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夜明けの星 4-19(夏樹)
「え~と、どこまで話したっけ?あぁ、勉強はそんな感じで、ほぼ問題なかったんだ。雪くんは僕たちよりもずっと頭が良かったからね」
そりゃまぁ八歳で高校レベルの問題を解けるくらいだから……
「でも、雪夜は自分はあんまり勉強が出来ないって思ってるみたいですけど?」
「あぁそれは……私たちのせいだ。病院では鉛筆を持ったことがないと言っただろう?つまり、雪夜はすべて頭の中で処理していたんだ。それだけ計算処理能力や記憶能力、読解力等が高いということだ」
「だけどね、昔の記憶を書き換えていく上で、うまく書き換え出来なかったものについては、夢を見てただけ、雪くんの記憶違い、ということで誤魔化すしかなかったんだよ。それを繰り返すことで、雪くんは、すべてにおいて自分の記憶に自信が持てなくなってしまったんだ……自分は記憶力が悪いから、自分が覚えていることは間違っているんだ……って思っちゃってね。試験でも自信を持って答えを書けなくなって、一度書いた正しい解答を全部消して白紙で出していたこともあって……それで、次第に成績が平均並みにまで落ちちゃったんだよ。でも、記憶力に自信を持たせてしまうと、過去のことを思い出してしまうかもしれないから、僕たちにはどうしようもなくて……」
せっかくの高い能力を抑え込んででも、記憶を封印したかったということか……
雪夜が、やけに自分に自信がなくて自己評価が低いのは、これが原因だったんだな。
過去を思い出した時のリスクを考えると、そうするしかなかったという達也たちの気持ちもわからんでもないので、夏樹たちには何も言うことが出来なかった。
***
「――で、徐々に体力がついてきて、精神も安定していたから雪くんが小学校に通うことになったんだけど……」
「問題があってな……雪夜は同年代の子と遊んだことがなかったんだ」
「あぁ……そうでしょうね」
しょっちゅう入院していた幼児期、唯一の友達はこの達也と慎也だった。
そして、精神病院ではほぼ隔離状態だ。
同年代の子どころか、誰かと話すということ自体ほとんどしていなかったはずだ。
「その上、雪夜はあの容姿だ。私たちが一番心配したのは……」
「いじめですか?」
「いや、恋愛だ」
「は?」
夏樹たちは、思わずポカンと口を開けた。
「小学生にもなれば、異性との色恋話が出て来るものだろう?」
「あぁ……まぁたしかに……」
その場にいた全員が、自分の小学生時代を思い出して納得した。
「いじめに関してはあまり心配はしていなかった。ちゃんと対策を取っていたからな」
雪夜は、能力的には問題ないが極度に身体が弱くてずっと入院をしていた、ということになっていたので、何かあった時のためにと、付き添いをつけていたらしい。
「送り迎えも出来る限り僕たちがしてたし、僕たちが無理な時は、付き添いの人に家まで送ってもらうようにしてあったから、いじめがあればすぐにわかるようになってたんだよ」
「だが、同級生と仲良くすることまで止めることはできないだろう?」
「別に仲良くすることはいいんだよ?むしろ、雪くんには友人が必要だったし。だけど……雪くんは探求心が強かったからね……」
「探求心が強いと何がダメなんですか?」
恋愛と探求心の繋がりがよくわからない。
「あのね……勉強に関しての探求心なら全然いいんだけど、もし女の子に「好き、付き合って」とか言われたら、探求心から「好きって何?」「恋人って何?」とかいろいろ知りたがって付き合っちゃうかもしれない。もちろん、恋愛自体は素敵なことだよ?だけど……雪くんにとって女の子は……なんていうか、鬼門なんだよ。女の子と二人きりで長時間過ごしていると、何かの拍子に、姉にされたこと、母親にされたことを思い出すかもしれないでしょ?」
「雪夜が思い出すことも心配だったが、雪夜がパニックになったら、相手の女の子を驚かせてしまうだろうし、後 にその女の子から他の子たちに変な噂を流されても困るのでな」
たしかに……女の子と付き合っていると何かの拍子にフラッシュバックする可能性は高いが……
「それでね……みんなで話し合って、雪くんはゲイだということにしたんだ」
「はい?」
夏樹はまた口をポカンと開けた。
「雪夜の恋愛対象は女の子ではなく、男の子。だけど、世間的にはゲイは受け入れられないから、誰かを好きになってもその気持ちは隠し通さなくてはいけない。それは誰にも言ってはいけないことだ。そんな感じで、記憶を書き換えたんだ」
「そうしておけば、もし女の子に告白されても、雪くんは女の子とは付き合おうとしないだろうし、書き換えの影響で同棲を好きになったとしても、世間的に隠さなければいけないと思い込んでるから、相手に気持ちを伝えたり、誰かに自分がゲイだと言ったりすることはないだろうって……」
「じゃあ、雪夜は本当は……」
「だから、この間会った時に言ったでしょ?雪くんはゲイじゃないって!」
たしかに言っていたが、まさか……兄たちにゲイだと思い込まされていただけだっただなんて……わかるかっ!!
「ずっとそれで問題なかったのに……大学に入って僕たちと少し離れている間に、男の餌食になっていたなんて……」
「雪夜はゲイなんかじゃない。ゲイだというのはあの子を守るための嘘だったんだ。わかったなら、雪夜とは……」
「別れませんよ?」
達也の言葉を遮って、夏樹は言い切った。
「っ!?」
「雪夜が本当はゲイじゃないというのはわかりました。それが雪夜のためだったというのも、でも――」
「ナツ!」
突然、斎が背後を窺いながら、肘で夏樹の腕をぐっと押した。
「え?」
夏樹が振り返ると、リビングの扉がゆっくりと開いて、悲愴な表情の雪夜が姿を見せた。
***
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