得る言動があるということだ。  裕也さんに任せておけば大丈夫だとは思うけど、愛ちゃんにも頼んでおくか……  とにかく今は一刻も早く情報を集めたい。    夏樹は雪夜を抱きしめたまま携帯に手を伸ばした―― ***

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