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夜明けの星 2-37(雪夜)
「雪ちゃん、おいで~!」
「はいはーい!何ですか~?」
雪夜は、斎の愛妻、菜穂子 に呼ばれてキッチンに入った。
***
――夏樹にキスをせがんで自爆してからというもの、ひたすら大人しく過ごしていたせいか雪夜の体調はかなり良くなっていた。
まだ激しい運動は出来ないけれど、転ぶ回数は減ったし、咳をしても以前程は身体が痛まない。
自爆したすぐ後は羞恥心と自己嫌悪の沼にハマり込んだけれど、佐々木の家 もないので夏樹の傍にいるしかなく、いろいろと開き直って乗り切った。
それ以降は不安定になる回数も減っている。(と思う)
そのため、夏樹もお兄さんたちに雪夜を任せて職場に顔を出しに行くようになった。
と言っても、まだ一回行っただけだけど。
基本的にはリモートで在宅の仕事にしてもらっているが、どうしても職場に行く必要のある仕事がある時は出て行くことになったらしい。
そして今日、急にまさかの出張が入った。
その連絡が来たのは昨夜だ。
一泊だけだが、今夜は夏樹は帰ってこない……
運の悪いことにお兄さんたちも仕事が重なってしまったので、昼間ひとりになってしまう雪夜のために急遽菜穂子が来てくれた。
危うく雪夜がひとりになるところだったので、社長の浩二は「まだ働き方を変えたばかりなのに何考えてんですか!」「お前は仕事の調整が下手すぎる!」「もうちょっと俺らのスケジュールとのバランスを考えろ!」「っつーか、ナツに出張行かせんなよ!」と夏樹や他のお兄さんたちからこっぴどく叱られていた。
雪夜はもう昼の間くらいひとりでいられると言ったのだが、夏樹をはじめ、全員から却下されてしまった。
今夜は仕事が終わり次第、斎と裕也も来てくれるらしい。
***
「さて雪ちゃん!明日は何の日でしょうか?」
「え?え~と……」
キッチンに入って来た雪夜に、菜穂子がニコニコしながら聞いてきた。
何の日?何かあったっけ……え~と、そもそも今日って何月何日だ……?
ここに来てから曜日の感覚がない。
いや、入院中からか。
別荘にはカレンダーがないし、そもそも不安定になっている時は時間の感覚も曖昧なので気がついたら数日経っていたというのもざらだ……
携帯も佐々木たちと連絡を取る時以外はほとんど触らないので、日付を見る機会があまりない。
とりあえず、たしか2月になったはず……
「2月の~……」
「14日だよ~!」
頭が転がっていきそうな程に首を傾げている雪夜を見て、菜穂子が苦笑しながら正解を発表した。
「14日?」
「そうです。ということは?」
「ということは……あっ!」
2月14日と言えば……
「わかりました!煮干しの日ですね!!」
「そうそう煮干しの……ってマニアックなのが来たな~。それもそうなんだけど、もっと甘い方!」
「甘い?……あ、そうか。バレンタインデーだ!」
「せいかーい!というわけで、今からバレンタイン用のカップケーキ焼くんだけど、雪ちゃんもナツ君に渡すでしょ?」
「え、でも俺……作ったことない……」
料理だってまだ練習途中で、しかもしばらく作ってない……
「だいじょーぶ!そんな雪ちゃんでも簡単に作れちゃう素敵な商品がこちら!卵やバターを混ぜて焼くだけであっという間に美味しいカップケーキができるという魔法の粉です!手抜きじゃないよ!?」
菜穂子が出して来たのは、市販のカップケーキの粉とやらが入った箱だった。
「最近はお手軽に美味しいものが作れるようになっててスゴイよね~。私もお菓子作りは得意じゃないけど、これなら、焼き時間さえ間違えなきゃ大抵食べられるものが出来ます!!」
安心できるようなできないような微妙な言葉に思わず笑ってしまった。
菜穂子は、化粧っ気もないし、お洒落もほとんどしない。
雪夜が菜穂子に初めて会ったのは、夏樹と二人、斎の家に食事に誘われた時だった。
美形の相手は美形だと勝手に想像していた雪夜は、菜穂子のあまりの平凡さにちょっと拍子抜けしてしまった。(だって、美男美女のカップルってよく言うから……なんとなくそういうイメージが……)
菜穂子の方が斎よりも年下らしいが、スッピンだし髪も染めていないのでちらほら白髪が混じっているせいか斎よりも年上に見えた。
でも、話してみると、そういうのが気にならなくなって不思議と若く見えて来る。
ふんわりとした笑顔とやわらかい喋り方にどこか心地よい独特の雰囲気があって、一緒にいると自然と安心できるので、雪夜はすぐに菜穂子に懐いた。
「――で、バレンタインだから、チョコ入れてチョコ味にしようか。後トッピングもいろいろあるから、好きなの選んでね~!」
「はーい!」
「よし、それじゃ……まずは手を洗いましょうね!」
「はい!――」
雪夜は菜穂子に教えて貰いながら、初めてのお菓子作りに挑戦することになった。
美味しく出来ますように!!――
***
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