353 / 715
夜明けの星 4-24(夏樹)
「なっちゃ~ん、気持ちはわかるけど、今はちょっと抑えよう!!」
裕也に腕を掴まれて、自分が拳を握っていることに気がついた。
「裕也さん、俺冷静ですよ。大丈夫です。冷静にぶっ飛ばしたい!」
「こらこら、そんな笑顔で言ってもダ~メ!まだ話は終わってないでしょ!?今気絶させちゃったら、話の続きが聞けなくなるよ!?」
「……わかりました。最後まで聞いてからにします」
「うん、そうだね。その時は僕も手伝うよ!」
斎を置いてきたのは、明らかに人選ミスだったと言える。
裕也は一応止めてはくれるが、最終的には一緒にぶっ飛ばす気満々だ。
いや、でもこいつはマジでぶっ飛ばしていいんじゃないか……?
「何を言っているんだきみたちは……」
隆文が困惑顔で夏樹たちを見てきた。
何を言っているんだ?それはこっちのセリフだ!!
「あ~、ちょっといいですか?父さん。あの、今の話だといろいろ説明が足りてないですよ!だから彼は怒ってるんです!」
慎也が父親と兄をチラチラと見ながら、遠慮がちに手を挙げて割り込んできた。
「補足するとね、え~と、まずひとり暮らしについてだけど……」
なぜ大学生活での四年間はひとり暮らしをさせるのに、実家ではひとりにしておけないのか。について、慎也が説明してくれた。
「簡単に言うと、雪くんが母親の幻覚を見るのは、実家にいる時だけだからなんだ」
「実家にいる時だけ?」
まぁ、たしかに……大学や、夏樹の家にいる時に、雪夜が母親が見えているような言動をしたことはない。
「そうだ。あの子が唯一、自分自身で記憶や精神の操作をしたのが、母親に関することだ。あの子が母親の幻覚を作り出したのは、自分の首を絞めようとした母親が怖かったからでも、憎かったからでもない。自分の首を絞めようとした母親を嫌いにならないために、優しかった母親の幻覚を作り出したのだよ」
慎也の言葉を引き取って、また隆文が話し始めた。
「嫌いにならないため?」
その言葉は意外だった。
夏樹は、雪夜が恐怖心から逃れるために、母親の幻覚を作り出したのだと思っていた。
それに達也たちも、雪夜は母親に首を絞められたのは悪夢だったと思い込んでいたんだと言っていたじゃないか……?
「え~とね、さっきはちょっと端折 ったけど、工藤先生が言うには、雪くんは、母親があんな行動を取ったのは自分のせいだって思ってるみたい。……だから、首を絞めてきた母親を憎んだり怖がったりするのは、お門違いで、むしろ、憎まれるべきは自分だと……そして、その気持ちが強かったから、なかなか上書きや書き換えが出来なくて、他の記憶とのバランスが取れなくなっていった……で、自分の中で何とかバランスを取るために、あの出来事は悪夢だったということになったんだろうって……」
なるほど……わかったぞ!!
慎也、お前も説明が下手くそなんだなっ!!
いや、違うか。
慎也たちは、子どもだからと当時ちゃんとした理由や原因を知らされていなかったらしいし、そのくせ、雪夜の世話をほとんど丸投げされていた。
当時は僅かな情報から、自分たちが納得する理由をつけて、雪夜の状態を受け入れるしかなかったのだろう。
そのせいで、説明が当時のものと、事実とが混じってたまに意味不明になってくるんだな。
まぁ……全部把握している隆文が、ちゃんと説明してくれれば問題ないってことなんだけど……頼むよ隆文ぃ~~……!!
夏樹が隆文を見ると、隆文がまた口を開いた。
「優しい母親の幻覚は、実家の中だけで見える。それは、雪夜が母親と過ごした時間が短いことが幸いした。生まれた時から身体が弱かった雪夜は、あの事件まで、人生のほとんどを病院のベッドで過ごしていた。だから、母親と一緒に過ごすということがほとんど出来なかった。ましてや、どこかに遊びに行くことなど出来るはずがない。つまり、雪夜の中での母親のイメージは、病院に看病に来てくれた母親や、家の中で遊んでくれていた母親しかいない。そのため、母親の幻覚は実家の中だけ。母親は実家に帰ればそこにいる、という事になっているらしい」
隆文の言葉に、夏樹は少し顔をしかめた。
母親と過ごした記憶が、ほとんど病院のベッドの上だなんて……
だが、雪夜の知っている母親の姿が少ないがために、家の外での母親をイメージ出来なくて、そのおかげで結果的に大学では幻覚を見ることもなく、違和感なく過ごせていたということか。
あれ、でも……
「でも、さっき実家に入った時には……」
「見えてたよ。雪くんには」
「え?」
夏樹は慎也の言葉に首を傾げた。
特におかしい言動は見られなかったが……
「雪くんは実家に入ってから一言も『お母さんは?』って聞かなかったでしょ?」
「そうですけど……」
「扉を開けて入った時から、雪くんには普通に母親の幻覚が見えてた。僕たちを見ているようで、視線が何もない空間を見てたからね。でも、今日は……きみが一緒だったからかな?誰かを家に呼ぶのが初めてだから、めちゃくちゃ緊張してたみたいだったし、ずっと何か考え事してたみたいだったから、そのおかげであんまり母親のことを気にする余裕がなかったみたいだね。もしかしたら、今日は最初に見ただけで、後は幻覚も見てなかったのかもしれない……もしそうだとすれば……」
慎也は、夏樹に話しながらも、最後の方はブツブツと独り言を言い始めた――……
いや、うん……考えるのはいいんだけどね?でも今俺と話してるじゃない?……親子揃って急に自分の世界に入るのやめてくれないかなぁ……
夏樹は軽くこめかみを押さえて、息を吐いた。
***
ともだちにシェアしよう!