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夜明けの星 3.5-2(夏樹)
情報は膨大で、まとめの報告資料は少なかった。
それだけフェイクが多かったということなのだろう。
雪夜の過去についての情報は、主な出来事によっていくつかに分けられていた。
・生まれてから山にキャンプに行くまで。
・山でのキャンプ中に遭難して見つかるまで。
・見つかってから退院するまで。
・退院してから……
「……っんだよこれっ!!」
資料自体は、少ない。これくらいの量なら読むのにさほど時間はかからない。
仕事でも毎日膨大な資料に目を通すので、読むのは早い方だ。
それに、裕也がまとめてあるため、非常にわかりやすく、読みやすい。
はずなのに……
読めない。
自分の眼が頭が、次の文字を読み込むことを拒否しているかのように、内容が全然入って来なかった……
ようやく、病院を退院するところまで読んで、一旦休憩を入れる。
資料をテーブルに放り投げるとソファーに寝転んだ。
そこまでの資料は、たったの4枚……その4枚を読むのに、1時間以上かかった。
山での遭難話が、まさかここまで凄惨で壮絶なものだとは思わなかった。
雪夜の遭難は、事故ではなく、事件だった。それは……残酷で胸くそな……
雪夜は、山の中で迷子になって足を怪我して動けなくなり、2日間ひとりぼっちだったせいで暗闇がトラウマになっていると思い込んでいる……よくこの真実をそんな話にすり替えられたものだと、感心する――……
「……え?」
気合を入れ直して、退院後の話を読み始めた夏樹は、我が目を疑った。
今まで夏樹は、山で遭難した話。それが雪夜にとって、最大で最悪の記憶だと思っていた。
雪夜のトラウマも、暗闇が一番酷いからだ。
だが、雪夜の記憶が弄られることになったきっかけは、むしろその後にあったらしい――……
***
「――……ほら、おしぼり」
「……っす」
全て読み終えて放心している夏樹に、斎がおしぼりを渡して来た。
夏樹が読んでいる間、斎たちは店の方で飲んでいたらしい。
タイミングよく戻って来たところを見ると、店の方から夏樹の様子を窺っていたのだろう。
裕也が作成したまとめ資料。
淡々と綴られている文字の羅列は、もう過ぎたことなのだと、終わったことなのだと、夏樹に言い聞かせているようだった。
事実、もう過ぎたことだ。これらは全て、過去のこと。
だが……
「大丈夫か?」
スコッチを持った斎が、夏樹の隣に座ってポンポンと頭を撫でてきた。
「……なんなんすかコレ……」
「……今の雪ちゃんからは全然想像つかねぇよな」
「こんな……っこんなの酷すぎるでしょ……っ」
養い親が特殊な稼業 なので、裏の世界の汚い部分も、人間の醜い部分もそれなりに見てきた。
うちの組にも悲惨な子ども時代を過ごしたやつは大勢いるし、夏樹自身の子ども時代もまぁまぁ酷い方だ。
そんな俺から見ても、雪夜の過去は……
いや……雪夜が自分にとって特別な存在だから、余計にそう感じるのかもしれない。
これが、全然知らないやつの過去なら、こんな感情にはならなかったのだろうとは思う。
憤怒、悲哀、空虚感、困惑……一言で言い表せない感情の渦に、涙が止まらなかった。
斎たちは、夏樹がこうなるとわかっていたから、伝えるのを躊躇していたのだろう。
たしかに、別荘にいた頃にこれらを知らされていれば……しばらくはまともに雪夜の顔を見ることが出来なかったかもしれない……
夏樹はおしぼりを目に当てたまま、俯いた。
***
「これがフェイクならどんなにいいか……でも、ユウたちの調べだ。間違いはねぇよ」
「そうですね……」
「それに……まだわかってない部分もある。上代親子とのこともその中に入ってるな」
雪夜の話では、母親が再婚したのは雪夜が8歳頃だったと言っていた。
書類上、正式に再婚したのは、確かに雪夜が8歳の頃だ。
だが、先日雪夜の兄たちに会った時に聞いた話だと、もっと幼い頃の雪夜を知っている様子だった。
「キャンプの話も……家族で、となってますが、そもそも、雪夜の実父は、雪夜が生まれてすぐに亡くなっているんですよね?じゃあ、一体だれとキャンプに行ったのか……」
「もしかしたら、そのキャンプの時にいたのが、上代親子だった可能性はあるな」
斎が資料に目を通しながら、顎に指を当てた。
「でも、じゃあどうして雪夜の記憶から、上代親子のことを消して、すでに亡くなっている父親のことを生きていたかのように上書きしたんでしょうか?しかも、雪夜には実父がいないことを、遭難事故の後に離婚したからだと……そのせいで、雪夜は自分のせいで両親が離婚したと思い込んでます。恐らく、亡くなっていることは知らされていない……それに……この子のことも……」
雪夜の実父がキャンプ以前に亡くなっていたことは、初期の調査で裕也から知らされていた。
だから、雪夜が両親の離婚について「俺が山で迷子になったせいだ」と自分を責めているのを見ているのが辛かった。
そうじゃないんだと言ってやりたいのに、なぜそんなことを知っているのか、違うならこの記憶はなんだ?と聞かれると困るので、何も言えなかった。そんな自分が悔しくて……
「そこまでして上代親子の存在を消したのに、8歳の頃に再婚。何がしたいのかわからない……」
「そうだな……まぁ、この子については、おそらく事件の記憶とともに葬り去る必要があったからだとは思うが……」
裕也の情報だけでは、上代親子の動向に謎が多すぎる。
でも、少なくとも達也と慎也は、生粋のブラコンだ。
多少愛情表現が下手なところはあるが、雪夜のことを本気で大事な弟だと思っていることは、よく伝わって来た。
謎と言えば……
「……ところで……こいつってその後、どうなったんですか?」
「あ~……そこな。やっぱ気になるよなぁ……でも聞いたらおまえ絶対ぶち切れるぞ」
「……まさか……」
「そいつは今――……」
雪夜が巻き込まれた山での事件のその後については、到底納得できるはずのない内容だった。
「……っ!?」
「ナ~ツ!落ち着けっ!」
「痛っ!」
斎が軽く夏樹の頭を叩いた。
「……落ち着いてますよ?」
「ねぇよ。目が据わってんぞ。おまえ俺と一緒で、キレる程に冷静になるタイプだから厄介なんだよな」
「これ、キレるなって言う方がおかしいでしょ?」
「わかってるよ。俺だっておまえの立場だったらぶち切れてる。だからちゃんとそっちはもう手を打ってあるよ」
「どんな?」
「……おまえは知らなくていいよ。ま、おまえのかわりにこっちで片付けておく。俺らも、納得いってねぇし、何より愛ちゃんがな……その件に関してはご立腹だから」
「そうですか……愛ちゃんがご立腹……」
夏樹は、愛華がご立腹だと聞いて、少し溜飲を下げた。
愛華がご立腹=ぶち切れ、ということだ。つまり、あの愛華が動く。
「だから、そっちはひとまず置いとけ。おまえが気にすべきは他にもいっぱいあるだろ?」
「いっぱいありすぎっすよ……どこから手ぇつけて行けばいいんですかコレ……」
たった数枚の資料なのに、内容が濃すぎる。
気になること、考えること、まだこれから調べるべきこと……多すぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。
夏樹は髪をガシガシと掻きまわすと、頭を抱えた――……
***
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