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夜明けの星 1.5-9(夏樹)

 翌日、雪夜は案の定、不安定になった。 「――そういうことなんで、在宅でお願いします」 「へいへい。雪ちゃんは大丈夫なのか?」 「一応……今のところはそれらしい兆候は見られないです……ただ、昨日のことがあるのでしばらく様子を見ようかと」 「そうだな。まぁ、そういうことならあまり目を離さない方がいいな」 「はい……――っ!?」  夏樹が浩二と電話をしていると、背中に雪夜が抱きついてきて「むぅ~~~……」と顔を擦り付けてきた。 「なんだ?どうかしたか?」 「あ、いや。何でもないです。それじゃよろしくお願いしますね」 「おう」  急いで電話を切ると、背中から雪夜を引きはがした。  夏樹が電話をかけ始めた時にはまだ布団に潜り込んでいたのだが、ようやく動く気になったらしい。  いや、というよりは…… 「おはよう雪夜。おいで」  身体を捻って背後にいる雪夜を抱き上げ膝の上に乗せる。   「心配しなくても、どこにも行かないから大丈夫だよ。今日はずっと傍にいるからね」 「お仕事……」 「お仕事はお休みしてもいいよ~って浩二さんが言ってくれたから大丈夫」 「ごめんなさい……」 「俺が雪夜と一緒にいたいんだよ。とりあえず、何か食べようか。朝御飯食べられる?」 「いらない……」 「じゃあ、俺の朝御飯に付き合って?ね?」  雪夜は不安定になると、基本的に動かない。  お腹も空かないのか、食事どころか水分も摂ろうとしない。  放っておくと部屋の隅で膝を抱えてずっと泣いているか、夏樹にしがみついて離れないかのどちらかだ。  夏樹としては、しがみついて離れない方がいい。  その方が夏樹も安心する。  拒否られて触れさせても貰えない方が、辛い。  今のところ、拒否られることはほぼ無いのが救いだ。 ***  雪夜を抱っこしたまま料理するのも、もう慣れた。  普段のような手の込んだものは作れないけれど、意外と片手でも作れるものだ。  多少不格好だけど、自分が食べるだけだしな。  それに、雪夜も完全に沈みきっていなければ……   「雪夜、お皿取って」  夏樹に抱きついていた雪夜が、少し身体を起こして食器棚のお皿に手を伸ばす。 「そのままお皿持っててね」  雪夜の持つお皿にトーストを乗せた。  ベーコンと卵とチーズを乗せて焼いただけの簡単なものだけれど、雪夜のお気に入りだ。   「――はい、雪夜。あ~ん……」 「あ~……ん?」  いらないと言いながらも、条件反射なのか夏樹が食べさせると口を開ける。  少しでも食べてくれるならそれでいい。 「おいしい?」 「……おいしい」 「そかそか。良かった」  夏樹が笑いかけると、雪夜が両手で夏樹の顔をムニッと挟んだ。 「ん?どした?」 「……」  夏樹の問いかけには答えず、無言でひたすら顔を撫でまわして来る。  不安定になっている時の雪夜の謎行動はもう慣れたけれど、とりあえず食べ終わってからにして欲しいなぁ~……   「あの、雪夜?先に食べ――」 「だいすき」 「んん!?」  不意に雪夜がふわっと笑った。  不安定になっている時はほとんど無表情なので、少し驚いた。 「ありがとう。俺も大好きだよ!」 「トースト」  喜んで雪夜にキスをしようとした夏樹に、雪夜がポツリと続けて呟いた。  口唇が触れる直前で思わず一瞬固まったが、そのまま軽く口付けた。 「え、トースト?ちょっと待ってね、はい」    口を開けて待っている雪夜にトーストをもう一口切り分けて放り込む。 「あれ?……待って、大好きってコレのこと!?」 「……ん!」  口いっぱいのトーストをもぐもぐしている雪夜が、満足そうに頷いた。 「俺のことじゃないのぉ~!?」  ガックリと項垂れる夏樹の頭を雪夜がよしよしと撫でてくる。  いや、撫でてくれるのは嬉しいんだけどね、そうじゃなくて……  俺、トーストに負けたの?  結局、雪夜はトーストを半分以上食べた。  まぁ……食欲があるのはいいことだ。  夏樹は雪夜の残りと、バターロールとサラダを食べた。 ***  機嫌が良かったのは食べている時だけで、食べ終わるとまたグズグズに戻る。  不安定な雪夜の感情にいちいち振り回されていたら、こちらまで引きずられてイライラしてしまうが、対処法さえわかっていればどうということはない。  機嫌が良かろうがグズグズだろうが、不安定な時はひたすら抱っこちゃんで甘やかしまくるのが一番だ。  雪夜に甘えてもらえて夏樹自身も癒されるので、一石二鳥だし。  ――その日から二日間、夏樹はグズグズだった雪夜をデロッデロに甘やかしまくった。  三日目には雪夜が正気に戻ったので、とりあえず佐々木に軽く事情を話して雪夜を任せた。  佐々木たちと笑いながら大学の構内に消えていく雪夜の背中を見送り、若干淋しさを感じながら職場に向かった。  俺に似ているという初恋の相手なんて忘れてしまえばいい……  雪夜の記憶(こころ)を占める男は俺だけでいい……    初恋の相手は特別……  夏樹にとっての初恋は、雪夜だ。  初恋だからかどうかはわからないけれど、確かに夏樹にとって雪夜は特別だ。  夏樹のと雪夜のは違う。  雪夜が今好きなのは夏樹だ。  それはわかっていても……上書きされても忘れられなかった初恋の相手はそれだけ特別だということだ。  雪夜の特別(はつこい)も俺だったら良かったのに……    会ったこともない初恋の相手に負けていることが悔しくて、嫉妬している自分が情けなくて……むしゃくしゃしたのでその日は浩二と軽くスパーリングをして発散した――…… *** 「出社するなり俺の部屋(社長室)に来て、無言で殴りかかってくるのはスパーリングとは言わねぇよバカッ!!」by 浩二 ***

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