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夜明けの星 2-44(雪夜)
その日は、朝から何となくみんながそわそわしているように感じた。
「斎さんたち、何か忙しそうですね……」
雪夜は夏樹と朝ごはんを食べながら、すでに食べ終わって別荘の中を忙 しなく動き回っている斎と菜穂子を眺めていた。
「ん?まぁね。雪夜体調はどう?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ、今日はハイキング行こうか」
「はーい!」
――別荘に来てから数か月が過ぎた。
別荘の周辺は落葉樹が多いらしく、ここに来た頃は寒々とした景色に囲まれていたけれど、少しずつ木々が色づき、今では鮮やかな春色に染まっている。
雪夜は天気の良い日には別荘から出て山頂の少し手前にある広場までハイキングに行けるほどに回復していた。
以前、夏樹と星を見たのがその広場だ。
別荘からだとだいたい大人の足で片道1時間程の道のりだが、雪夜の足だとまだ2時間近くかかる。
それでも早くなった方で、初めて行った時は上まで行けなくて途中で断念した。
その時は自分でも体力と筋力の低下を嫌と言うほど痛感して、かなりショックを受けた。
山道を雪夜の歩調に合わせるのは逆に疲れると思うのだが、夏樹もお兄さんたちもいつも何も言わずに合わせてくれている。
「それじゃ、行ってきまーす!」
「おぅ、気を付けてな」
「行ってらっしゃい!」
斎たちに見送られて、夏樹と一緒に別荘を出た。
「今日は斎さんたちは行かないんですか?」
「うん、斎さんたちは用事があるんだってさ」
「そうですか……今日ってホワイトデーですか?」
「え、違うけど、何で?」
「あ、いや……バレンタインにみんな避難してきてたから、ホワイトデーも、避難してくるのかな~って……」
「はは、さすがにホワイトデーは避難しないよ。っていうか、ホワイトデーはもう過ぎたよ。俺もちゃんとお返ししたでしょ?」
「え?あ、そうでした……」
「ひどいな~。忘れちゃったの?」
「あ、違いますよ!覚えてます!……あの、何で斎さんたちが忙しそうなのかな~って思って……他に思いつかなかったから……」
「斎さんたちのことは気にしなくていいよ。それより、考え事しながら歩いてると危ないよ?」
「はーい」
ん~……まぁいいや。考えてもわかんないし、夏樹さんが気にするなってことは俺は関係ないってことかな。
夏樹と他愛もない話をしながら、ゆっくりと山道を歩いて行く。
新芽が出て木々が柔らかい緑色に包まれているのを見ると、なんとなく心もウキウキしてくる。
「そういえば、桜もだいぶ咲きましたね!」
「うん、そうだね。もうちょっと行ったところで休憩する?」
「はい!」
半分ほど登ったあたりに、少し開けた場所がある。
頂上までいけばもちろん周囲を見渡せるのだが、この場所でも十分いい景色が見られる。
最初の頃は、ここまで来るのも大変だった。
今はこの場所が水分補給をする目安になっている。
回復してきたとは言え、相変わらず喉は弱い。
この時期は花粉や黄砂が飛んでいるので、まだマスクはかかせない。
マスクをしてのハイキングは思った以上に息苦しいので、ちょこちょこ水分補給をしていかないとすぐにへばってしまう。
「具合悪くなってない?」
「大丈夫ですよ。今日は調子いいです!」
「そっか、なら良かった」
夏樹はいつも雪夜の体調を気にかけてくれるが、今日は何だかいつも以上に……
どうしたんだろう?俺、もしかして夜中……不安定になってた?
寝る前は別にいつも通りだったと思うんだけどな~……
***
「せ~の!到着~!」
雪夜は両手を上に挙げて両足でぴょんと飛んで広場に足を着いた。
「今日はどれくらいかかりました?」
くるりと回って雪夜の後ろで笑っている夏樹を見る。
「ん~と……1時間~……35分かな」
「おお!新記録~!」
「今日はいつもよりペースが早かったね。無理してない?」
「はい!元気です!」
「よし、おいで、向こうで休もう」
雪夜が夏樹に向かってピースをすると、夏樹が苦笑しながら雪夜の頭を撫でて腰に手を回した。
「わぁ~……いい景色ですね!」
「うん」
周囲の山肌も所々薄桃色に染まっているのが見えた。
「あ、鶯 が鳴いてる!でも鶯ってどこにいるのか全然わからないんですよね~」
「ん?そこにいるよ?」
「え?」
夏樹の指差す方を見ると、すぐ近くの木に鳥が一羽とまっていた。
でも……
「え……あれ?鶯って緑色じゃないんですか?」
思ってたのと違う……何かこの鳥、緑色っていうよりは……茶色っぽい気がするんだけど?
「あ~……たぶん雪夜が言ってるのはメジロの方じゃない?」
「へ?メジロ?」
「黄緑色っぽくて目の周りが白いやつ。え~と、コレ」
夏樹がメジロを検索して見せてくれた。
「あ、そうです!」
「同じ時期に同じような場所で見かけるから、勘違いしてる人も多いみたいだね」
「え~そうなんですか?じゃあ俺……ずっとメジロを鶯だと思ってたのか~……」
「一つ賢くなったね」
「はい!夏樹さんって何でも知ってますね。スゴイ!」
「そう?ありがと。でも、何でもってわけじゃないけどね」
「夏樹さんでもわからないことってあるんですか?」
「いっぱいあるよ。特に雪夜のことは――……」
「わっぷ!」
急に強い風が吹いて夏樹の声がかき消されてしまった。
「ぅ~……スゴイ風でしたね」
「うん、凄かったね。目にゴミ入らなかった?」
「はい、なんとか……あ、髪が……ぷっ、あはは」
「雪夜も……っ、はは」
あまりの突風に二人とも髪がボサボサになって思わず顔を見合わせて笑った。
「あ、すみません、風で聞こえなくて……さっき何て言ったんですか?」
「ん?あぁ……俺もわからないことだらけだよって言ったんだよ。さてと、それじゃ下りるか。今からだとお昼ご飯に間に合うよ」
「わーい、お昼ご飯!お腹空いた!」
「食欲があるのは良いけど、まずは別荘まで帰らないとね」
「そうでした。早く帰りましょう!」
「雪夜、待って!あんまり焦ると転ぶよ!――」
なんだか話をはぐらかされたような気がするけれど、それよりもお昼ご飯の方に気をとられてしまって、この時感じた僅かな違和感などすぐに忘れてしまった。
何か俺のことを言ってたように思うけど……聞き間違いかな?
それよりもご飯ご飯~!
***
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