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夜明けの星 3-34(夏樹)
「さて……いつまで固まってるつもりですか?」
「っ、お、おま……お前一体何をっ!?」
夏樹が声をかけると、ようやく達也が口を開いた。
「そうだっ!雪夜は大丈夫なのか!?おい、慎也!」
「っえ、あ、はい!ちょっと見せて!」
達也に背中を叩かれて、慎也が慌てて雪夜を覗き込む。
たしか雪夜が、達也は外科で慎也は内科と言っていたっけ……
だからさっきから慎也に任せているのか。
「ようやく眠ったんだから、起こさないで下さいね」
「わ、わかってるよ!……――」
「慎也、どうだ?」
「大丈夫です。呼吸も落ち着いてるし、よく眠っているみたいです」
「そうか」
達也と慎也がふぅっと安堵の息を吐いた。
「よし、それじゃあ今のうちに病院へ……」
「あんたはバカか?」
達也の言葉に呆れて、思わず心の声が漏れた。
あ……まぁ今更か。
一応、年上だし、雪夜の兄だし……口調くらいは気を付けるつもりだったんだけど……
「なんだと!?」
「さっきの雪夜の言葉を聞いてなかったのか?雪夜はずっと、俺と帰りたいと言ってたんだよっ!それなのに……目を覚ました時に自分が病院にいると気が付いたら、雪夜がどうなるかくらいわかるだろう!?」
「……それは、寝ている間に安定剤を打てば……」
「ふざけるなっ!そのまま雪夜をベッドに縛り付けてでもおくつもりか!?」
カッとなった夏樹は、雪夜を起こさないように声を抑えながら、達也を怒鳴りつけた。
「わ……私はそんなことはしない!雪夜が落ち着けば……」
夏樹の迫力に押されながらも、達也がもごもごと反論する。
「いつ落ち着くんだ?病院にいる間、安定剤がきれれば雪夜はずっとさっきの調子だぞ?」
「そ……そうかもしれないが……じゃあ他にどうしろと……?」
達也が悔しそうに口唇を噛みしめた。
「簡単なことだ。何もしなくていい。見ての通り、雪夜はもう落ち着いている。このまま俺と家に帰れば、目を覚ました雪夜はまた今まで通り、大学に行って友達と勉強をして、遊んで、食べて、笑うことができる」
「……そう……か……」
夏樹の言葉に、拍子抜けしたような顔で、達也が呟いた。
***
雪夜の話では二人とも優秀な医者だと聞いていたが、その割にはパニック状態の雪夜に、やけに狼狽 えていた。……いや、むしろ怯えているような……
夏樹は、顔には出さなかったが、内心、兄たちの言動に困惑していた。
「とりあえず、座りませんか?」
達也たちが黙ったところで、夏樹は深く息を吸って気持ちを落ち着けると、雪夜を抱っこしたまま椅子に座り、達也たちにも座るように促した。
話合いの場で熱くなれば、不利になるだけだ。
達也と慎也が顔を見合わせて、苦虫を嚙み潰したような顔で椅子に座る。
「あ~……コホン。随分慣れている様子だったが……?」
達也が冷めてしまった紅茶を一口飲んで、仕切り直すように一つ咳をした。
「そりゃまぁ、恋人ですから」
「いや、そうじゃなくて、雪くんの対処についてだよ!パニックを起こしてる人間に対して、あんな無茶苦茶なやり方……普通は危険だよ!?」
慎也が、先ほどまでオロオロしていたとは思えないくらい真面目に説教をしてきた。
「あぁ……俺だって、雪夜以外にはあんなことしませんよ」
雪夜の発作時の対処方法については、雪夜のかかりつけの心療内科医にも、雪夜以外には通用しないだろうと言われている。
別に、雪夜に通用すればそれでいい。
雪夜だって、俺がするから通用するのであって、同じ方法を他の人間にされても通用しない。
「雪夜は、よくああいった発作を起こすのか?」
「えぇ、まぁ……時々ですが。トラウマがあるのはご存知でしょう?」
「……あぁ、知っている」
「たいていは、トラウマに引っかかるようなことがある時です」
「いつも、ああやって……その、キスで雪夜を落ち着かせているのか?」
「初期段階なら、言葉だけでも落ち着かせられますよ。過呼吸を起こしている時も、さっきのようなパニックになっている時も……」
「過呼吸もか……雪夜はその……発作を起こした時、いや、起こした後でもいいが、何か様子がおかしかったり、変なことを口走ったりはしていないか?」
達也が、言葉を濁しながら探りを入れてきた。
「変なこと?」
恐らく過去の記憶のことを言っているのだろうが、あえてとぼけてみた。
「いや、お前が変だと思わなければ……別にいいんだが……すまない、今の言葉は気にしないでくれ」
達也は、夏樹が何も気づいていないと勘違いしたらしく、慌てて口をつぐんだ。
「大学に入ってからは、発作は起きてないと思っていたのに……父さんからは何も連絡がなかったし……これじゃあ、せっかくあの人から離したのに意味ないじゃないかっ」
「おい、慎也っ!」
「え?あっ……ごめんなさい!」
テーブルに肘をついて頭を抱えていた慎也のひとり言を、達也がたしなめた。
「んん゛、雪夜とは、付き合ってどれくらいなんだ?」
「1年~……あぁ、9月で2年になりますね」
夏樹は、慎也のひとり言は聞こえなかったフリをして、質問に答えた。
あと3か月ほどで2年になるのか……最初の半年間は付き合っていたと言っていいのかわからないけれど……
「2年か……ん?なぜ雪夜が病院が苦手だと知っているんだ?それに、雪夜はひとり暮らしをしていたはずだが、いつから同棲を?」
冷静になった達也が、夏樹に不審な目を向けた。
あ~……そこに気がついたか。
「……そりゃまぁ……付き合っている間にいろいろあったので」
「いろいろとは何だ?雪夜を病院に連れて行ったことがあるのか?ケガか?病気か?」
「それは……――」
夏樹は船の事故のことは伏せつつ、付き合ってからの雪夜の状態や、同棲をすることになった経緯を簡単に説明した。
話を聞いた達也と慎也は、険しい表情で黙り込むと、しばし宙を見つめて唸った。
「達也兄さん……これは……」
「わかっている。だが、今は……」
達也たちは二人でこそこそと話をした後、夏樹に向き直った。
「わかった、今日のところは雪夜のことはお前に任せる。私たちはしばらく日本にいる予定だ。用事が終われば休暇になるから、その時にまた雪夜に連絡する。今日はケーキしか食べられなかったからな。次は食事でも……」
「俺も一緒でいいなら」
「なんでお前まで……」
「なんでって、人さらいのような真似をして雪夜を連れ去ったり、雪夜に余計なことを言ってパニック状態にさせたりする人たちがいるからですよ」
夏樹はそう言うと、達也と慎也を睨みつけた。
本当はあまり会わせたくない。
だが、雪夜にとっては兄だからな……
「ぅ……それについては、悪かったと思っている!だが、私たちは兄弟だぞ!?別に会うくらいいいだろう!?」
「ぼ、僕は雪くんをパニック状態にさせたかったわけじゃないよっ!!心配して言っただけで……」
慎也がちょっと泣きそうに表情を崩した。
「それでも……雪夜にとっては、あなたの言葉がショックだったんですよ。雪夜はあなたたちのことを自慢の兄たちだと思っています。だから、雪夜を失望させるようなことはしないで頂きたい」
「わかっている……」
「それでは、今日のところは失礼します」
夏樹は雪夜を抱き上げると、店の人が箱に入れてくれたケーキを持って店を出た。
***
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