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夜明けの星 4-27(夏樹)

 斎は雪夜の傍についてくれているのだが、こちらの様子も小型マイクを通してずっと聴いていたのだ。  夏樹は斎と裕也に止められて、不服ながらもひとまず怒りを鎮めた。 「雪夜の様子を、父親に報告しなかったのは……どうしてですか?」  斎に言われたので、一応聞いてみる。   「……最初の予定ではね、大学生活はあくまでデータ収集のため。雪夜くんに施した記憶操作が日常生活にどのくらい影響を受けるのか、思い出す確率、タイミング等々、それらのデータを取るためだけのものだった。過去を思い出して、雪夜くんの精神状態に異常が見られれば、その時点で実験は終わりだ。だから、雪夜くんには親しい友人、ましてや恋人など作らないように、他人との接触を極力避けるようにプログラムしてあったんだよ。研究所に戻った後、誰かに雪夜くんの行方を捜すようなことをされては困るからね」  それは、さっき隆文も言っていたな…… 「だけどね……雪夜くんが大学に入って、友達が出来たと報告して来た時、初めて笑ったんだ。それを見た瞬間、あぁ、この子はロボットじゃないんだと思って……」  え、こいつ何を言ってるんだ……?雪夜は人間なんだから当たり前だろう!?    夏樹が眉をひそめると、その顔を見た工藤が少し微笑んだ。 「わからないって顔してるね。う~ん……あのね、私が初めて彼に会った時、彼は人間じゃなかったんだよ。理性も知性もない、周囲は全て敵にしか見えていない状態だったんだ。こちらの呼びかけなど何も聞こえていない。あの事件の影響で、彼の中には激しい恐怖と怒り、そして、寂寥感や孤独感と言った負の感情とわずかな生存本能しか残っていなかった。言葉も喋れない。近付くと暴れる。……はっきり言って、お手上げ状態だった。まぁそんな状態だったから研究所に来たんだけどね」  夏樹は、病院での雪夜の様子を思い出していた。  あの時は……だいぶパニックになって、注射や点滴を見るとかなり暴れていたけれど、それでもまだ理性や知性は残っていた。  雪夜は夏樹を呼んでいたし、夏樹が行けば落ち着いていた…… 「知性の欠片もない彼に、あの実験をすることでどう変わるのか……一応、上代氏に提案してみたものの、私はあまり期待はしていなかった。だが、予想外に彼の潜在能力は素晴らしくて、二年もすれば獣から立派なAIロボットになった」 「先生、そのロボットっていうの……やめてくれませんか?彼には『雪夜』という素敵な名前があるんですよ!」  工藤は、普段は雪夜のことを「雪夜くん」と呼んでいるくせに、研究の話になると「AIロボット」と呼ぶ。  夏樹は、それが許せなかった。 「あぁ、気を悪くしたなら申し訳ない。だが、AIロボットというのにはちゃんと意味があるんだよ。なぜかというと、彼の記憶は全て作られたもの、彼の知り得た情報は全て、私がプログラムしたものであって、彼自身は何も経験していないし、見たり聞いたりもしていなかったからね。AIというのは、膨大な情報を処理し、その中から今の状況に一番最適な答えを出して来る。更に、経験を積むことで、その情報は増えていくため、より正確な答えを出せるようになるんだ。だけど、どんなに頑張ってもAIには感情というものは生まれない。そして、雪夜くんも、記憶の操作の過程で、感情の一切を失っていた――……」 「え、でも……家に帰って来た雪くんは、以前のように笑ってくれるようになっていましたよ!?」  慎也が戸惑いを隠せない様子で、口を挟んで来た。 「それはプログラムされていたものですね。『笑う』という答えが導き出されたから『笑った』だけですよ」 「……まさか……そんなバカな!?」 「でも、慎也くんと達也くんが彼の面倒をよく見てくれたので、おかげでだいぶ情緒面が発達して、少しずつ彼自身の感情というものが出てくるようになりました。それは大きな進歩ですよ。日常生活も根気強く教えてくれたので、ちゃんとひとりでも生活出来るようになりましたしね。いくらプログラムをしたところで、まではどうしようもない。そればっかりは本人の経験で補っていくしかないですから……」 「だから、雪くんは『(記憶としては)出来ていたはずなのに(実際は)出来ない』っていう、よくわからない状態になっていたんですか?」 「そうですよ」  雪夜の笑顔が見られたことを何よりも喜んでいた慎也たちなので、この真実はかなりキツかったのだろう。  慎也が脱力しながらソファーの背にもたれかかって、泣きそうな顔を両手で覆った――……   ***

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