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夜明けの星 2-21(夏樹)

――で、雪ちゃんの記憶だけど……今回ので思い出したとしたら、これかな」  夏樹は裕也から資料を受け取った。  頼んであった雪夜の過去についての資料だ。  雪夜はまだ眠ったままだが、念のために雪夜には聞こえないよう小声で話す。 「もしかしたら最初の記憶を思い出した可能性はあるけど、こっちの新しく手に入れた情報にあるように、小学生の頃にプールで溺れたっていう記憶の可能性もあるよね」 「溺れたこともあったんですか……」 「うん、溺れたショックで最初の記憶を思い出しかけちゃったせいで記憶を上書きされたみたいだから、本人には溺れた記憶はなかっただろうけどね」  雪夜から、過去に溺れたことや水が怖いというような話は聞いたことがない。  ただ、今考えてみると夏休み中、プールや海に行きたいという話が少しも出なかったので、無意識に避けているのかもしれない。  確かに、今回のことで思い出したならこっちの記憶の可能性が高いな。 「思い出したのがこっちの記憶なら心配なさそう?」  夏樹は横から資料を覗き込んでいた斎を見た。 「どうだろうなぁ、プールで溺れた記憶を取り戻したせいで、芋づる式に最初の方まで思い出す可能性がないわけじゃない。それに……ただ溺れた時のことを思い出しただけだとしても、それをわざわざお前に言うか?俺は雪ちゃんがお前に「思い出した」って言ったっていうのが気になるんだよな……」  言われてみればそうだ。溺れたことを思い出しただけなら、あんなタイミングでわざわざ夏樹に伝えなくてもいいはずだ……とすればやっぱり…… 「まぁ、あの時は意識が混濁してただろうし……次に目を覚ました時には、何かを思い出したってこと自体、忘れてしまっていればいいんだけどな……」  斎が雪夜の頭を撫でながら呟いた。 「そうですね……忘れてくれていればいいんですけど……」  それか、俺の聞き間違いであってくれれば……いいんだけど。  というか、今回のことが新たにトラウマになる可能性だって十分にあり得る……  いや、ならない方がおかしいだろ。   「あ~もぅ!くそっ!俺がトラウマ増やしてどうすんだよっ……」  夏樹が自分にイラついて髪をかき乱していると、斎がすっと手を伸ばしてきて額を指で弾いた。  軽く優雅な動きで放たれたデコピンだったが……  真っ正直に言います。  くっっっそ痛いっっ!!! 「~~~~っ!?」  夏樹はあまりの痛さに声も出せずに悶絶した。 「い、斎さんっ!?俺額に穴開いてない!?頭蓋骨貫通してない!?」 「デコピンくらいで穴が開くわけねぇだろ。大袈裟なやつだなぁ」 「いや、デコピンの威力じゃないですってっ!!」 「バカな考えも吹っ飛ぶだろ?」 「……バカな考えって?」  ――雪夜は俺と一緒にいない方がいいのかも……  一瞬()ぎった考えを即行見抜かれたことが気まずい。  斎には以前、もしそう思ってしまうようなことが起きたとしても、それでも傍にいたいと思ったなら迷うなと言われたことがあるからだ。  もちろん傍にいたい。  手放すつもりはないし、雪夜の過去も全部受け止める覚悟ならもうとっくに決まってる。  だけど……やっぱり今回みたいなことがあれば考えずにはいられない……  迷うなと言われても……何よりも大切だから迷ってしまうこともある――  いや、でも……そうだよな。  斎さんが言う通り、バカな考えだ。  俺がこんなことで揺らいでる場合じゃないよな。  斎は、百面相をしている夏樹にちょっと苦笑して、あえてそれ以上は触れずに話を変えた。   「ま、心配しなくてもトラウマにはなんねぇよ」  若干涙目で額を擦る夏樹に斎が断言した。 「……なんで?」 「救いがあるから」 「救い?」 「お前がすぐに助けにいっただろ?あのな、怖い思いをしたことはしばらく残るかもしれないけど、例えばもし夢に見たとしても必ずすぐにお前が助けに来るってわかってるのと、いくら叫んでも助けが来ないのとじゃ全然違うんだよ」 「そ……れはそうかもしれないけど……」 「隣人トラブルの時と緑川の時じゃ、その後の雪ちゃんの様子がだいぶ違うかっただろ?」  確かに、隣人トラブルの後はかなり長い間不安定になっていたのに緑川の時はほとんど不安定にならなかった…… 「違いはなんだった?」  違い……?何だろう……この流れで言えば…… 「……俺が助けにいったかどうか?」 「そういうこと。雪ちゃんにとってはが重要なんだよ。わかったら終わったことを後悔するよりも現実(いま)を見ろ。雪ちゃんが今一番頼りにしてんのは、傍にいて欲しいって思ってるのは誰だよ?夢の中でも助けを求めるのは誰だ?お前は、自分で思ってる以上に雪ちゃんの支えになってるよ。雪ちゃんの中で自分の存在がそれだけでかくなってるってことをもっと自覚しろ」  斎がクイッと顎で雪夜を指した。 *** 「……つ……さ……」  雪夜の声に気付いて、急いでベッドから下りて雪夜の様子を見に行く。 「雪夜?」  起きたのかと思ったが、寝言だったらしい。  少しうなされているのか、眉間に皺が寄っていた。  雪夜と同棲を始めてから、雪夜がうなされずにぐっすりと眠る姿を見たのは数える程しかない。  夢も見ないくらい疲れさせて意識を飛ばしてやらないと、最低でも一回はうなされて目が覚める。  それでも、俺と一緒にいれば眠れるからと睡眠薬は飲まなくなった。    夏樹は斎に言われた言葉の意味を考えながら雪夜の手を握った。  閉じた瞼の端に溜まっている涙を指で拭って、顔を優しく撫でる。  俺は……ちゃんと雪夜の支えになれてる? 「雪夜、大丈夫。俺はここにいるよ。もう怖くないよ」  いつものように、抱きしめて耳元で優しく囁いた。 「……っ」  夏樹の声が届いたのか、うなされていた雪夜の顔が少しやわらいだ。 「大丈夫だよ……この手は離さないから……何があっても俺が助けるから……」  例え今回みたいに手をすり抜けてしまっても……海の底だろうと、山の中だろうと、どこまででも探しに行くよ。  絶対に独りになんかしない……!  もし最初の記憶を思い出したのだとしても……俺が傍にいる。  雪夜が闇の中に囚われたとしたら、俺が迎えに行くよ。  だけど……  雪夜の手を両手で握って祈るように自分の額にくっつけた。  できることなら辛い記憶なんて思い出さない方がいい。  どうか……目が覚めた時には何かを思い出したことなんか忘れていますように――…… ***

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