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夜明けの星 4-31(夏樹)

――……もし雪夜くんが、落ちる時に姉のことを思い出して『ねぇね』と呟いたのなら……ちょっとマズいかもしれないですね……」 「何がですか?」 「山でのこと……姉のことや、事件のことを思い出してしまった可能性があります」 「……そうですね」 「そうだとすれば、昏睡状態に入ったのは雪夜くん自身の意思かもしれない。あの事件の後も、半年間昏睡状態だったらしいですから」 「じゃあ、今回も目を覚ますまでに半年間くらいはかかりそうってことですか?」 「う~ん……前回は身体の損傷も激しかったので、おそらく治癒目的でもあったのだと思いますが……今回は前回ほどの損傷はないですし……ただ……あの事件の書き換えについては、かなり苦労したんですよ」  工藤が研究者の顔に戻って、ため息を吐いた。 「研究所に来て少し落ち着いた頃、ある方法で雪夜くんからあの事件の話を聞いたことがあるんですが……」  工藤が聞いたところによると、雪夜はあの事件のことを鮮明に覚えていたのだとか。 「しかも、雪夜くんは姉が亡くなったことも、あんな事件に巻き込まれたのも全部自分のせいだと思っていて、そのことを忘れないようにと、自分自身に言い聞かせて、頑なに記憶を保持しようとしていたんですよ」 「記憶を保持……?」 「雪夜くん自身がその記憶を放棄することを拒んでいたので、いくら書き換えようとしても、表面的に上書きするので精一杯でした。表面的なものは、何かのきっかけですぐに剝がれてしまう。あの記憶に関しては、何度も試行錯誤を繰り返して、大学入学前にようやく書き換えに成功したものだったんですよ」  すぐに剥がれてしまうから、その度にベッドに拘束していたわけか……  工藤のことは、まだよくわからない。  怪しげな研究所にいたせいか、工藤のプロフィールもフェイクだらけなのだ。  とりあえず、雪夜の味方になってくれそうだし、裕也さんがわりと気に入っているので、今は半分くらいは信用してもいいかなと思っている。  だが、研究所にいた時の雪夜の様子を話す工藤は、雪夜のことをただのロボットとしか見ていないのがわかるので、心底殴りたくなる…… 「――だから、もし記憶が戻っているのなら、雪夜くんはまた自分を責めて、全て自分のせいだと思い込んでしまっている可能性がありますね。私がマズいと言ったのは、雪夜くんがそのまま意識を閉じ込めてしまうかもしれないということです。雪夜くんの脳は、記憶の書き換えのために長期間かなりな負担を強いられてきましたから――……」 「もういいっ!」  夏樹は工藤の話を途中で遮った。    あ~もう!グダグダうっせぇんだよっ!!  つまり…… 「現状では、雪夜の記憶が戻っているかどうかなんて確かめる(すべ)はないし、雪夜がいつ目を覚ますかは、先生にもわからないってことですよね?」 「ま、まぁそういうことですね」 「ありがとうございました。他の情報は別にいいです。だいたい把握してますし、研究所で何があったかなんて……今更知ってもどうしようもないですから」  御託を並べずにさっさと「わかりません」と言え!!  鬱陶しいわっ!! *** 「あらら~……ダメだよマコっちゃん。だから言ったでしょ?なっちゃんに説明するときは、簡潔に!わかりやすく!って。なっちゃんはダラダラ説明されるの嫌いだからね~」  裕也がやれやれという顔で工藤を見た。  マコっちゃんとは、工藤のことだ。本名は工藤 誠(くどう まこと)と言うらしい。   「さすが裕也さん、俺の性格をよくわかってらっしゃる。じゃあ、裕也さんがいつも俺にダラダラ説明するのはわざとなんですね?そうですか、いつものはわかっててやってたんですか~、へぇ~~?……」  夏樹は、工藤に向かって得意気に話していた裕也の腕を取って、背後に捻り上げながら顔を壁にグッと押し付けた。  工藤が驚いた顔で二人を交互に見てきたが、別に夏樹は裕也に本気で怒っているわけではない。  ただのストレス発散。いわゆる、可愛い八つ当たりというやつだ。 「え?あっ!やばっ!……ちょ、待って、なっちゃん!一旦落ち着こう!!」 「残念ながら、俺は落ち着いてますよ~?」 「笑顔が怖いって!!なっちゃん!ここは病院だよ!?平和的に!!平和的に行こうじゃないか!!」  平和的に……ねぇ? 「そうですね、じゃあ平和的に……裕也さんは今日から一週間おやつ禁止です!!」 「鬼ぃいいいいいいいいいい!!!!」  夏樹が手を離すと、裕也が半泣きで叫んだ。   「平和的でしょ?」 「むぅ~!!」 「いい歳したおっさんがむくれても可愛くないですよ。だいたい、さっきのだって裕也さんなら簡単に外せるでしょ」  悔しいが、未だに夏樹は裕也と斎には勝ったためしがない。  あんな初歩的な技、外そうと思えば裕也なら即行外せたはずなのだ。  むしろ、そこからの軽いスパーリングを楽しみにしていたのに…… 「それは問題じゃないんだよ!もぉ~~!ちょっと雪ちゃああああん!!今の聞いた!?一週間もおやつ禁止って酷いよね!?おやつは僕の主食だよ!?なっちゃん鬼だよねぇ!?」  裕也が、夏樹に文句を言いつつ、眠っている雪夜に泣きついて行った。 「ちょっと、裕也さん!何で雪夜に愚痴ってるんですか!」 「眠ってても、もしかしたら声は聞こえてるかもしれないじゃない?だから、なっちゃんが悪いことした時には雪ちゃんにチクっておこうと思って!」 「はあ?……もぉ~!なんですかそのレベルの低い嫌がらせ……」  夏樹は裕也の言葉に数週間ぶりに……笑った。  苦笑のようなものだったが、それでも、笑ったのは久々だった。 「雪ちゃ~ん、早く起きてなっちゃんに『コラッ!!』って言ってやってよね~!」 「雪夜は俺に『コラッ!』なんて言いませんよ」 「じゃあ、何て言うの?」 「う~ん、基本的にそんなに俺に対して怒るってことなかったからな~……」 「え~、じゃあさ~――……」 ***  その日から、他の兄さん連中も雪夜を交えて会話をすることが増えた。  根拠なんてない。  ただの気休めかもしれない。  それでも、雪夜に聴こえていると信じて。    ねぇ雪夜、みんな待ってるよ…… ***

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